1ー7
「ちょっと兄さんな…態度の悪い先輩に捕まっちまったみたいでな…」
電話口で寮長が事態を説明する。
「な、何があったんですか?」と知らない体で話を聞く。
「まぁ、大したことはないんだが、喧嘩しちまったみたいでな……まぁ、お兄さんは悪くねぇと思うし、怪我も軽いから心配するな。後で親御さんにも連絡する。とりあえず、時間を置いて連絡してくれるか?」
「わ、わかりました。ありがとうございました……」
そう言って、こちらから切った。
なぜ、そんなトラブルに発展してしまったのだろう。
頭に血が登ると手がつけられない状態になることもあるが、彼の挑発に乗るほど喧嘩っ早い性格ではないはずだが……。
メールを送ってみたものの、連絡らしい連絡は来なかった。
そのまま夜になり、晩御飯の食卓でその話題が挙がった。
「お兄ちゃん、喧嘩したんですって……しかも、相手の子に怪我を負わせたみたい…」
その言葉に驚いた。何かの間違いではないかと思った。
電話越しで本人や先生から聞いた話では、一方的にやられたような言い方をしていた。
「えっ、お兄ちゃん、何したの?」
詳しく聞くことにした。
「先輩と言い争いになっちゃって、殴り合ったみたいなの。お兄ちゃんも怪我したんだけど、相手のほうが大きな怪我しちゃって……。その上、怪我させたことを認めようとしないみたいなのよ。はぁ…そんな子じゃないって思ってたんだけど……どこで育て方を間違えたのかしら…」
「な、何かの間違いだよっ。きっと、お兄ちゃんにそんな度胸ないよっ!」
本物の妹でも言いそうな台詞が自然と出てきた。
「それならいいんだけどね~」
それ以上のことは分からないらしく、そこで話は終わった。
なにやら、おかしな事になっているようだ。入れ替わりと何か関係があるのだろうか。
例の「天使」に訊けばわかるかもしれないと考えた。
部屋に戻り、昼間に出現した辺りで呼んでみる。
「…そんなに記憶を辿って、場所を探さなくとも、いつもあなたの声が聞こえる位置にいるわよ」
その声とともに背後に突然、人気を感じた。
「そうか……今度からそうする。それより、おかしな事になってるようなんだが、入れ替わりと関係あるのか?」
その質問に神妙な面もちで答えた。
「ない……と言えば、嘘になるわ。それを誰が何のために行ったかは分からない。だけど、私のような天使が改変を行ったことは確かよ」
「そんなこと……できるのか」
「当たり前よ。私は天使。文字通り、天の使いよ。狭い範囲でなら、人々の意識を変えられる。あなたの周りでも同じことは起きてるわ。改変ほど大きなものではないけどね」
「なっ!何なんだよっ?」
「親友さんに打ち明けた時、物わかりが良かったでしょ?不自然に思わなかったのかしら?」
確かに物わかりが良いとは思ったが、まさか彼らが細工をしていたとは…。
「当たり前のようにできるってことか」
「その通りよ。でも、多くを巻き込むようなことをするためには、入れ替わりに関わる人間とその管理者の意志が合致しないといけない。もちろん、天使が勝手に行うこともできるけど、大きな罰が下るわ」
「……意志が合致した時…ということは……本人もそれを望んだということなのか?」
「おそらく、としか言えないわ」と言って、俯く。
「どうしたらいいんだ……このままじゃ、妹は…」
「どんなに厳しい状況に置かれようとも、何もできない…というより、するべきじゃないわ……。関われば、それ相応のリスクを伴うことになるわ。下手をすれば、もっとややこしいことになりかねない。変な気を起こさないでちょうだい」
「そんなことはしない。それより、訊きたいことがある」
「なに?」
「その改変ってのは……代償みたいなのがあるのか?」
「……」
ここまで饒舌に喋っていた天使が、急に口を
「どうなんだ?」
もう一度尋ねると、ぼそりと言った。
「3分の1…削られるわ……」
「3分の1も……削ってでもやりたかったのか……?」
「ただ、天使が勝手にやったという可能性もあるわ。それが本人の望むことと判断し、勝手に改変を行った。事後承諾が取れれば問題無いわけだから」
「それなら、代償はっ?」
「本人が承諾しない限り、保留されるわ。まだ本人は詳しく知らない可能性もあるから、下手に詮索しないことね」
「わかった…」
それを聞いて、天使は去っていった。
疑問と不安とが入り混ざる。
対処法が見つからない以上、様子を見ることしかできない。
とりあえず、「大丈夫か?」とだけ記してメールを送信した。
ーーーー
一通のメールが来た。
送り主は兄。
たった一言のシンプルなものだった。
どう返答したらいいか分からず、すぐには返信できなかった。文言を考えながら、外を眺めていると、とある男子に目が留まる。
一人の男子がグラウンドの隅で騒いでおり、それを面白がるようにからかっている男子が二人居て、それを遠巻きに見ている生徒が数人居る。
その男子たちは、
「違うんだよ!俺はよその奴に殴られたんだよ」
