19 龍を哭かせる

 今はどうかわからないけれど、マサキチが学生だった頃関東では大抵、日光に修学旅行に行っていました。

 勿論マサキチも小学生の頃に経験済み。

 そして必ずお寺で『鳴き龍』を見て鳴き声を聞く?のが習わし?でした。

 何かのきっかけでそんな話になり、このエッセイでもおなじみ、マサキチの冒険の友ファイト一発の友人も経験していたものの、「全然鳴かなかった」とのこと。

 確かにマサキチも、5、6人の班行動で、周りは聞こえたと騒いでいた記憶はあれど、どれがそれだったかよくわからないまま、さっさと終わっただけという思い出しかない。


 んじゃ、今更だけどどこかで鳴かせてみるか、と日帰りでドライブがてら鎌倉を目指すことになりました。

 今回はそんな『鳴き龍』のお話です。


 決行日は朝からとんでもなく寒く、鎌倉に向かう間に雪がちらほら…。スタッドレスなんて履いてないー!積もらないでくれー!と漏らしながらも二人して引くことなく向かうは鎌倉『建長寺』。


 広い境内は裏手の山まで続いており、天気さえよければのんびり歩くととても気持ちのいい場所。

 ですがまあ、雪模様でしたしね…。

 雪国と違い、首都圏で降るものはよほどでない限りべしょべしょなものが多く、傘を差さずに歩いているだけで濡れネズミのようになる。

 しかも雪仕様の靴などはいてきてもいないマサキチと友人は、散歩も大好物だけど今回は龍を鳴かせるのが目的だもんね、とちょっぴり悔しい気持ちを抑えつけて拝観料を払い、いざ境内に向かいます。


 …当然というか、あの日は平日ではなかったはずだと思ったけど…人が誰もいなかった。

 入り口で拝観料を受け取った人も、こんなクソ寒い日に物好きなって顔してたし。

 うん。もう慣れたよ、そういうの…。

 もういっそ、口に出して言ってもらった方がすっきりするのに。なんか日本人ってそういうところすごく遠慮がちだよなあ…。そんな奥ゆかしさはたまに切ない。

 一時期頻繁に訪れていたアメリカなんて、入国審査のときに必ずマサキチのパスポート写真を見た係官が、髪型とかそういうレベルじゃなく、心底写真に撮られるのが嫌いなもので…我ながらあまりにひどいなと思っていたけれど。

「ユー?ユー?これホントにユー?ありえへーん」

 と、何度も何度も見返して遠慮なく畳み掛けてくるので、「そうだ、俺だよ!悪いか!」ぐらいの勢いで開き直って主張して、一緒にガハガハ笑っていたというのに。


 まあ、最近ではそんなことで?って思うことでキレてる人とかも見たりするので、かかわらない方がいいこともあるのかもしれないけれど。

 物好きだねえって一緒に笑えるぐらいの方が、どこに行っても色々楽しいと思うんだけどな。


 ともあれ、背後に控える山を眺めつつ、古刹にふさわしい山門や、誰もいない白い石畳の上をてくてくと歩いていき、いよいよ雲龍図うんりゅうず…鳴き龍とご対面。

 …の前に、ここでちょっと豆知識。

 建長寺の鳴き龍は創建750周年の記念として、鎌倉生まれの日本画家、小泉淳作氏によって描かれたものです。

 マサキチもさほど詳しくないですが、なんとなく自然風景を描いているものが多いイメージだったのが、この雲龍図で見方が少し変わった気がします。これ書く前にちらっと検索したら、ヤフオクで虎の子どもの絵とか出てましたが、風景よりも好きな感じのものが多かったです。


 さて、建長寺の鳴き龍ですが、10メートル×12メートルくらいだったかなあ…。

 そう書いてしまうと別にそれほど大きくないんじゃ?という気もしますが、たたみ約80畳分という記載もあったので、そっちの方がすごい!って思えるのではないかと思います。

 そんな絵を前にした友人の第一声。

「…意外と小さくない?」

 なぜかその時、マサキチ返事ができませんでした。

 とはいえ、感動してとかそういうことではなく…いや、すごく龍もいい表情しているし、骨太の迫力ある絵だとは思ったんですけどね。

 完成が平成15年と新しいこともあり、多分現代にあれを描いたということが一番引っかかったというか気になった部分というか。

 そもそも墨で描くならともかくも絵の具自体、あんなに広いスペースに塗るだけでもとんでもなくお金がかかるものなのに(ビンボーくさい話ですみません)日本画の顔彩って、もっととんでもなく高いんだよなあ…と、離れたところから見ながら、自分の収入を考えてまったくなんの関係もない方向でうわーっとなってました。

 でも、よくよく考えてみれば、こう、普段歩いたりしているところに建っている家々だってすごくお金がかかってるものだし、この絵の具の量、とんでもなく高かったんじゃものだとか青くなる必要はないのかと思い直し。

 我に返って龍をじっと見てみると…あれ?

