トゥール 天に通じる場所

一松へ一

『兄ちゃんは明日、

乗り合いの船に乗ってそっちへ帰るからね。

松の大好きなプレゼント今回もちろん用意しているけど、まだ中身は内緒だよ。

そうそう。

父さんや母さんも元気してる?

父さんに反対されたまま出て行ったから、

多分こっぴどく怒られるだろうな……。

それでも、松や家族、そして村のみんなに

また会えるのを兄ちゃんまだかまだかと

心待ちにして、本当に楽しみにしています』


一薩摩本土一

秀夫ひでお、ちょっと来い!」

ある日、松の兄秀夫は組織の同じ部署の仲間の一人に呼ばれていた。


「え?どうしたんですか?」

秀夫がこの組織で彼らに呼びつけられる時は毎回決まって嫌なことばかりだったので、

彼は今回も嫌な予感しかしなかった。


「俺達今日この後飲みに行くから、

お前残りの仕事頼んだぜ!」

やはり今回も秀夫の読みは的中だった。


「はい? ちょっと待って下さいよ。

今日ボクはこの後大切な用事があるって前々から言ってたじゃないですか~!!」


「仕方ないだろ。お前を除く俺達三人は先輩達に飲みに誘われたんだから」


「そんなの断ったらいいじゃないですか~!」

秀夫は、妹と大切な約束をした今回ばかりは絶対に食い下がる訳にはいかなかった。


「何だ?生意気な~!

時代遅れの離島生まれのひょっ子の分際で~!」


「僕の生まれた島のことを何だって?

もう一度言ってみろー!」

秀夫は、島で日々を命懸けで必死に働きながら懸命に生きている村人達の事を……、

そんな事情を何にも知らずに、

バカにされることがどうしても我慢ならなかった。


「まあまあ。秀夫、お前も少し落ち着けって」

秀夫は奴の仲間の一人になだめられたが落ち着ける訳が無かった。


「秀夫お前さ~、誰に向かって舐めた口聞いてんの?

この際言っときますけど俺の親父は役人してるんだからね~。

俺を怒らせると後で怖いよ~。

そうそう!

ちなみにお前の両親ってどんな仕事をしてるなカナ?

なあ?なあ?」

そいつは秀夫の両親が島で奴隷の様に働かさせられていることを知っていながら、わざと秀夫に聞いてきた。


「ボクが馬鹿にされる分はかまわない!

でもな、ボクの両親を、島の人々を、その誇りを、そんな風に言うなんて絶対に許さない!!」



「何を~?

離島に住む外人のくせ…」

『ぐへぇー!』

秀夫はあまりの怒りに頭に血が昇り、

絶対にやらないとポリシーを持っていたはずの暴力を……

振ってしまった。


「いっでぇー!死ぬ程いでぇ~よ!

歯が抜けた~! それに、見えない!

目が良く見えない。誰か!誰か~!」


秀夫は仕事を解雇され……そして、

捕まってしまった。

「松ごめんよ、本当にごめんよ……」

秀夫はただただひたすら泣くしか出来なかった。


一奄美の島一

「お兄さんから連絡が途絶えてからもう1ヶ月経つんだね」

クオリアは松とお兄さんの事で話をしていた。


「お兄は帰りの船で事故にあったのかな?」

サツマイモとソテツの実しか食べていない松の体はすっかり衰弱し、意識ももうろうとしていた。


「私はそんなことないと思うな。

お兄さんを信じよう。ね?」

クオリアはただ松をそうやって励ますしか出来なかった。


「ありがとう、キーちゃん……」


「松、しっかりして!大丈夫?」

クオリアは松がこの瞬間にも、いつ息を引き取ってもおなしくないんじゃないか心配で仕方が無かった。



「ねえ、キーちゃん?」

急に松からクオリアに話しかけて来た。


「なあに、松?」


「お願いが……あるの。

お父さんとお母さんを呼んできて……」


「うん、わかった!」

クオリアには嫌な予感がした。

でも、今は一刻も早く松の希望を叶えさせてあげたい。

クオリアが今の松にできることはそれだけだったから。

クオリアの姿は松にしか見えなかったから、

クオリアはこの世界で初めて力思考誘導を使い目の前にご両親を呼び出した。


「あれ?あれ?」

意識を取り戻した松の父親は急に辺りの景色が一変したことにすごく驚き、

手探りで恐る恐る辺りの状態を探っていた。


「ねえ、あなた?

