1ー3 二人の距離

只でさえ寝起きで頭が回らないのに、現実には起こり得ないことが起きているため、頭が混乱している。


鏡を見てみると、それはまさしく妹の姿だった。

わっと驚きの声を上げた途端に、女の子の声が脳内に響いた。


「なに、これ…」

はっと思いだしたように妹のスマホを手に取った。しかし、ロックが掛けられていて開けない。


もし、同じ事が向こうにも起こっているのなら、寮に連絡し、取り次いでもらうしかない。


「もしもし…ひ、博です」

自分の声が電話越しに聞こえるという不思議な体験をする。とりあえず、状況は分かっているようで、妹なのには間違いないようだ。


「お、お兄ちゃん?」

「お、おう。俺だ」

「どうして、こうなった…のかな…」

「…こっちが聞きたい」

「とりあえず、スマホを使いたいから教えてくれ」

「こっちも……頼む」

お互い人の目を気にして、ひそひそ声になり、ぎこちない会話になる。端から見れば、怪しすぎる。

先生は何事かと思うことだろう。うまく誤魔化してくれることを祈りつつ電話を切った。


先日、電話を掛けておいたおかけで、陰で家族にはうまく誤魔化すことが出来た。


改めて掛け直す。

「何が起きてるの…?困るんだけど…」

「それは僕もだよ。とりあえず、学校に行かない訳にはいかないだろ」

「そうだね…時間がないから、ざっと注意事項を教えとく…あと、私の体で変なことしないでよ!」

「しないから。俺も伝えとくぞ…」

そうして、互いに知っておくべきことを思いつくだけ教え合った。


そして、頼れる人を紹介しておいた。

中川宛に書いたメールを向こうのスマホに転送し、送ってもらう。これで事情説明は省けるはず。

彼女にとっては同性の友達が居たほうがいいだろう。


「部活は休んでいいって、大会近いんでしょ?」

「体力面は心配無さそうだが、ちょっと厄介なやつがいるから」

「わかった。学校が終わったら必ず連絡して。約束だからね!」

「あぁ、わかった」

そうして通話が終了した。


慣れない制服を着て、朝食を食べる。数ヶ月ぶりに自宅で朝を迎えるが、その様子は全く変わっていない。

母は朝食と弁当の準備を済ませ、慌ただしく自分の支度を始める。

父はすぐにでも外出できる状態で、ゆっくりと朝食を食べながら新聞に目を通す。


両親は、娘の中身が息子になっていることなど知る由もなく、普通に振る舞う。

なんとも思っていないようで安心しつつ準備を進める。


一番困るのはトイレ。戸惑ってもおかしくないのだが、無意識にそれをこなしていた。

躊躇いもなくできてしまう自分が怖い。


どうやら、彼女の身に染み付いた所作や知識は持ち合わせているようで、髪を結うのも簡単だった。


こちらにも事情を話せそうな、というより、話さなければならない人が居る。親友の叶だ。

学校のことなどは、叶に訊くのが早い。


「ゆい~、おはよー」

いつものように待ち合わせ場所に現れた妹に普通に挨拶をする。


「お、おはよう…」

こうして再会を果たすとは複雑な心境だ。どういう感じで話せばいいのか分からない。

「どうしたの?体調悪い?」

明らかに様子がおかしいため、真面目な顔で心配される。


「いや、そういうんじゃないんだけど…」

「何?」と心配そうに顔を覗き込んでくる。

「…あのさ……信じてくれないと思うんだけど……」

「また変な夢見たの?」

変な夢とは何のことだろう。


「えっ?あ、いや、そういうんじゃなくて……」

「何?ちょっとおかしいよ。今日…」

険しい顔で見つめられる。


これ以上引き延ばしても仕方がない。意を決して話すことにした。

「朝起きたら……さ」

「朝起きたら?」

「兄と入れ替わってたんだ…」

思い切り真実を告げる。


彼女は一瞬だけ思考停止し、その後、大きな声で騒ぎ始めた。

「えっ!え!何?ちょっとあんた、大丈夫?どこか打ったの!?病院で見てもらった方がいいんじゃない?」

あまりにも現実的でない発言のため、ひどく動揺しながら、本格的に心配し始めた。


数分後、頭の整理がついたのか質問をしてきた。

「えっ、てことは、あんたヒロなの?」

「うん……」

真剣な顔になった。信じてくれたのだろうか?