おや?あの龍珍しいぞ。

手の爪…というか指が5本あって人の手と同じになってる。


 今までさほど気にしたことはなかったけれど、マンガやゲームはさておき、日本で絵として描かれる龍はほとんどが指3本爪のものが多いイメージで、マサキチもそうだと思ってその意味を疑ってはいませんでした。

 確か再放送で見ていたまんが日本昔話でも、太郎を乗せたオープニングの龍のイラストは3本指だった気がするし。

 って、今画像検索してみたら2本と3本のバージョンがあるぞ!(でも、あの絵は爪というか手みたいだからあまり気にしなくていいのかな?)

 とりあえず疑問に思った5本指、後に調べてみたところ、中国王朝では5本指で皇帝をあらわしていたとか。4本は貴族で3本は平民というか庶民だったそう。

 日本の龍が3本指な理由は、日本では3が縁起よかったとか、中国から伝わったものが日本向けには3本指(つまり平民向け)のものしか出さなかったとか、色々諸々諸説あるようですね。

 でもって、そういうものを見て描いたか、伝聞で再現していたかはわかりませんが、北斎などの絵の龍にはやはりマサキチがうっすらと3本がスタンダードなんじゃ?と思っていたように、3本指のものしか描かれていないとか。

 とまあ、横道に逸れてしまいましたが本題に戻ります。


 さて、いよいよ龍の真下へと歩み寄り、鳴かせる時となりました。

 小学生の時は集団でやるしかなかったけど、今回はまったく人もいないことから1人でできる!

 おおお、なんて贅沢な!


 まずは友人から。

 絵の下で拍手の要領で手を打ち鳴らします。

 パンッ。

 なんだろう…聞こえなかったのだろうか、友人は少し首をかしげている。

 もう一度やってみてしばらくして、微妙な表情で戻って来る。

「どうだった?」

「…なんかよくわからない」

 では、マサキチもやってみよう。

 絵の下で…パンッ。

 おわあ~~~ん。

「…ん?」

 マサキチ、実は拍手とか全然うまくなくて音があんま出ないんですよ。だから、失敗したのかと思いもう一度。

パンッ。

 やはり、おわあ~~~んという同じ音。

 首をかしげながら友人の元に戻ります。

「あのおわあ~~~んが鳴き声で正解?」

「あ、やっぱりそんな感じで聞こえた?」

 反響や残響、そういうものを考えれば昔の人たちにとって、確かにこれは神秘的なものであったのだろう。

 けど、なんというかもっと荘厳な、というか壮大なる声を二人して期待しすぎていたようで…いささか不敬ではあるかもしれないけれど、でもなあ…と迫力ある絵を横目でちらりと眺めて微妙な空気。

「…そうか、龍の鳴き声、おわあ~~~んか…」

「うん…」

「そうか…」

 そんなことを言い合ううちに、ふと気づいた。

 集団で日光で鳴き龍を体験した小学生の時は、集団だったからこそマサキチも友人も、あの声を聞いていなかったのではないかと。

 記憶が違っていなければ、皆一斉に手を叩いたとはいえ、なんとなく音がばらばらだった。


 けれど

『龍の鳴き声を聞いてなかった理由はこれだ!』

 と、どこかの探偵少年のごとく閃いたところで過去の話。

 とりあえず、聞いていなかったのではないかという結論に達しただけ、マサキチはすっきりした。

「でもまあ、龍の絵はかっこよかったしいいか」

 帰り際、声ではしょんぼりしていた友人が意外と気に入ったのか、ポストカードを買っていた。


 だからせめて荘厳っぽい雰囲気にしてみようと、このタイトルを大げさにしてみたけれど(しかもこの『哭』って字はメイン対象が亡者に向けたもののようで、用法としてはまったくもって正しくない)。

 龍の鳴き声。

 もし違うところがあるならぜひとも聞いてみたいものだなあ。

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