農協おくりびと (23)修行僧の1日

「なんで今頃になってから、僧侶の修業をはじめたのさ。

 消防のハイパーレスキューで、人命救助を続けるのがあんたの夢だったんでしょ」

 

 「しょうがねぇだろう、俺の意志じゃねぇ。

 寺の後継ぎに生まれた者の宿命だ。

 寺というのは、故人の所有物じゃない。

 宗派の総本山から、維持と運営を任されただけだ。

 後継ぎがいれば、世襲は許される。

 後継ぎがいなければ、残った家族は寺から追い出されることになる。

 総本山から、別の住職が派遣されてくるからだ。

 決して珍しい話じゃない。後継ぎの居ない寺なら、全国にごまんとある。

 後継ぎを確保するため、婚活をはじめた宗派が有るくらいだ。

 独身の男性僧侶や寺の娘たちに、本山が本気で出会いの場を提供するんだ。

 奈良・長谷寺の末寺は、全国に3700ある。

 そのうちの2割から3割の寺で、後継者が不足しているんだ」


 「へぇぇ・・・ずいぶん深刻な状態なんですねぇ、寺の後継者問題も。

 で、あんたはその奈良の長谷寺で、どんな修行をしているの?」


 「え、俺の話が聞きたいのか、お前は。本気かよ?。

 坊主の修業の話なんか、聞いたところでちっとも面白くないぜ。

 それより、お前の話を聞かせろ。

 その若さで、なんでわざわざ斎場へやって来るんだ。

 根性は認めるが、好き好んで自分から赴任してくる職場じゃないだろう」


 「わたしのことなんか、どうでもいいでしょ。

 残った時間。あんたの話が聞きたいな。

 その、青くてクリクリした頭が、あなたに妙に似合うもの。

 こんど会ったとき。いやというほど私の話を聞かせてあげます。

 だから今夜は電車が出るまで、たっぷりと、あなたの修行の話が聞きたいな」

 

 「聞きたいと言われちゃ、否定するわけにもいかねぇな」

ぐびりと喉を鳴らし、光悦が残った生ビールを一気に飲み干す。


 「起床は、朝は5時だ。

 入学して2日目の朝から、他の僧侶たちといっしょに朝の勤行に入る。

 経典の漢字は難しすぎて、最初はろくに読めねぇ。

 仕方がねぇから寝る時間を削って、経典に振り仮名をせっせと書き入れる。

 経本が下がらないように、目の高さに保って読むのも大変だ。

 指先までピンと伸ばしておかないと、先輩たちからこっぴどく怒られる。

 携帯電話も使えない。

 決められた時間に、公衆電話から家に連絡するだけだ。

 心配すんな。恋人は居ないから、おふくろと短い会話をかわすだけの毎日だ。

 休みは月に3日。夜7時が門限だから、日が暮れたら寺へ飛んで帰る。

 ホントに面白いのかよ、俺のこんな話が?」

 

 「うん。今のわたしには大いに参考になる」とちひろが、頬杖をつく。


 「帰るといきなり、2年目の荒行が俺を待っている。

 阿闍梨(あじゃり)様と、2年目に入った修行者たちがいっしょに道場へこもる。

 2ヶ月の間、ひたすら修行に専念する。

 阿闍梨というのは、指導者の事だ。

 諸戒律を正しく守り、弟子たちの規範となり、法を教授する師匠や僧侶のこと言う。

 師資相伝と呼ばれ、師から弟子への教えは師によって内容が異なる。

 ふた月の間。外部はもちろん、家族とも連絡は取れない。

 髪も髭も、まったく剃らない。

 不浄の血を流してはならない戒律のため、刃物をつかうことが禁じられているからだ。

 2年目の『荒行』を乗り越えると、僧侶になるためのハードルをまたひとつ、

 乗り越えたことになる。」


 へぇぇ・・・頑張っているんだ、あんたは。と、ちひろが短い溜息をつく。


(24)へつづく

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