2-3
切り出したいと思っていたのに、切り出せずにいる。
結局、寮に戻る日まで話せなかった。
朝から母が掃除をすると言い出したものだから、それぞれの部屋を片付ける羽目になった。ゆっくりできそうにない。
母は一階を掃除しているため、自分の部屋を片付けることができた。
入れ替わってからは無用な代物も多く、結として生きる彼に役立ちそうなものは渡した。
その代わりに渡されたのは一冊の本。
「愛読書。もういらないし…」
それはファンタジーものの小説で、幅広い世代から支持されるベストセラー作家の処女作。
名前は知っていたものの、読んだことはない。
別に興味は無いし、本を読みたいなんてことを言った覚えもない。
「なんで、これなの?」と尋ねる。
「だって、暇だろ?うちの寮、何もないし…」
その答えに納得した。確かに兄の部屋には何もない。
本や雑誌さえも無くて、暇を持て余していたところだ。
「確かに。あの部屋何もないよね」
「悪かったな…」
そんな、どうでもいいような会話しかできず、出発の時間を迎えた。
「いろいろ大変だろうが、頑張ってな」
兄が真面目なトーンで言う。
「そっちも、がんばって。それじゃ、また何かあれば連絡するから」
と彼に伝えて、家を後にする。
結局、伝えるべきことは伝えられずじまいになってしまった。
改変と呼ばれる現象のことだ。
当たり前のように学校内では私が悪いことになっている。
謹慎期間が終わり、中川さんとは以前と同様に会話ができるようになった。
しかし、クラスメイトや部活の仲間たちは距離を置いたまま。
そんな、周りの反応に少し気持ち悪く思いながらも、肩の荷が降りた感もあった。
兄を自然に演じなければならない。そういうプレッシャーから解放されたからだ。
あいつとは、あれ以来会っていない。
校内ですれ違ったり、そういうことはよくあるものの、向こうから避けられているようだった。
顔を見るなり逃げてくれるのは、むしろ歓迎だ。
部活のことを気にしなくてよくなり、ついて行くのに苦労している勉強面に集中することができた。
勉強会と名付けられた二人だけの時間が、日に日に増えていった。
自習スペースの机は間仕切りのあるタイプで、二人で使うには手狭。自然と肩と肩が触れるほど接近する。
花火大会以来、異性として意識せざるを得ない。彼女は兄が好き。私への好意ではないはずなのに、体は自然と反応してしまう。
「ここは、この公式を使って-」と教える彼女の息づかいにドキドキが止まらない。
「どうしたの?」
「えっ?あっ、いや、なんでもないよっ。こ、これはこうだよね?」
「うん…」
なんとか勉強は頭に入れたものの、会を重ねるごとに彼女との接し方が分からなくなっていくような気がした。
それは彼女のほうもだったのかもしれない。
テストの一週間前にこう言われたのだ。
「だいぶ、分かってきたみたいだし、勉強会はこれで最後にしよっか…」
きっと本意ではないのだろう。どこか浮かない顔をしていたと思う。
でも、そんな表情が余計に気まずくさせてしまうのだ。
結局、その日以来、個人で勉強するようになった。
二学期の中間試験をなんとか乗り切った頃、本当の私が出場することになった大会が待っていた。
私の晴れ舞台。たとえ、中身が自分でなくても、その姿を目に焼き付けておきたかった。
ーーーー
何度か立ったことのある舞台。でも、今は博としてではなく、結として出ている。
絶対ビリになれ。
そんなお達しを思い出しながら、順番を待つ。
ふとスタンドに目をやると、見に来ていた彼女を発見した。
手を振ると振り返してくれた。
結や陸上部の友達が見つめる中、いよいよ自分の番が回ってきた。
号砲とともに走り出す。
一気に歓声が上がる。
手を抜く、抜かないという問題ではなかったようで、スタートと同時に遅れを取った。徐々に引き離され、最後は結構な差で負けた。
男女で差があったとしても、そこは大会出場者。並の選手では男性であっても負ける。
負けるのは正直悔しかったが、要望通りのビリになることはできた。
結果は甘んじて受け入れたつもりだったが、
「ドンマイっ」
「相手が悪かったよ」
陸上部の仲間たちはそうやって励ましてくれる。
環境や人に恵まれたのかもしれない。たまたま、アットホームな雰囲気だっただけかもしれない。
でも、確かに結は愛されている。
僕はそうではなかった。
そう思うと、なぜか涙が出てきた。
「だ、大丈夫?」
近くにいた部員に見られてしまった。
「大丈夫。最後って思ったら、なんか悲しくなっちゃって」とごまかした。
変なことは考えまいと、スタンドに居る彼女のところへ向かった。
グラウンドをボーッと見つめていた。
「お前の言った通りにしたぞ」
「必死だったくせに…」
とからかってみせた。その発言に少しだけ安心する。
「ちょっと手加減が過ぎただけだ」と反論しておいた。
ただ、それについての返答は無かった。
代わりに
「…ありがと…ここに連れてきてくれて…」と珍しく素直に感謝した。
よほど嬉しかったのだろうか。
「そう言ってくれると嬉しい…」こちらも素直に答えてやる。
ただ、その後の会話は捗らず、
「じゃ、私は寮に戻るね」と立ち上がり、帰っていった。
どうしたのだろうと心配に思いつつも、どうすることもできなかった。
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