少し沈黙した後、唐突に質問してきた。

「……じゃあ、あんたが中学時代、友達から借りてたエロ雑誌のタイトルは?」

「……週刊ダイナマイト・ボイン……」

「……あんた、本当に…ヒロなのね……」

なぜ、これを知っているのか不思議でならない。


目を見開き、じっと見つめられる。少し恥ずかしい。

「ん、うん……とりあえず、このことは内緒で……お願い……」

「えぇ、もちろん……さ、さてっ、は、早く行きましょ!」

おもむろに腕を掴まれ、走り始める。

「えっ、どこに?」という問いを無視して独り言をつぶやく。

「今なら、まだ生徒は少ないはず……」

必死になって僕を学校へと引っ張る。


そうこうしているうちに学校に着いた。

数ヶ月前まで通った学校にこんな形で戻ってくるとは…。


まだ、生徒は疎ら。グラウンドには朝練をする生徒がまだ居た。

昇降口で上履きに履き替えると、慌ただしくどこかへ連れて行かれる。


たどり着いたそこは保健室。

「先生!この子の様子がおかしくて……」

止めようとしたが、扉を開けると同時に話し始めていた。

「あら、大変ね?」

色っぽい先生だった。見かけない顔だったが、新任の先生かもしれない。

「入れ替わったとか言ってるんですけど、絶対おかしいですよね?」

興奮気味に言う。

「あらあら、寝ぼけてるのかしらね。こっちへ来なさい」

どうしようかと考えながらも、仕方なく先生の元へ行く。


顔を近づけるように言われ、近づけるといきなり耳元で囁ささやかれる。

「博くん、だったわよね?」

「な、何で知ってるんですか?」

予想外の展開に悪寒がする。心拍数も上がる。叶に聞こえないように尋ねる。


「さぁね?詳しいことは後。とりあえず、妹として生活しなさい。あまり多くの人にバレたら、アウトだからね。お友達には教えてもいいけどね~」

得体の知れない恐怖に、血の気が引いていく。


「お、おい……お前、何者だよ」

「それはひみつよ」

顔は笑っているが、冷徹な言い方だった。

この人は何かを知っている。


「あ、この子をちょっと休ませるから、先に教室に行っててね。先生には伝えておくから」

急に声色を変えて、叶にそう伝える。

「わ、わかりました」

叶が回れ右で出て行った。それと同時に立ち上がり、保健室の扉の鍵を閉める。



「さて……ところで調子はどうかしら?」

平然と尋ねてくる。


僕の周りをゆっくりと一週し、真横で立ち止まる。そっと肩に手を添えると、僕の体は氷漬けにされたかのように固まった。

ただ、体の動きが制限されているだけで、苦しいとかはない。声も普通に出せた。


「ど、どうもこうもない…それより、お前はいったい何者なんだ?教えろ」

「私は、あなたに入れ替わり現象について説明するためにやってきた『天使』よ」

知っていて当たり前のように話を始めた。


「天使?入れ替わり…?なんの話だよ……分かりやすく頼む…」

どう見ても胡散臭い。普段なら絶対関わりたくないが、会話続けざるを得ない状況のため、仕方なく会話をする。


少し考えてから話し始めた。

「んー、そうね~。はっきり言うとね、どちらかの身に命の危機が迫っているの」

平然と説明する。

「命の危機?……って、騙されないからな」

いかにも怪しい。しかし、命の危機という言葉にドキっとする。

「はぁ…これだから人間は…。あなたを騙して、私に何の利益があるのよ…」と呆れるように言う。

そういう風に言われると、何も言えなくなる。


「…それで、その危機と入れ替わりに何の関係があるんだよ」

「命の危機を前にして、対象者が強く念じた人物とリンクしてしまうことがあるのよ」

僕の問いに淡々と答える。


嘘偽りなど一切ないかのように、浮き世離れした話を続ける。その雰囲気に呑まれそうになる。

「まじかよ…マジで言ってるのかよ…」

頭が混乱していて、そんな言葉しか出てこない。


「そうよ。面倒くさいからちゃんと説明するわ」

また呆れたようにする。


リンクとは、誰かが誰かを想う強い念が人と人を意図しない形で繋ぎ止めてしまう現象のこと。互いの引き合う力が強かったり、片方の力が極端に強いと、入れ替わりを起こしてしまうらしい。


でっち上げた話だと思いたいのだが、彼女のやけに生々しい言動が引っかかる。


信じたくない気持ちが口を動かした。

「なんだよ!じゃあ、僕が妹に対して強い想いを抱いていたから、こうなったとでも言うのかよ!」

静かな室内に大きな声が響く。そして、また静まり返る。

一、二拍の間があって

「その逆もありえるわね」と表情や声のトーンを一切変えずに答えた。


「信じたくねぇけど……それが…事実だって……言い張るんだろ?」

恐る恐る尋ねたその問いに不気味な笑みを浮かべて答える。

「死んでもいいと言うなら、強要はしないわ。命を救ってほしいなら状況を飲み込みなさい」

そこで抗いたい気持ちが消え失せた。


「……この現象を止めるには、どうすりゃいいんだ?」

平然を装ったその声は震えていた。

非現実的な現象に巻き込まれただけでなく、妹か自分、どちらかの命が残り少ないと断言されたのだから無理もない。不本意だが、すがるような気持ちで訊かざるを得なかった。


「そうね……打開策としては、お互いのやましいことをすっきりさせることかしらね―」

と言いながら、いくつかの決まり事を教えてくれた。


~~~~~~~~

命の危機は引き伸ばすことも避けることもできない。それがいつ訪れるのかは分からない。


この事象を部外者に口外すれば、その分、対象者の余命を減らすことになる。


入れ替わった状態でタイムリミットを迎えた場合、相手も対象者と同じ道を辿ることとなる。


対象者が心残りなく旅立てると思えた時にのみ、現象は終末を迎える。

~~~~~~~~


要約するとこんな感じだ。

対象者とは一体どちらのことなのか気になったが、それは彼女でも分からないことらしい。

確定していることは、その対象者は死から逃れることができないということ。出来るだけ早い内になんとかしなければ、二人ともあの世行きだ。


話が終わった後、そのまま教室に向かい授業を受けた。

極力、人と会話をせず過ごした。勝手が分からないというのもあるが、それ以上に人と会話をすることが怖いからだ。

昼休みや放課後に保健室を覗いたが、天使と名乗った女性の姿は無かった。


家に帰り、妹に連絡を取る。

自称『天使』のことを話した。半分信じていないようだったが、とにかく、むやみに口外しないことだけは約束した。

そして生活する上で必要な知識を互いに教え合い、決まりを定めた。やっていいことと、やってはならないこと。兄妹とはいえ、互いのプライバシーを守らなければならない。


自称『天使』の言う打開策については話さなかった。話して解決することではない。少しずつ探りを入れてみようと思った。







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