農協おくりびと (24)乾杯しょうぜ、未来のために
「あんたに比べたらわたしの動機は、不純過ぎる。
推進のノルマから逃れるために、簡単に斎場行きを決めてしまったんだもの。
あんたの話を聞いていたら、なんだか自分の考え方がちょっぴりだけど
恥ずかしく思えてきた」
ビールを口に含んだちひろが、カタンと音を立ててグラスを置く。
(共済のノルマから緊急避難してきた赴任先で、こんな風に思いがけず、
光悦と再会するなんて、予想もしていなかったわ。
まだつながっているんだろうか、もしかして、わたしたちの紅い糸は・・・)
ちひろの視線が、居酒屋のカウンターの中を泳いでいく。
次の瞬間。目線が合った女将が、ちひろに向かってニコリとほほ笑む。
その手にはいつの間にか、ビールの小さいグラスが握られている。
「別に気にすることはねぇだろう。
農協は、推進ノルマが過酷なことで有名だ。
ノルマから逃れられるのなら、それもひとつの選択さ。
まぁ場所が場所だから、毎日楽しくという訳にはいかないが住めば都になるだろう。
せいぜい居心地のいいポジションを見つけて、明日からの仕事を頑張るんだな」
もう一度、乾杯しょうぜと光悦が生ビールのグラスを持ち上げる。
「それなら私も混ぜて」と、割烹着姿の女将が2人のそばへグラスを片手にやって来た。
「おいおい。女将さん。
生きている疫病神みたいな俺たち2人の間に、割る込むつもりかい?
いい根性をしているねぇ、女将さんも。
まぁいい、2人も3人も一緒だ。電車の出発まで暇を持て増している身だ。
おおいに呑もうぜ、袖触れ合ったのも、なにかの縁だ」
光悦が自分のグラスを、女将のグラスにカチンと合わせる。
「女将さん。見るからに別嬪さんだよねぇ。
だけど俺、最初に見た瞬間から、なんだかどこかで見たような記憶が有るんだ。
何処で会ったのかは思い出せないが、確かに、何処かで見たような覚えが有る」
「小学校6年の時。同じクラスに、ちひろという女の子が3人いたでしょう?。
ひとりは今、そこで呑んでいる農協職員のちひろ。
もうひとりのちひろは、成人式の前に結婚をして、いまは1男1女のシングルマザー。
そしてもうひとり居たはずの、ちひろは・・・」
ちひろがすかさず、素早い反応を見せる。
「やっぱり!。あなただったのね!
もうひとり2学期の末に、父親の転勤のために東京へ転校したちひろがいたわ。
へぇぇ。あのときのちひろが、あなたなの。
信じられないわねぇ、あの時のサナギから、こんな美しい蝶が誕生するなんて。
世の中、何が起こるかわからないものだなぁ。
でも本当にあのときのちひろなの。
いまわたしの目の前に居る、美しすぎるあなたは!」
「悪かったわね。目立たなくて、冴えなくて、普通以下だった女の子で。
うふふ。そうよ。そんな女の子でもあれから18年以上も経つと、
こんな女に変身するの。
水商売の世界じゃ、よくある普通の出来事です。
17歳の時から自分の年齢を偽って、水商売の世界へ飛び込んだの。
男をずいぶん騙したし、化粧もそれなりに上手になりました。
化粧することは、生活の糧だもの。
時間さえかければ美人の顏なんか、いくらでも作ることができるわ」
「じゃ、俺の事も覚えているはずだな」と横から光悦が、口を挟む。
「覚えているわよ。
光悦なんて言う硬い名前をしているくせに、女の子には手が早いんだもの。
何度もスカートをめくられました、あなたには」
(25)へつづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます