1ー5

寮生活にも慣れた。


部活は無理をして足を痛めたと言って休んでいる。しかし、日常生活では普通に歩いているため、長くは持たないだろう。

顧問は出るものだと思っていて、大会まで個人で調整するようにと言われている。それを兄に伝えるべきか悩んでいた。


本来、大会になど出れない立場の私にとって、それは憧れの場所。秘密にして出てしまいたい気持ちが強い。


一度でいいから、あの場所に立ちたいと思っていた。仲の良かった部員の応援で行ったスタジアムの雰囲気にとても憧れたのだ。


そんな気持ちを抱えたまま、迎えた週末。

中川さんと出かけることにした。気晴らしになるからと彼女から誘われた。

見た目はデートだが、仲が良いのは周知の事実。他人の目を気にすることなく、寮から出ることができた。部活が休みのため、陸上部のメンバーに睨まれる心配もない。


電車に乗り、買い物に出かける。外に出るのは初めて。土地勘がないため、彼女に案内してもらった。


同い年の友達とはよく買い物に行くが、先輩との買い物なんて初めて。嫌でも緊張する。


私のことを気に掛けてか、女性ものの服やアクセサリーを扱う店ばかりチョイスして、私の様子をそれとなく伺っている。


「あっ、これかわいい!」と中川さんは好みの服やアクセサリーを見立てる姿を見て、反射的に私もそれを手に取るが、鏡を見て自分の立場を思い出す。


よくよく考えてみると彼女が居なければ、こういう店に入ることすら躊躇してしまうだろう。

彼女の計らいには感謝したい。しかし、素直には喜べないでいた。


どう振る舞えばいいかも分からず、また、男が女性ものの服を見定める訳にもいかず、ただひたすら彼女に着いていく。

その姿を端からみれば、彼女の買い物に仕方なく付き合っている彼氏のように見えるだろう。


「ごめんね。私だけ満喫しちゃって……」

そんな様子を察してか、お店を後にした彼女が申し訳なさそうに言う。

「いや、いいよ。だって男が女性ものの服を手にとってたら怪しいから…」

「そ、そうだよね……。あ、それなら、私に合わせる振りしたら?」

「そ、そうだね。でも、それじゃ、中川さんが楽しめないでしょ?」

「そんなことはないよ。あっ、でも、欲しくても買えないから、余計にモヤモヤしちゃうよね……」

「いいの。今はいらないものだって割り切ってるから……全然欲しいとか…思わないし…」

「今は着れなくても、いつかは元に戻るでしょ?その時の為に買っておいたらどうかな?」

確かにそうすればいいのだ。だが、元に戻る時にどちらかの命が失われることを知った今、その先のことを考えたくなかった。


もし私が逝けば、その服たちは余計な荷物になる。それを遺された兄は迷惑だろう。

仮に生き延びたとして、亡き兄の記憶が染み付いたそれを、何のためらいもなく着れるだろうか。


「…そうだね……。でも…今はいいや。お兄ちゃんの財布で払ったら怒られそうだから」

ここで打ち明ける気もなく、それとなくごまかした。

「あっ、確かに…」

と彼女は納得してくれた。


その後も買い物を続けた。服だけじゃなく、雑貨や文具など、今の私でも使えそうなものを見て回った。

そろそろ帰ろうかという雰囲気になった頃、突然彼女に手を引かれ、どこかへ連れて行かれる。

そこは男性ものの服屋。

「結ちゃんは、あまり嬉しくないかもだけど……」と言いながら、兄に合う服を見立てる。


まるで自分のものを選ぶかのように、楽しそうにしていた。その姿を微笑ましく思いながら、見立ててもらった服を試着する。


「お兄ちゃん、喜ぶかな……?」

男性ファッションに疎い私には、似合っているかは分からないが、彼女は頷いている。

「うん!きっと…喜ぶと思うよ」

彼女は自信を持って答えた。


これは私と彼へのプレゼントだからと、お金を払ってくれた。


夕暮れに染まる街を横目に寮へ戻る。

「でも、どうして、お兄ちゃんの服なんか…」

「…こういう時でないと、こんな思い切ったことできないから」

「あー確かに。恥ずかしがって、やめろって言うよね」


「ヒロはさ、私を友達としか思ってないんだよ…お姉さんぶるなって言うし」と少しムッとした表情をする。こんなに可愛くて性格も優しい女の子を放っておく兄にやれやれと思いつつ、相づちをうつ。


「高校、受けたのもね、ヒロが居るからだったんだ。将来の夢を叶えられる学校は別にあるの…」

「えっ…」

「別々になったら、そこでこの関係が終わる気がしてね。それは嫌だったんだ…。夢を追うのは大学からでも遅くないし、ここからでも志望校は狙える。でも、ヒロと居れる時間は今しか無いから…」

