2.二人の過去

2ー1

夏休みは中盤へと差し掛かる。

俺が予定していたよりも早く帰ってくることになった。


例の事件が原因のひとつでもある。依然として、こちらが加害者ということになっている。

この件については、あれ以来、話を聞けていない。

帰省している間に聞き出せたらと思った。


これから本物の自分と相対すると思うと、すごく緊張してくる。

向こうも同じ感情なのかもしれない。

いい加減な姿は見せられないため、身だしなみを整える。


この日のために毎日、少しずつ部屋を片付けておいた。

帰省中、妹は僕の部屋を使う。両方とも綺麗にしておかないと何を言われるかわからない。



「ただいま」

予定通りの時間に帰ってきた結。

僕と出会っても、戸惑うことはなく挨拶を交わす。

「おかえり…」

俺は自分と再開し、少し戸惑った。

自分が自分でないことを改めて思い知らされた形で、軽くショックを受けた。


「どうした、んだ?」

彼女は言葉に気を付けつつも、不思議そうな顔をした。

仕草も雰囲気も妹そのもののように思えて、そこで中身が妹であることはなんとなく分かる。鞄を両手で持っているところや内股気味になっているところは妹の癖が出ている。

「いや…なんでも……」


「意外と女の子らしくしてるんだ…な」

「ま、まぁ…一応……」

「あら、帰ってきたのね~おかえり」

背後から母の声が聞こえてきた。母は普通に応対する。

例の件については何も言わないし、雰囲気がどことなく変わったであろう博に何の違和感も感じていないようだ。


「う、うん。ただいま」

「まだご飯まで時間あるし、ゆっくりしたら?」と言いつつ奥へと戻ってしまった。

「うん……」という彼女の返事だけが玄関に響く。

二人きりになり、少しの間、二人とも沈黙する。


どう切り出そうかと迷っていると結のほうから切り出した。

「あのさ……ちょっと私の部屋で話そっか?」

「そうだな」と返事をしつつ、僕が荷物を持ち階段を上がる。


部屋に入るなり、キョロキョロ見渡す彼女。気になっても仕方ないだろう。

「何もしてないよね…?」と尋ねてくる。

「掃除はしたけど、何もしてないよ…」

「…とりあえず、安心した…」

何をされそうだったのか訊きたいところだが、今はそれよりも訊きたいことがある。


ただ、やはり切り出し方がわからない。

提案した彼女も、同じく黙り混んでいた。


最近、まともに会話をすることなんてなかったし、こんな状態では世間話の類いも出てこない。

「そ、そうだ…」

「何?」

「訊きたいことがある」

「な、なに?」

「喧嘩の件だ」

その気があるなら、これをきっかけに打ち明けてくれるかと思った。

しかし、彼女はうつむいて口を開かない。


「なんで殴ったことになってるんだ?殴ってないんだろ?」

「いや……」

否定はするものの、はっきりとは答えない。


「何か訳があるなら、話してくれ」

「いや、何もないよ…。本当に殴ったの…私も殴られたけど…」と今度は答えた。


歯切れの悪い答えだが、これ以上は何も話さないだろうと思い、話題を変える。

「大会は…出れないのか?」

「うん…ごめん……」

「別に謝らなくてもいいよ。出れなくなったというのは、むしろ好都合だろ?」

「まぁ…そうだね」

すべてにおいて、歯切れか悪い。帰ってきた時とは様子が違う。


「その……なんか、あったか?」

「何もないから」と今度は普通に答えた。


「そっか……」

そこから、会話らしい会話はできなかった。自分も相手も話題が無いのだ。

「なんかあれば、言えよ?」と言うのが精一杯。

「そっちのほうこそ、ちゃんと報告してよ」との返答に「分かった」と返すことしかできなかった。


初めて面と向かって話す。

自分が目の前に居て、その自分は妹の口調で喋っている。


その光景に戸惑わずにはいられない。


「結~、ちょっと手伝って~」

「あ、はーい!」

「あ、うん!」

母が下から呼ぶ。それに二人とも反応してしまう。向こうには聞こえていないだろうが、注意しなければ。


「あっ…そうだった…」と目の前の僕は恥ずかしそうにして、「気をつけないと、返事しちゃうね…」とどこか切なそうな表情で続けた。


「気をつけろよ。じゃ、行ってくる」と言って足早にリビングへと降りる。



ーーーー



彼が出て行った後、何とも言えぬ感情になった。

この家でなら、私は私に戻れると思っていたが、私は兄で、兄が私。それは何も変わらない。


これに変わりが無いことを思い知り、見慣れた景色も何か違うものに見えてしまう。

ベッドも勉強机も、クローゼットも。私でない誰かのものに見える。


どうして、こんなことになってしまったのだろう…。


命の危機…


私はもうすぐ死ぬのだろうか。

私が私で居れないまま、死んでしまうのだろうか。


改めて、そんなことを考えて、急に不安になる。


あなたが…本当の結さんなのね…


「えっ!」


振り返ると若い女性が私を見つめていた。


「誰?」

その問いに平然と答える。

「私は天使よ…。正確には彼を監視する使者…」

普段であれば、絶対に信じることはないだろう。

「あなたのところにも居るはずでしょ?」

私のところにも確かに居る。だから、彼女の存在も受け入れられる。


「あの…聞きたいことがあるんですが…」

「何?」


「私の命…危ないんでしょうか…」

一番気になることを訊ねる。


複雑そうな顔をして口を開く。

「それは分からない…」

「そうですか…」


「私も訊きたいんだけど、いいかしら?」と使者は訊ねる。


「改変が行われたのは私も彼も把握してるわ。意図までは聞かない。でも、あなたの意志でそれを許可したのか、それだけは聞かせて」


「…私の、意志です…」

その返事には悩んだ。しかし、「改変」という聞き馴染みの無い言葉で不安になり、正直に答えた。


それを聞いた彼女は「そう…」と返事をして、黙りこんだ。


「あの…。どうすれば、解決するんですか?」

「…そ、そうね…」と頭を整理しながらも説明を始めた。

「彼からも聞いていると思うけど、互いなのか、どちらか一方なのか分からないけれど、相手が相手を強く念じることでこの現象が起きているのよ。今もその念は強くなっている」

