第5話 映画『十二人の怒れる男』の真犯人は誰か、それと芝居の問題(古典部シリーズ)

 物語部の部室で、1年生の樋浦清(ひうらせい)・市川醍醐(いちかわだいご)・立花備(たちばなそなえ)は雑談をしていた。

立花備「こないだ、シドニー・ルメット監督の『十二人の怒れる男』を見たんだけどさ」

市川醍醐「なんか備くんの話って、いつも昔の映画の話ではじまるんですね。何度も映画化・テレビドラマ化・舞台化された、お金のかからない名作で、十二人の陪審員が被告の無罪で意見が一致するまでの面白い映画です。シドニー・ルメットの作品は1957年にアメリカで、1959年に日本で公開されたんですね」

立花備「まあそういうウィキペディアみたいな説明はいいから。市川、お前あの殺人事件の真犯人、わかった?」

樋浦清「え、あの映画って真犯人がわかる映画だったっけ?」

市川醍醐「もちろん。最後まで被告の有罪を主張する3番の男の息子ですよね。いつもひどい目に会っている容疑者を助けようと思って、3番の息子はつい容疑者の父親を殺して逃げてしまう。容疑者の少年はもう、その子とは仲よしだし、むしろ自分のようなやくざ者が、その子の罪を背負って死刑になったほうがいいと思ってるんですよね」

樋浦清「あっそうか、3番、つまり真犯人の父親は、電話か何かで息子から話を聞いて真相を知っていて、息子をかばうために合理的な疑いを認めない。最後に泣くのは、息子とその友人の少年のための涙なんだね! すごいいい話じゃん」

立花備「そこらへんはまあ、お前ら素人にも推測はできるだろう。だが真相は違う」

 立花備は説明をはじめた。

     *

 本当は9番の老人がプロの殺し屋で、依頼を受けて、誰が犯人かわからないように殺したんだ。

 あんな飛び出しナイフは特殊なようでも実はどこでも誰でも買えるようなものだし、飛び出しナイフを扱い慣れてると思われないように、わざと上から下に刺した。

 8番の話を聞くことにしよう、とまず言いだしたのは、なんともかんとも自分の力では容疑者の無罪を証明することが難しいんで、この人だったら何とかしてくれるかも、と思ったんだよ。

 8番が少年を無罪にする原因が「真犯人を知っている」じゃなくて「犯人とする根拠がとぼしい(有罪に疑問を感じた)」だったんで、ああ、これなら大丈夫、俺を犯人とは思ってないな、って。

 老人に金を出したのは経営者ではなく、貧しい労働者である5番・6番・11番の人。サービス価格で老人は引き受けた。その3人は老人の言動から察して、途中で意見を変える。

 5番の働いている工場は雷の製造と販売をしていて、6番は窓の外の壁に、いかにもそこから見えるようなビル街を描いて(嘘だと思ったら映画見なおしてみるといい)、11番は2番がはかる時計を、少し遅くなるように細工した。

 映画の中では「41秒」って言ってるけど、実際にはその場面の時間をはかると31秒なんだ。

 まあこのあたりは嘘だけど、ラストの、部屋を出てからの9番の行動には意味があると思うんだよね。

 9番の老人は8番の男に声をかけ、名前を聞き、自分も名乗る。

 これは「今度なにかやるときには、この男には用心しよう」って気持ちだな。

 さらに最後のショット、裁判所から出てきて雨上がりの路上、一番最後まで映画に写るのは、その9番の老人。

 これはもう、この映画の犯人ではなくても、主役は8番じゃなくて9番だってことは誰にだってわかる。

     *

樋浦清「どうしてこう、備の説明って説得力あるのよ」

市川醍醐「あー、でも最後に写るのは9番が印象的なんですが、実は3番が最後の最後に、ちょっとだけ写るんですよ。それに関しては三谷幸喜と和田誠の対談でも言及されてます」

立花備「マジで?」

樋浦清「その「マジで?」ってのやめてもらえないかなあ」

市川醍醐「なお、ぼくはこの話の舞台化に興味を持ちました」

 市川醍醐は説明をはじめた。

     *

 この話は場所固定で、キャラの性格づけもしっかりしていて、そんなに長い話じゃないんで、舞台(芝居)としてやってみたがる人がけっこういるんですが、実際にはなかなか難しいんじゃないかと思ったんです。

 奥を窓にして、長いテーブルを置いて十二人座らせる、というのはいいんですが…そのうちの5人が「観客席に背中を向けた姿勢」になっちゃうんですよね。

 で、この話の重要なやりとりをしなければならない8番(ほぼ主役)は、最後まで基本姿勢が、観客から見るとうしろ向き。

 映画のほうは、そこらへんぐるぐる回る撮り方してて、話している人のアップも効果的に入れてますが、背中向けてしゃべる人はいません。そのせいで、はじめの何分かはなかなかみんなの座っている位置が把握できない、という問題もありますけどね。

 どうもうまい考えがないんですが、舞台化の場合はこんなのはどうでしょう。

 1番の人が、

「それではここで休憩をします。えー…お客様には申し訳ありませんが、こう、お客様が座っております席のほうを後半は窓、ってことにしますんで、いいですね?」

 とメタ発言をして、180度席を変えるんです。

 音楽はドリフターズの例の奴で。

 実はこれを芝居にするなら、部屋の中の人たちがしょっちゅう窓を向いて話してるんで、「観客席が窓」のほうが演出的にはいいかもしれないんですよね。

「ほら、雷の音が聞こえてきた」「そりゃお客さんのいねむりだろ」「でも稲光が」「たんなるハゲのお客」

 とか、くだらないことも言えるし。

     *

樋浦清「面白いよそれ! で、アニメ『氷菓』の舞台化だったら、古典部はどうするの?」

市川醍醐「窓側のほうを観客席とします。千反田える役の人が最初に着席するので、舞台の向かって右側の手前の席、折木奉太郎役の人はその向かい、福部里志役は千反田さんの隣り、伊原摩耶花役は奉太郎くんの隣りかなあ」

立花備「でも、アニメの場合は割と、奥を窓側にした構図が多いけどな」

樋浦清「じゃ、じゃあ、私たちの話を舞台化するとしたら?」

立花備「アニメにもなっていないんだから、それは無理だろ」

     *

 このテキストはでたらめです。

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