2ー17

退部届

そう記された書面をぼんやりと眺めていた。


でも、自然な形の、波風立てない退部の理由はどれだけ考えても浮かばない。


気分転換に散歩することにした。

授業も部活も無い休日。基本的にどこに出掛けようが自由だが、よほど浮かない顔をしていたのか、管理人のおじさんに引き留められた。


「ちょっと待て。その、なんというか、顔色が悪いようだが、どこに行くんだ?」

「最近、気分転換できてなかったので、近くで買い物でもしようかと…思いまして」

「そ、そうか。あ、そういえば、あの子は一緒じゃないんだな?」

「忙しいみたいで…」

「そっか。まぁ、気をつけてな。門限までには帰ってこいよ」

釈然としない感じだったが、すんなり通してもらえた。


寮から出たものの、行く宛などない。


家にでも帰ろうかと思ったが、兄と顔を合わせたくなくて、すぐに候補から消した。


買い物と言っても欲しいものが買えるわけではない。私は博。ウインドウショッピングするのも憚られる。


宛もなく電車に乗る。降り慣れた地元の駅で降り、なんとなく気の向くままに歩いていく。


気がつくと私は地元の中学校近くの通学路に居た。

大会があったあの日、私はここで誰かを目撃した。妙に気になったことを覚えている。

しかし、今日はその姿は見えない。


何気ない風景や光景が妙に気になることは珍しくない。


この通学路の近くでは、特に不思議な感覚に陥る。

絶対に私の記憶ではない風景や思い出が溢れ出るように脳内で再生される。

それと同時に走馬灯のように様々な記憶が雪崩れ込んで来るが、どれもこれもどうでもいいような日常の一場面。



通学路…

中学校…

心残り…


後悔…



どれだけ考えても、私には何も浮かばない。


目の前の角を曲がる…

次の角は右。

次は左。


ふと、なぜこんな道を選ぶのだろうかと考えてしまった。


私の直感で選んでいるはずなのだが、何かに操られているようにも感じた。


私が進む道の先に何かがある。そんな気がする。

それを見たい自分が居るが、それを見たくない自分も居る。



視線を遠くに移すと、後輩だろうか。見慣れた制服を来た女子が通りかかる。


彼女は信号待ちをしている。

別に変わった風景ではない。ありふれた光景だ。


依然として私は操られるように道を選んでいる。どこにたどり着くのかは正直わからないが、地元だから迷うことも無いだろう。


そう思って、私もその信号で立ち止まり、待つことにする。



何を?


青になる瞬間を…


青になったらどうする?


当然渡る。


それはダメだ


なぜ……?


私ではない誰かの声が聞こえる。その声に脳内の私は無意識に答えていく。


現実世界にあった意識は徐々に遠退く。

思考がぼんやりとぼやけていく。


この感覚に身に覚えはない。それが恐怖を呼び寄せる。

まさか、私はここで終わってしまうのだろうか?


そう思ったら、恐ろしく怖くて、そして痛かった。


あぁっ!あぁ!

声が漏れる。

異変を感じた周りの人たちは何事かと私を見る。


でも、止めたくても止められない。


遠退いた思考が写しだすのは、黒い大きな塊が私に向かって襲いかかってくる画だ。


これは夢だ。妄想だ。

そう言い聞かせても、身体は拒絶反応を見せる。


言葉では説明できない感情に私の自制心は完全に壊れてしまう。


ああああ!

パニックになって、叫んでしまった。

膝から崩れ落ち、うずくまる。



それを見ていた人たちは駆け寄ってくる。

「どうしたの!?」

「どうした!?」

「どこか痛いのか?」


その言葉に答えたくても答えられない。


頭がガンガンと痛い。


「ヒロっ!大丈夫!?」

そうやって駆け寄ってきたのは、中川さんだった。なぜ、彼女がここに居るのだろうか?