その内容は初耳だった。何で話してくれなかったのだろうか。

「その念を無くせば、解決するということですか?」

「簡単に言えばそうね」


ひとしきり考えてみたものの思い当たる節は無い。

ふと、天使の姿を探したが、気づかぬうちに消えていた。


なんとなく部屋を見渡し、本棚に並んだ背表紙たちを指でなぞる。

つい先日まで日常風景だったはずなのに、何か目新しさを感じた。


そこに一冊のノートが挟まっていた。

手に取ってみると、表紙には拙い手書きの文字で“ダイヤリー”と書かれており、括弧書きで6年前の日付が添えられている。


パラパラと捲ってみると、途中まで1ページたりとも欠けることなく、日記らしき文面が記されていた。


自分のものもはずなのに、なぜかその頃の記憶が思い出せない。


不思議に思いつつ、最初から読んでみた。



5月17日…

ずっと読んでいるとその日付を最後に途切れている。


前日の日記は普通に書かれていて、特に最後を匂わすような記述もない。


少し考えを巡らせていると、

「お兄ちゃん、ご飯できたよー」と下から声がする。

「あ、あぁ、すぐ行く」と返事をして、日記を戻した。


その後はいつも通りの家族団らんが続いた。

晩御飯の片付けは二人でやることになった。


「あれ、博はいつから家事をするようになったの~?前はどれだけ言っても、食器すら片付けなかったじゃない?」

しまったと思いつつも、「あ、いや、寮暮らしで癖がついたんだよ」と誤魔化す。

「…こ、こういう時くらい手伝ったら?って私が言ったから…だよね?」とフォローしてくれた。

「そういうこと。なら、よろしくね~」と怪しむことなく、むしろ、嬉しがって、母は家事を放棄した。


「あっ、先にお風呂入ってきなよ。お兄ちゃんに手伝ってもらうから」


「そう?なら、一番風呂頂いちゃおうかしら」と特に怪しまれることなく、それを受け入れた。


母がお風呂に入ったことを確認してから、声を潜めつつも話を始める。

「フォローありがと。目の前に自分が居るのに、つい結のつもりでやっちゃう…」


「まぁ、仕方ないだろ。久しぶりの家だし」


「日頃から手伝ってるの?」

「あぁ。まぁな」となぜか照れながら答える。

「ちゃんと、結をやってくれてるんだね…ありがと」

そんな言葉に照れ臭そうにして、

「偽物だけどな…」と呟いた。


偽物というワードが兄の口から聞けたことが、なんだか嬉しかった。

「…ふふ、そうだね…」

「なんだよ?」

「いや、何でもない」と誤魔化して、家事を進める。


ずっと引っ掛かる、入れ替わり現象について話してみた。

「あのさ…」

「なんだ?」

「どちらかが…死ぬんだよね…?」

「い、いきなりなんだよ!?まだ、決まった訳じゃない」

彼は酷く戸惑った。

「でも、入れ替わりとか、使者とか、そんなのが無関係とは思えないよ…」


「かといって、解決の術は見つかってないんだ…」


「そのことなんだけど、なんで、言ってくれなかったの?念のこと」

「まだ話す段階じゃないと思ったからだ…でも、なんでそれを?」

「お兄ちゃんの使者とさっき会ったの…それで、聞いた」

「あいつと会ったのか!?」

「向こうから話しかけてきたから…」

「そうか…」


「あのさ…」

「なんだ?」

次の言葉を口にしようと思ったその時、リビングの扉が開かれる。

「あ~気持ちよかった~」

「あ、か、母さん…」

「ん?なに?」と不思議そうにこちらを見る。

「い、いや、早かったなって思って…」と誤魔化す。


「だって、博がいるんだから、長風呂しちゃったら悪いじゃない?」

「べ、別に、気にせず、ゆっくり入れば良かったのに…」と会話を続けたが、それは兄が絶対言うことのない言葉だ。

「博…」

母は驚いたようにこちらを見つめ、目を輝かせて

「寮暮らしで母のありがたみが分かって、敬うようになったのかしら?お母さん、嬉しいわ~」とこちらに歩み寄り、抱き締めようと迫ってくる。


「あっ、お母さん、これ、どこにしまうんだっけ?」

「えっ?あぁ、それはこっち―」

兄が話を逸らしてくれたおかげで、抱き締められることは逃れられた。

その後、発言に気を付けろと、兄に厳しく言いつけられたのは言うまでもない。


作業が落ちついたのを見はかり、母は私を風呂入るように促す。

「博、入ってきなさい。結は後でいいでしょ?」

「う、うん…いいけど」


こうして、先に風呂に入らされたおかげで、話の続きはしづらくなってしまった。


まだ猶予はある。

明日、改めて話をすればいいのだが、できれば、話の流れで切り出したかったのにと思った。

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