第7話 海軍兵学校入学
海軍兵学校に入学した治三郎は、相変わらず喧嘩を続けていたものの、海軍伝統の鉄拳制裁に反対するなど、反骨心の欠片を覗かせる一面もあった。頭は柔軟なものがあり、後の海軍大学校を卒業するまでは、専門が水雷であった。軍隊において専門分野の事を、よく畑と呼ぶが、治三郎の場合は水雷畑であった。水雷とは機雷、魚雷など水中で爆発させる火薬の総称であり、日本独自の概念であるとされている。水雷がなければ、軍艦は敵艦船を撃沈出来ない。そんな水雷の専門家として、水雷学校長まで務めた。そんな治三郎ではあったが、当時としてはいち早く航空戦の重要性に着目する。海軍大学校と言えば、海軍兵学校で優秀な成績を収め、現場を少し経験した若手エリートを選抜し、将来の日本海軍を担う高級参謀養成機関であり、陸軍にも同様の陸軍大学校が存在した。つまり言い換えれば、選ばしものという事だろう。陸大や海大で上位5番以内に卒業席次をとった者には、陛下から恩賜の軍刀が与えられ、大日本帝国陸海軍における最高の栄誉とされた。そんな目に見える栄誉を、当時はたくさん用意していたようだ。恩賜品は、各学校や時代ごとに異なり多種多様であった。例えば、陸軍大学校では、軍刀ではなく望遠鏡が贈られたし、陸軍士官学校や陸軍幼年学校では銀の懐中時計が贈られ、海軍兵学校では短剣、海軍大学校では長剣が授けられていた。授与にあたっては、陛下自らが赴き、労を労われた。そのルーツは、明治11年陸軍士官学校第一回の卒業式にて、明治天皇が二人の優等生に、洋式軍刀を与えたものにあるとされている。
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