疑問に思うと同時に、見知った顔を見て、少しだけ気分が落ち着いた。


そのタイミングを逃すまいと、戸惑っている中川さんに向けて大丈夫と声を掛けた。


「大丈夫なのかい?」

「救急車呼ぶ?」

周りの人たちが駆け寄ってくれたが、どう答えたらいいか分からず戸惑っていると、中川さんが代わりに対応してくれる。


「みなさん、お騒がせしてすみません。彼は大丈夫です」

落ち着いた風に装って、そう説明すると、周りの人たちは安心したようにした。


そこで離れていく人もいれば、依然として離れない人たちもいた。

できれば、大事おおごとにはしたくない。


「たまにあるんですよ」「慣れっこなので大丈夫です」と中川さんがあの手この手で伝え、ようやく人払いができた。


「大丈夫?」

中川さんは改めて私の顔をじっと見て訊いてくる。


「うん。でも、ごめん…中川さん…」

「うんん。いいよ。私こそごめん。一人にしちゃって…ヒロに頼まれてたのに…」

その言葉からは後悔のようなものを感じた。


「え?」

「思い詰めないよう見張ってくれって言われてたの」

「思い詰めないってば…」

「今の様子見て、それを信じれると思う?」

中川さんはいつになく真剣である。本気で心配してくれているのだろう。


「ごめん…。でも、これは思い詰めてたわけじゃ…」

「管理人さんがわざわざ私の所に来たの。なんかヤバい顔して出ていったって」

「そうだったんだ…」


「何かあってからじゃ遅いから、様子を見てくれって頼まれたから、急いで後をつけたんだ」

ここまで来させてしまったことに申し訳なく思いながらも、中川さんが居なかったどうなっていたか分からない。

「様子、見ててくれて、ありがとうございます…。中川さんが居なかったら、たぶんすごく困ったと思うから」

それを聞いた彼女は複雑な顔をする。

「…とりあえず、帰ろ」

「うん…」


それからは二人とも一言も喋らないままで、寮まで戻ってきた。


入り口には管理人のおじさんの姿があり、僕らを見るなり駆け寄ってくる。


「よかった…二人とも無事に帰ってきたな」

心の底から心配していたような口ぶりにとても申し訳なく思う。

みんなに心配させてしまっている。


「…でも、二人で戻ってきたってことは何かあったのか…?」

「いえ…私が話しかけただけです。後をつけるのストーカーみたいで嫌だったので」

平然と嘘をつく。私のことを想ってのことだろうが、あまりに自然な振る舞いに驚いた。

「そっか、そうだよな。すまんな変なこと頼んで」

「いえ。そのおかけで話ができたので良かったです」

中川さんは外で起きたことを語ろうとはしなかった。

私のことを話すのも憚られただろうし、先生に変な心配かけさせないようにしてくれたのだろう。


「二人とも、何かあれば言うんだぞ。一人で悩む必要は無いんだからな」とだけ伝えて、先生は去っていった。


少しだけ話がしたいからと中川さんを部屋に入れる許可を貰い、部屋に招く。


「あの時、何があったの?」

「変なこと思い出した…っていうか、頭に浮かんだんだ…」

「変なこと?」

「分かりやすく言えば、すごく怖い夢みたいなやつ…かな」

その説明は難しい。

彼女にうまく伝わっているのかは分からない。


「だから、叫んだの?」

「叫ばずにはいられなかった。我慢できなかった」

「……やっぱり病院で見てもらったほうがいいんじゃ…」

彼女の感覚は正しい。しかし、今の私が医師の診察を受けるわけにはいかないのだ。


「今の私の状況をどう説明したらいい?誰も理解してくれないでしょ。頭のおかしい人って思われちゃうよ」

彼女に当たるように言ってしまった。

その言葉は彼女に突き刺さったようで、反省するように

「…そうだね……ごめん…」と頭を下げられてしまう。


「いやっ、私こそごめんね…助けてもらったのにっ」と取り繕ったものの、空気は重くなってしまった。


二人とも黙り込んで、時計の秒針の音だけがむなしく響く。

室外からは部活に勤しむ生徒たちの声と寮で過ごす生徒の喧騒が響く。


今の私たちを表しているみたいだ。

誰もこの事象を説明できないし、理解もしてもらえないだろう。


世間から隔離されたようなものだ。

ドア一つ、壁一枚どころではない。もっと分厚く、見えない壁が隔てている。


そんなことを考えている中、考え込んでいた中川さんが沈黙を破る。


「…あのさ…その怖い夢みたいなものって、結ちゃんの記憶なの…?」

「…わかんない…けど、多分私の記憶も含まれてると思う」

「…そっか……」


「どうして?」

そんなことを訊くのかと質問してみる。


「ヒロの妄想とか、テレビ番組の記憶とか、そういうの見ちゃったんじゃないか…って思ったんだけど――」

私の思い過ごしであってほしいと願うようだった。


「…正確には分からないけど、あれは妄想とかそういう類いのものじゃない……確かな記憶…。でも、過去にそんな記憶はないから、おそらく入れ替わりが関係していると思う……」

それを聞いた彼女は我慢できなくなったのか、感情を表に出す。


「なら……、それならっ、ヒロはどうなっちゃうの…?どっちかが死んじゃうんだよねっ?悪い夢って、そういうことだよねっ?」


「また誰の記憶とも分からないから、決めつけちゃダメだと思う…。とりあえず、お兄ちゃんには話さないで……」

「ヒロたちに、一体何が起こるの…?」

彼女は絶望の淵に立たされたような顔をする。

「ねぇ……教えてよ……ヒロはどうなるの……」

彼女の心はここにあらず、という感じだった。


「そんなのわかんないよっ。自分たちのことのはずなのに、全部ぼんやりして、何がなんだかわかんないんだよっ!」

中川さんは何も悪くない。

でも、私も感情的にならずには居られない。


でも、口にした瞬間に後悔した。

彼女の目から涙が溢れたからだ。

「あ……違うの―」

「ごめんなさい――」

その瞬間、チャイムが鳴り響いた。

タイミング悪く、二人の会話を断ち切った。


その間が私たちの心情を落ち着かせた。


「わ、私、そろそろ行くね……」

「えっ、あっ、待ってっ」

中川さんは私の弁明を聞くことなく、逃げるように部屋を出ていってしまった。


残された私は、ただただ立ち尽くすしかなかった。

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