「お前、まだ言ってんの?どうしたんだよ急に?あいつに、なんか弱みでも握られてんの?」
「違う。俺は……ちくしょう…なんでこんなことになるんだ?あいつより、六高のやつらをのほうが悪いんだよっ」
などと会話をしている。
喧嘩をふっかけてきた山本が嘆いているのだ。
「調子乗ってたんじゃない……?」
「あーあ。期待してたのにな~」
「てか、後輩にボコボコにされるとか……あいつもあいつだよ……」
「ま、自業自得でしょ……」
遠巻きに見ていた他の生徒たちの声も聞こえてくる。
私が悪く言われていて、彼も後輩相手に返り討ちにあったみっともない奴だと言われている。
六高とは隣町の不良校として名高い学校。隔てなく生徒に絡み、いちゃもんを付け、金品を奪ったり、暴行したりということが多々ある。
ここの生徒もだいぶ絡まれており、校内で大きな顔をする生徒も、やつら相手には絡まれる方だ。
その六高の生徒にやられたと彼は嘆いているのだ。
これは運悪く誤解されたケースかと思いつつ眺めていると不意に声がする。
「…彼は…何やってるのかな?」
その声に驚いて振り返ると、15・6歳くらいの見知らぬ少年が立っていた。見た目からして、普通ではない。
グラウンドのほうを見つめていた私の背後にふっと現れた。いくら考え事をしていたとしても、人が入ってくればさすがに分かる。それに、学校の施設に部外者が入ってきていることからして異常事態だ。
微笑を浮かべる少年の、不気味な雰囲気に身構えたが、誰なのか訊くよりも先に口が動いていた。
「あんたの…せいなの…?」
その問いを聞いて、満面の笑顔で答える。
「そうだよっ。すごいでしょ!」
「すごくないわ……。それより、誰なの…?」
「ボクは君のことを管理する天使……クロとでも呼んでよ」
軽い感じで挨拶をする。状況が飲み込めない。
「天使って……何?」
これが兄の言っていた天使かと思ったが、とりあえず、知らない体で話を進める。
「入れ替わった人と人を管理する存在…とでも言えばいいかな。と言っても、向こうは管轄外だけどね。そもそも君ら個人に興味はないんだけど」
目の前にいる天使と向こうの天使は別物だということが分かったが、“興味がない”という言葉が聞き捨てならなかった。
「じゃ、なんでこんなことっ!」
「魔が差して……って言うのかな…。とりあえず理由はないよ」と吐き捨てるように言う。
「ふざけないで!なにをしたの?どうして、あいつはあんな風になってるの?」
「ここから出て行った後、校外に居たヤンキーに絡まれて殴られた。そこまでは自然な成り行きだったよ」
「そのヤンキーたちに恨みがあるみたいでね~。学校にヤンキーにやられたと彼は訴えようとしていたんだ。そんなところに君の件も絡んできたから、これはチャンスと思ってね。少し遊んでやっただけさ」
「なんで、そんなこと…目的は何なの!?」
「君、大会のことで悩んでたでしょ?だから、出なくていいようにしてあげたんだよ。まぁ、君を助ける義理なんてないんだけど、これも何かの縁だし助けてあげたんだよ?」と笑ってみせた。
その言動に苛立ちを覚え、元に戻すようにと強い口調で言う。その言葉にコロッと表情を変える。
「でもさ、このまま加害者になってれば、大会出なくて良くなるんだよ?それに、あいつもしゃしゃり出てこなくなるかもしれないんだよ?完全な思いつきでやったけど、一石二鳥じゃん。僕ってば天才!」
急に真面目なトーンで私に尋ねたかと思うと、不気味な笑みを浮かべて自画自賛をする。
不気味を通り越して怖い。
「大会どころの話じゃなくなるし!」
「大丈夫だよ。夏休み期間中の自宅謹慎と原稿用紙2枚の反省文だけで済むから―」
あとは何も変わらないと、真面目なトーンで言う。まるで全て知っているかのように。
ただ、話の内容としては本筋からずれているため、すかさず反論する。
「そうじゃなくって!私のイメージ悪くなっちゃうってこと。それなら、大会でしくじるほうがマシよ」
「言ってなかったけど、ボクには分かるんだよ。君の未来がね…。だから、ボクはこのままのほうが良いと思うんだよね」と表情ひとつ変えずに言う。
「どういう、意味?」
威圧感のようなものを感じ、素直に彼のことを聞き入れていた。
「君はこの大会で惨敗するんだ。その結果、山本のパシりになるだけではなく、いじめに遭う……君もだけど、仲が良いあの子もねぇ~」
「え……」
「…それだけじゃない、部の期待を裏切ったことで、手のひらを返したようにみんなの態度が変わる…。今のようにね」
どうにも信じがたい。だが、あながち嘘じゃないのかもしれない。そう思ってしまう自分が怖い。
「そ、そんなの信じるわけないでしょ!証拠は?納得できる説明をして!」
「残念だけど、それはできないんだ…。でも、お姉さんはボクの力を知ってるでしょ?」
彼が校外のヤンキーに殴られ、それを学校に訴えたとして、学校はそれを私が殴ったことにするだろうか?