私達は確かにさっきまで畑にいましたよ……ね?」

松の母親は父親よりは冷静だったが、

それでも、理解が追いつかないって顔に書いてあるような様子でキョトンとしていた。


「あれ、お父さん、お母さん……もう来てくれたんだ……」


「ま、松!しっかりしろ!」

父親は、掴んだだけでもげてしまいそうなその松の衰弱しきった細い手をしっかりと握ると、松にそう言い聞かせた。


「お父さん、お母さん。今まで、あたしを大切に育ててくれて本当に本当にありがと……」



「松!お前何を言ってるんだ!!

今のは冗談だよな? な? 松!」

松の父親と母親、そしてもちろんクオリアでさえも松のその一今までありがとう一

という言葉を肯定すことは出来なかった。


松のその意味深いみしんな言葉は、

まるで松が死ぬ直前に発した最期の言葉のようでクオリアの心に深く深く刻み込まれた……。






一薩摩本土一

「君は、本当にこの牢屋から逃げ出す気でいるのかい?」

秀夫にそう訊ねてきたのは、同じ牢屋に捕まっていたみるからに外国人ぽい身なりの大人の男の人だった。


「うん。ボクには時間が無いんだ。

妹が病気だって聞いてるし、一刻も早く島に帰りたいんだ。

だからここにいつまでもいられない」


「脱走してもし捕まったら、たぶん君はほぼ確実に殺されるだろうね。それでも行く覚悟が君にはあるのかい?」


「それでも、行かなきゃ! それにボクは、妹や家族にもう一度会うまでは絶対に死なないんだ。いや、死ねないんだ」


「ありがとう。君のなんとして妹さんに会いたいというその強い覚悟は僕にしっかり伝わったよ。

実は僕の部下で君と同じように奄美に帰ろうと準備している仲間がいるんだ。

彼らは君より先に脱走して浜辺にイカダを作っているはずだ。

彼らと合流し、私の名前を言いなさい。

そして、秘密の合言葉を言いなさい。

私の名前は『アスー』。そして合言葉は

『世界はみえないかたちでできている』だ。

わかったかね?」


「え? 本当にいいんですか? アスーさん……。


ありがとうございます。じゃあ、あなたも一緒に行きましょう」


「すまない。私は事情があって君とは一緒には行けないんだ」


「そうなんですか。自分だけ先に助かって申し訳無いです」


「気にするな。それが僕の仕事なんだ」


「仕事?」


「ほら! さっさといけ! 僕がせっかくチャンスをあげたのに、

見張りに見つかったら全て台無しになるぞ!」


「はい。ありがとうございます!アスーさんも生き延びて下さいね~」


秀夫は浜辺で、アスーの仲間の方々に合流し、

そして、イカダで海を渡った。


「待っててな、松。

お兄ちゃん、もうすぐ会いに行くからな

………………」


一奄美の島一

『トゥシアマイ、ナイビタン

(年が余りました)、

ティラバンタ、ウシュキティ

(ティラバンタに来ました)、

シッチ、ハタバルヤ

(干潟は)、

ナミヌシュル、タチュル

(波が立つ)、

ナミヤ、ハタバルヤ

(波の干潟は)、

ヒブイ、タチュサ

(煙が立つ)、

ニルヤリーチュ、ウシュキティ

(ニルヤリーチュに来て)、

ハナヤリーチュ、ウシュキティ

(ハナヤリーチュに来て)』


お日様の光を反射して、キラキラと輝く何処までも果てしなく続く青い世界、そこが彼らの天国だった。


海がよく見渡せるある小高い丘があり、魂の歌はそこから海の神様に捧げられた。


そのほとんどは土の布団がかけられたが、

顔だけはまだ現世と天国の間にあり、

家族との最期の挨拶を許されていた。


そして、その表情は安らかだった。


母親はひたすら涙を流していて、その夫が妻を慰めていた。

みな涙を浮かべ、彼女が旅だった遠い遠い海の彼方の一点を、

清らかな心でただただじっと見つめていた。


クオリアは感じた。

盛り土の中から松の魂が浮かび上がり、

それがキラキラと輝く温かな光となった瞬間を。

そして、かつて彼女を形作ったその光達が、

大海原に向かい、そしてゆっくりと溶け込んでゆくその姿を……。


福 松。享年10歳。両親と大切な村人達に見守られながら

その短い人生を終え……た。





松が亡くなってから2日が経った。

クオリアはガジュマルの林に戻り、

1日中ただただ ぼぉーと物思いにふけっていた。

「ねえ?キイさんはいるかい?」


「え?私?」

私は驚いたわ!松以外に私が見える人がいるなんて。


「あれ、松のおじさんじゃないですか?