そんなことまでさせておいて、自分は知らん振り。彼女の好意に気づかないものかと、兄に対するモヤモヤは増してゆく。

ただ、それよりも、そこまでする行動力と兄に対する想いの強さに圧倒された。

「そう…なんだ…」


寮に帰ってくるなり、中川さんは寮の女子たちに囲まれた。デートの内容もだろうが、買ったものについて訊かれているようだった。


そんな彼女は「じゃあね」と別れを告げて女子たちと共にリビングのほうへ消えていった。


自分はというと、管理人である厳ついおじさんに引き止められるくらいで、誰も寄ってこなかった。


少々寂しい気持ちを抱えつつ、部屋に戻って勉強をしていると、本当の私である兄から電話が掛かってきた。

今の今、というタイミングでこみ上げるものもあったが、それは一旦こらえて電話に出る。


「もしもし、お兄ちゃん?」

「あ、あぁ…」

何故か歯切れの悪い返事が返ってくる。

「で、何?」

「いや、そっちはどうかな…って思って」

本意ではないと感じつつも答える。

「足を痛めたってごまかしてはいるけど、長くはもたないと思う。勉強は中川さんに助けてもらってる。中川さんとすっかり仲良くなっちゃって、今日デートしちゃったっ!」

自慢げに言ってみる。

「そうか……って、デートって何だよ?変なことしてないだろうなっ」と焦っている。

「したくないの?私が代わりにしてあげようと思ったんだけど?」

「な、何言ってんだっ。中身は女でも外見は男なんだからなっ。変な事して嫌われでもしたらどうすんだっ」


「わ、分かってるってば。ただの買い物だよ。でも、端から見ればデートでしょ?」

「もうちょっと、男である自覚を持てよ」

「はいはい。今度から気をつけるから…。で、そっちはどうなの?部活とか」

兄の言葉を適当にあしらって、こちらも訊いてみる。私だって向こうの状況を知りたい。


「こ、こっちも順調だよ…」

明らかに怪しい。ごまかそうとする兄への追及を始める。

「へぇ、勉強はどうなの?」

「中学の勉強って言っても、この間までやってた場所だから戸惑うことはないよ。高得点を取る心配もないから、テストも安心だし」

隠し事が勉強の事ではないようだ。質問を続けた。

「じゃあ、部活の方は?慣れた?」

「…その…まぁまぁだな…」

そう兄はごまかす。彼が打ち明けるのを待つのは面倒なため、はっきり訊くことにした。

「さっきから、なんか歯切れ悪いけど…もしかして、何かあったの?」

「いや、そんなに大きな問題ではないから…」

言い出すタイミングをあげたにも関わらず、ごまかし続ける兄に腹が立った。

「…じゃあ、素直に言えるでしょっ。早く言いなさいっ」


強めに言うと観念したように打ち明けた。

「あぁ、その……結、大会に出るかも……」

その瞬間、思考が停止したが、すぐに状況を飲み込んだ。

しかし、予想外の展開に戸惑う。


「えぇー!ど、どういうこと?なんで?私そんな脚力無いのに…なにがどうなったら、そうなるのよ?」

つい大きめの声を出してしまった。急いで声を潜める。

「部活に出て気づいたんだが、体力はそのままで、運動神経だけが入れ替わってたんだ。それを知っていたのに大会出場者を決めるテストでやらかした…」

「体力はそのまま?」

彼が説明するが、彼の言おうとしていることを理解し難い。

「言葉では説明しづらいんだが……とにかく、結の体ありながら、博の脚力を引き継いでるみたいでな。だから、お前の自己ベストを更新してしまったんだ。顧問は大会圏内だと言ってた…。あ、周りは最後だから頑張ったんだねって言ってて、今のところ、怪しまれてはない」

「そ、そうなんだ……」

突然の報告に言葉が出てこない。


「それで…突然のことで申し訳ないが、俺は…どうしたら…いや、どうしてほしい?」

それは難しい決断だ。

迂闊に出ていいとは言えない。でも、ここで辞退するというのはおかしい話だ。


「…お兄ちゃんが…決めて…。出たいなら…出ていいから。でも、絶対ビリになってよ!ズルとか嫌いだから!」

私は強めにそう言った。そうしないと、変な機転を利かせかねないから。


「ビリって…」

「私はそもそも大会に出れないんだから。ビリくらいがちょうどいいよ」


「そうか……分かった……」

でも、彼は最初からそれを予想していたかのように、あっさりと了承した。


「本当は辞退してって言いたいけど、怪しまれちゃうから…。出てもいいことにする。上手い言い訳があるなら、辞退してほしい。辞退しても代わりの選手が選ばれるとは限らないから、そこは周りも納得する理由で断ってよね」


「わかった」

と、鈍い返事が返ってくる。


その後、急にそわそわし始めて、また連絡をするからとだけ言い残し電話が切れた。


大丈夫かな……と思いながら、スマホを置く。


最後の大会だから記念出場したら?なんて言われてはいたが、断る気でいた。

比較的大きな大会。それこそ、私には縁遠い場所。だからこそ、気軽に「うん」とは言えない。


「私が……大会に……」

改めて口に出すとイメージが沸いてくる。


あの大きな競技場の、いつもスタンドから見ていたあのトラックに、私が足を踏み入れる。想像しただけでもドキドキしてくる。


そして、運動神経だけが入れ替わっているという言葉により、別のドキドキが生まれた。

「……私こそ、どうすればいいんだろ…?」

彼がした質問をそのままぶつけたい気分だった。


たぶん兄は大会を避けることができると思っているだろう。でも、本当は……。


その時、ドアをノックされた。

「ヒロ、入っていいか?」

そう部屋に訪ねて来たのは、陸上部の先輩だった。


兄が私を部活から遠ざける一番の原因である山本だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る