私のこれまでの態度からして、そんな解釈にはならないと思う。
解釈をねじ曲げなければ、私が悪者扱いされることは無いだろう。彼の仕業だと信じる他ない。
「どっちにしたって、みんなの態度が変わるわ!」
「今回の一件で学校全体のお兄さんの印象が少し悪くなる代わりに、あいつとの関わりも、陸上部からの期待も無くせるんだ。悪い話ではないでしょ?」
私の思っていることを、感づかれているような気分だ。
心の片隅でそう思っていた。この面倒な期待さえなければ、私に集まる視線から解放される。そうなれば、今よりはずっと楽になるはずだと。
「それで一件落着とはいかないわ。私は良くても、お兄ちゃんが……」
「はぁ…。分かってないね~。君が思う以上に、この少年への期待は大きいんだよ。君の知らない所で噂されてるんだ…。期待もあれば、嫉妬もある。そこで期待を裏切ったらどうなるか……分かるでしょ?」
「そんな……そんなの全然知らないわ」
信じたくない気持ちが口を動かしていた。
「…そもそもさ、お兄さんは、部の期待を良く思ってるの?」
その問いに自信をもって答えられない自分が居た。
「そ、そうに決まってるじゃない!陸上しにこの学校来たんだから」と苦し紛れに言ってみたものの、「それはどうかな…」と軽くあしらわれた。
話題を逸らされていることに気づき、話を戻す。
「と、とにかく!早くこの誤解を解いて!」
「まあ、1日考えてみなよ。明日、君の言うとおりにしてあげるから」とそこから去ろうとする。
「ちょ、ちょっと、待ちなさい!」
引き留めようにも、触れることのできない彼をどうすることもできなかった。
「どうしたらいいの、かな?」
静まり返る部屋に独り言が響く。
ひとりで考えていても答えが出るはずがないと分かってはいるものの、直接訊くというのは気が引けるし、中川さんは距離を置かれているため、話しづらい。
自問自答しかできない今、選択肢は一つしかなかった。
兄には迷惑を掛けることになるが、“彼”の言うとおりにしてみようと思った。
“彼”の言葉を鵜呑みにしているわけではない。現状、一番困っているのは大会のこと。それを自然な形で回避する方法は、今のところ、この選択しかないのだ。
次の日、彼は約束通り現れた。
「さて、どっちがいいの?」
「このままでいいわ。あんたの事を信じた訳じゃない。これが私にとって、最善の選択だと判断しただけ…」
そう伝えると少し口角を上げた。その表情が不気味で仕方ない。
「そっか……なら、頑張ってね~。あと、忠告しておくけど、君が本当のことを喋ると、ややこしくなって、もっと大変なことになるから。注意しなよ」
答えを聞き、用事は済んだと言わんばかりに逃げるように去っていった。
その直後、タイミングよく担任の先生がやってきた。
「そろそろ、頭も冷えただろう。事実を話してくれ」
その言葉に決心がつき、自然と口が動いた。
「はい…。彼と言い争いをしていた時に、カッとなって…殴りました……。手加減が出来ず、怪我させてしまいました…。反省はしています。本当にごめんなさい」
「そうか……。まぁ、向こうにも非があったということで今回は多目に見るが、相手が誰であれ、言動には十分気をつけなさい」
「はい……わかりました」
もう後戻りはできない。
「ただ、さすがに何も無いというわけにはいかない……」と前置きをした上で、処罰の内容を説明される。
彼の予言通り、夏休み期間中の外出禁止と原稿用紙2枚の反省文という処分が課せられた。
「とりあえず、実家へ帰れ。夏休みが終わるまで、そっちで過ごすといい。気持ちを切り替えて、新学期を迎えるようにな」と最後に言い、部屋を出て行った。
静かになった部屋で、改めて自分の行ったことを振り返る。
「これで…良かったんだよね…」
自分の決断に自信がないのもあるが、事実とは異なる自白をしたことがとても気持ち悪く感じ、不安感が増した。
とはいえ、もっと大変なことになるという彼の忠告が怖くて、本当のことを打ち明ける気にはならなかった。
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