私宛にどうしたんですか?」


結果から言うと、松の父親にクオリアが見えた訳ではなかった。

(きっと松が私のこと話してたのね)


松の父親は、さっきからのクオリアの方に向かって何かを言っていた。


「キイさん、娘からあなたの事を教えてもらいました。

生前のあの子と仲良くしてくださり、本当にありがとうございます。グスン」


「ちょっとおじさん、こんな時で泣かないでよ!

って言っても聞こえないわね」


「それで、わしは生前のあの娘に、自分が死んだらあなたに渡すように頼まれていたものがあるんです。

木の下に2体立て掛けておきますので、どうかあの娘の形見だと思って大切にして下さい」


「あっ、ちょっと……」

松の父親はそうクオリアに言い残すと、言葉通り木の下に

何かを置いて帰って行った。


「何かしら?」


クオリアは地面に降りてそれを確認した。


それは、木彫りのお人形さんで、

顔が松そっくりだった。

「松、グスン。松~!」

クオリアは涙をこらえられなかった。


さらに、二体の木彫りの人形と一緒に、

松から手紙が添えられていた。



一キーちゃんへ一

『この手紙を読んでくれてるってことは、

あたしはもうこの世にはいないかな。

短い間だったけど、あたしと仲良くしてくれて本当にありがとうね。

キーちゃんと楽しく過ごした時間、

あたしは例えあの世に行っても

絶~対忘れないよ!

それと話はもう一つあるの。

その2体の木彫りの人形は、あたしがお父さんにお願いして作ってもらったの。

そして顔の部分はね、あたしがお父さんに駄目出しして自分で掘ったんだよ。

お父さんから

『松~!お前は病人なんだから安静にしておきなさ~い!』

って怒られちゃったわ。クスクスw


その人形はあたしの気持ちをいっぱい込めて私とお父さんで頑張って掘ったものだから、本当のあたしだと思って大切にしてね。


そして、もう一体の人形。

ごめんね。それはキーちゃん用にじゃないの。

それはお兄に向けて作った人形。


キーちゃんは以前不思議な力があるってあたしに言ってたよね?

そこでお願いがあるの。

もしキーちゃんがお兄と会う事が出来たら、

このもう一体の人形をお兄に渡して欲しいの。

それじゃ最後に、キーちゃんと、お父さんお母さんと、

村の人々がみんなみんな ず~と末永く

笑顔で幸せでありますように♪

元気でね……』

手紙を読んだクオリアは、顔が真っ赤に、

そしてくしゃくしゃになってもなお、

ひたすら泣き続けた。



一クオリアの拠点 ガジュマルの林一

「お役人様、こちらです」


「おお! ここの林がヤンチュやヒダらの隠れ場所になっているわけか!

よし、この辺の大きな木を三本とも切り倒せ!」


「いいんですか? ガジュマルの木は

村人達が代々御神木として大切にしてきたと聞きますが……」


「かまわん!早くとりかかれ!」


「へへぇ~。 わかりました」

『ザクー!ザクー!』


(え? さっきから何ー!?

この人達、この木を切ろうとしてる訳?

大、大変!

仕方ないわ。力を使っ……?)



????

「その木を切るのをやめてくだい!」


『え!?』

( あなた、もしかして……)



「誰だ貴様! 何の権限があって私に意見するんだ?

さあ、言ってみろ!」



「ボクは秀夫。 西郷先生の意志を受け継ぐものだ!」


「何だ、西郷って……?」


「お役人様、西郷隆盛の事ですよ!」


「な、何だと? あの有名な……」


「ボクは、この村に法律違反のあなた達を取り締まる為に戻って来たんです!」


「法律違反だって? 笑わせてくれるじゃないか。

家畜同然の身分に過ぎないお前に何ができるんだね?

警察はみんな私の見方なんだぞ!」


「そう言われると思ったよ! だから、

薩摩から今は亡き西郷先生のお知り合いの役人の方に来てもらったんだ!」


「秀夫くん、案内ありがとう」


「いえいえ、ボクの方こそ。遥々奄美まで来てくださって本当にありがとうございました」


「おい、お前ら!」


「はっ、はい~!!」


「薩摩に戻ったら、どんな処分が待っているかわかっているんだろうな?」


「そんな~。どうか、この通りです。

堪忍を、堪忍してください」

さっきまで威張りちらしていた島のお役人達は、

明らかに態度を変え、薩摩から来てもらった役人の人にペコペコひたすら頭を下げていた。



「すみません。実はボク、村に帰って真っ先に会いたい人がいるんです」


「ああ、君は確か会いたい人がいるって言ってたね?

