1.二人の距離
1ー1 二人の距離
ヒリヒリとした日差しが照りつけるグラウンドに生徒たちの声が響く。
夏休みが差し迫っていて、クラス内ではみんな浮かれ気味だが、部活に力を入れる生徒たちは逆に気を引き締めている。僕もその一人だった。
週末だというのに校内はいつものように、朝から活気に満ち溢れている。
個人的には半日だけでも休みたい気分なのだが、大会が近づいている今そんな余裕などない。
重い足取りで陸上部の部室に行くと先輩の山本がいた。
部長でも何でもないのに態度ばかりでかく、後輩たちを顎で使う。良い成績を出す後輩に対しては特にその傾向が強い。
彼は僕を見つけるなり声をかけてきた。
「おい、ヒロ。次の大会、自己新、出さねぇと分かってるよな?」
こうやって、ノルマを課してきたりする。それを越えられなければ、彼の小間使いとして良いように使われる。
「分かってますよ、秋の大会までパシリですよね」
何度も言われているため、嫌でも覚える。
「分かってるならいい。練習さぼるんじゃねぇぞ」
心の中で「お前に言われたくない」という言葉が浮かんだが、さすがに口にはできない。
「サボってないですから…」
と言いつつ、その場をそそくさと立ち去る。
目を付けられていない部員たちも彼とは距離を置く。
用事を済ませて部室から出ると、うんざりした顔でマネージャーの岸家が話しかけてくる。一応先輩だ。
「あぁ~なんでいつも私ばっかりに押し付けるんだろう、あの部長…」
あの部長とは池永のことだ。
山本同様に人使いが荒いのだが、池永の場合は、なんでもかんでも他の部員に頼る、というより、
決して、陸上部に問題児が集まっているわけではない。この二人が特殊なのだ。
「どうしたんっすか?またパシリですか」
「そうなのよ~。あの部長どうにかならないのかしら。いっそのこと、ヒロが部長になればいいのに」
それは無理なお願いだ。
「まだ一年ですし…」
「でも、足では誰にも負けないスーパールーキーなんだし。権力ばっかり握ってるやつより、よっぽど部長らしいわ」
そんな会話をしているすぐ後ろを彼が通りかかる。
「“お荷物”で悪かったな。でも、口ばかり動いて、他のことを疎かにしているやつには言われたくはない」
背後から声がする。
「ヤバい、部長に聞こえてたっ…私、逃げるわ。練習頑張ってね~」と僕を差し置いて、逃げていった。
「そうだ、お前にひとつ頼みがある」
あたかも今思いついたように切り出すが、これが池永の口癖である。
「ハードル、出しといてくれないか?」
あたかも当然のような口振りだが、僕はハードル走の選手ではない。
「すみません。準備運動が終わってないので、他の人に頼んでいただけませんか?」
“ハードルは使わない”と言えるはずもなく、準備運動を言い訳にして断る。
「それなら、終わった後でいい。よろしく」
抑揚のない低い声で、一方的に押しつけられた。性格は山本に比べれば、落ち着いているのだが、無駄に威圧感がある。
結局、頼みを聞かざるを得ず、準備運動を済ませてから、一切使わないハードルを出す羽目になった。
岸家や他のハードル走の先輩たちが手伝ってくれたものの、とんだくたびれもうけだ。
大会は目前に控えており、部長や顧問は大会モードで人が変わったようにピリピリする。練習も一層厳しくなる。
特に次期エース候補と呼ばれている僕は、少しの手抜きも許されなかった。
ついていけない程ではないが、肉体的な疲労は想像以上だ。厳しくも効果的なトレーニングと暑さによる食欲不振で、体重がみるみる減ってゆく。
おかげで緩みがちだった肉体が絞られつつある。
早めに切り上げてもらえるわけはなく、辺りが薄暗くなるまで練習が続いた。
まだ熱のこもる夜風に当たりながら、学校の隣にある寮へと帰る。
シャワーで汗を流して自室に戻ると、机の上に放置されたスマホがメッセージ受信を知らせていた。送り主は妹。
思えば、ここ数ヶ月は一言も言葉を交わしていない。そんな相手からの唐突なメッセージは、たったの一言。
『盆は?』
お盆の予定を聞いてきたらしい。連絡しなければと思っていたのだが、連日のハードな練習のせいで連絡が延び延びになっていた。
『初日に実家に帰る。迎えはいらない』
こちらも簡単な文で返す。
その後、すぐにメッセージは既読になったが、彼女から返事が届くことはなかった。
家にも連絡したほうが良いだろうと思い、実家に電話を掛ける。
「もしもし…俺だけど」
「はい……あ、うん。何?」
発信者を確認しなかったのか、一瞬だけ声のトーンが高かった。しかし、相手が僕だと分かると途端に声のトーンは下がる。
「久々だな…」
「何の用…」
感情のない冷たい言い方をした。
「いや、お盆のことで…」
「さっき見た…」
簡潔に返事をする。
「父さんか母さん、いないか?」
「二人ともまだ仕事…」
少し口調が和らぐ。
呆れたような口振りに、家庭より仕事を取る親たちにうんざりしているようだった。
「そうか……あのな、大会があるから、あんまり滞在できなさそうだから…伝えといてくれないか?」
伝言を言付けた。
「わかった、じゃ…」
それだけを告げて、そそくさと切ろうとする。
「ちょ、ちょっと待てよ」
もう少し話がしたいため、慌てて止める。
「なんかごめんな」
とりあえず何か言わねばと、とっさに出てきたのは謝罪の言葉。謝って解決する問題ではないことくらい分かっている。