いいさ。ここは私に任せて、君は早く行ってあげなさい」


「はい。ありがとうございます!」

秀夫はそう言って家に急いだ。



「ちょっと待って!」

「え!?」


クオリアは秀夫の左手を掴み、引き留めた。


「君は……一体誰?」



「そう。

あなたにも……私が見えるのね?」



「見えるよ。 長い髪の女の子だよね?」



「そう!」



「それで君の名前は?」



「私はク……、いや、キー」



「キイって言うんだ。珍しい名前だね。

ボクは秀夫。福 秀夫。

キイさんは松の友達かなにか?」


「はい。私は松さんの友達だったんです」


「だった?

どういうこと? 松と喧嘩でもしたの?」



「違うんです。実は、松は、松は……、

グスン」



「ちょっとキイさん、泣かないで!

落ち着いてからでいいから、後で訳を聞かせて」


秀夫はクオリアから、自分が島にいない間の松との思い出をたくさん聞いた。

松の兄である秀夫が大好きな妹の死の知らせを聞いて、嘆かない理由など何一つ無かった。

「くそ~!!!」

秀夫は自分の不甲斐なさを責め続けた。


「あの時、暴力沙汰を起こさずに、松との約束の日に帰れたならば……、ボクは松と再会を果たすことが出来たのに~!!


あの時、暴力沙汰を起こさずに、松との約束の日に帰れたなら

ば……、ボクは松にしっかりとした治療と、沢山の栄養を与えてあげることが出来たのに~!!

そして、そうすれば、松は死なずに済んだかもしれないのに~!!


くそ!くそ!くそ!ボクのくそったれー!」


秀夫はおでこが血だらけになるまで、

ひたすら地面に何度も何度も頭を激しく打ち付けながら、

自分の不甲斐なさを呪った。



「松のお兄さん、あの~。……あの~?」



「グスン。恥ずかしいところみせちゃって

ごめんね、キイさん」



「お兄さんの気持ちは、私には想像も出来ないくらい、

さぞかし辛いでしょうね。

実は私、生前の松からお兄さんに渡すように頼まれているものがあるんです。

受け取ってもらえますか?

これです……」



「なに?……木彫り人形?

松がこれをボクにこれを?」


「はい」


「アハハ、顔が本当に松そっくりじゃないか。届けてくれてありがとうね、キイちゃん」


「そんな、よしてください。

私にはこんな事しか出来ず、すみません」


「いやいや、キイさんには感謝してるよ」


「あり……」

「しっ!」

秀夫はクオリアの言葉を遮った。


「ごめんね、キイさん。

実はさっき何かを感じたんだ!」


秀夫はクオリアに一言そう言うと、

誰から言われた訳でもなく自然と目を閉じ、そして松の形見の人形を両手で抱きしめた。


すると……、

不思議なことに、秀夫と松の幼い頃の思い出がたくさん溢れてきた。

秀夫はしばらく、目を閉じ松との温かい思い出の数々に浸っていた。


その後、

秀夫は松の分身を埋める為クオリアと一緒に海が見える眺めのいい丘に行った。

そして、松の形見の人形の内の一体を土に埋めた。

しばらくその場に腰を据えてじっとしていると、

秀夫は急に強い睡魔に教われ、

そして永くて素敵な夢をみた。


その夢の中では秀夫はイワンと呼ばれ、

松は真智と呼ばれていた。


夢の中で秀夫と松は神社で仲良く遊んでいる。

そして、なぜか秀夫は松の大切な人形を必死に探していた。

そして、必死に探した挙げ句、やっとみつけて、

松に渡すことができた。


松は泣きながらすごく喜んでいた。

秀夫はこれが夢だともちろんわかってはいたが、

それでもとっても嬉しかった。



『ありがとう、松』



『ありがとう…………お兄』




あれから数年が経ち、

松の遺体は一旦掘り返された。

骨だけが遺された彼女の遺体は、

両親の手によって綺麗に洗骨をされた後、

再び骨壺に納められ海に面した海岸の洞窟へと運ばれた。



クオリアが松の命日にあの海が見渡せる丘へ行ってみると……。

すると、その丘で不思議な事に遭遇した。


松の風葬で使われたその丘。

今は村の子供達が無邪気に遊ぶ広場になっているその丘。

二人が人形を埋めていたその場所の辺り一面には、

綺麗なアマミエビネの花がたくさん咲いていた。



「お兄さ~ん!」

クオリアは秀夫を呼びに家まで急ぎ走った。












































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