「何が…?」
その言葉に彼女は呆れも怒りもせず、声のトーンを変えない。
「いや、お前にいろいろと任せてしまって」
「何も頼まれてないし、任された覚えもないから、じゃ」
突き放すように返答して、その勢いで電話を切ろうとする。
「待て待て。その…なんで、そんなに冷たいんだよ…」
とりあえず、沈黙を続けたくなかった。
「……」
返答はない。
「ひとりで寮生活始めたからか?」
「……」
だんまりを決め込んでいるようだ。
「なぁ?なんで……」
言葉の途中で今度こそ電話を切られた。
妹と会話はできたものの、心にずっと抱えたモヤモヤしたものは消えなかった。
結局、その日はそのまま眠りに就いた。
次の日、若干増したモヤモヤ感のせいで練習に集中できなかった。
ーーーー
私の名前は
一昨日掛かってきた電話のことを、幼なじみである佐藤
「あんたたち、まだ喧嘩してんの?」
彼女は呆れ顔だ。しかし、私にとっては大きな問題なのだと、決め込んでいる。
「だって!」
言葉を続けようとすると遮られた。
「はいはい。羨ましいんでしょ?それを晴らすには、自分が結果を出すしかないって分かってるよね?」
「で、でも、元はといえばお兄ちゃんがひとりで神坂高校行くって言い出したのが原因だもん!」
「でも、あいつは何も悪くないよね?可哀想だよ…」
彼女は的確に
「う、うん…」
「そろそろ、仲直りしたらどう?彼も困ってるみたいだし…」
「でも、今更…」
「はぁ~、分かった分かった。私が電話かけてあげるわよ…」
いつもこの流れになる。
「ありがとう…」
少し申し訳ない気持ちを抱きながらも、お礼を言う。
「じゃ、放課後ね。言っておくけど、きっかけ作りしかしないからね!あとはあんたたちでどうぞ」
少し怒り気味で言う。
「分かってるよ。ありがと」
そんな会話をしながら、一学期最後となる体育の授業の準備をする。
「あーあ、先生が休まなきゃ、こんな日にすることなかったのに…」
「仕方ないよ。先生だって休む時あるよ。あんたの好きな陸上なんだから、いいじゃない?」
「まぁね♪」
今日は走り高跳びと走り幅跳びをする。やる気満々である。
真夏の照りつける太陽が肌を焼く。日焼け止めを塗るものの、汗で早くも流れ落ちる。
走り高跳びは順々に飛んでいく、最後まで残ったのは男子二人と私。陸上部のメンバーである。
男子に負けたくないと必死に食らいつく。
そして、いよいよ一騎打ちになる。
女子全員と、対戦相手を負かしてほしいと願う一部の男子からエールを送られる。
何かが得られるわけではないが、自分の実力を試すために真剣に取り組む。
助走を付けてバーの手前で踏み込んだ瞬間、バランスを崩した。
わっ!
跳ぶことはできず、バーをなぎ倒してマットへ倒れた。変な倒れ方をしたため、ざわついた。
「だ、大丈夫!?」
みんなが駆け寄ってくる。
「大丈夫、大丈夫。ちょっと目測を誤っちゃった」
みんなに無事を報告する。
心配する先生にも無事を報告し、みんなの元へ行く。
こんなことは珍しい。私にとって難しい高さではないし、調子が悪いわけでもない。
でも、深く考えずにやり過ごした。
そのまま授業は終わり、あっという間に放課後になった。
徐々に陰が迫る、学校の中庭のベンチに二人が座る。今日はすべての部活が休みで、いつもより静かで落ち着いている。普通の日であれば、電話をかける場所に選ばないくらいだ。
さっそく叶が電話を掛ける。
「あっ、もしもし、わたし、叶だけど。今大丈夫?……うん……結がなんか話がしたいって…うん、分かった。代わるね」
そう言って、叶に携帯電話を渡された。
「もしもし……私だけど……」
「なんだよ…わざわざ叶を通さなくてもいいだろ、何事かと思っただろ」
少し気まずそうに、そして、迷惑そうに言う。
「あのさ…ごめん……なんか、今までいろいろと怒ったり……とにかくごめん…」
とりあえず謝る。他に言う言葉が見つからない。
「べ、別にいいよ。気にしてないし…」
少し驚いたようだが、冷静に返事をする。
「お兄ちゃんが、私の行きたい高校に入学して、寮に入っちゃって、ちょっとうらやましかったんだ……本当にごめん」
「そうか…まぁ、理由が分かって良かった。約束のことかと思ってたけど、違うんだな」
少しだけ、ぎくしゃくした雰囲気は和らいだ。しかし、約束の件は別だ。
「それは怒ってるんだからね!」
本気で怒鳴っているわけではなさそうだが、やはりそこは許せないらしい。
「マジか、それは本当にすまん…」
そんなやりとりをしていると叶が割り込んできた。
「まぁ、お互い様ってことで、そろそろ返してね」と言いつつ、私の持つ携帯を奪う。
「じゃあねー」と電話越しに別れの挨拶をしたかと思えば、電話を一方的に切る。
「あっ、待ってよ」
止めようとしたが駄目だった。
「後はふたりで話しなよ。ほら、きっかけ作りはしてあげたよ」
彼女は役目を終えたと言わんばかりに立ち上がり帰ろうとする。
「ちょ、ちょっと待ってよ~」
いつもこんな感じで人に頼りきりなのだ。これではいけないと思いつつも、優しい友人の手助けを借りてしまう。
一応、言いたいことは言えてすっきりした感はある。気まずさはないが、まだ後ろめたい気持ちが残っている。
まだ、あの“約束”にこだわっている自分が嫌だった。
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