五日目――其ノ三

「シーズーの言いたいことは凄くわかるよ。でも、それに客観的な証拠はあるの?」

分からない。音衣がなぜあいつの味方をするのかが。音衣ほど人の本質を見抜ける人間が、あいつの醜悪さに気付かないはずが無い。

「これが事実よ。私が自分の目で見た紛れもない事実」

「じゃあ、ハルハルの心の中まで覗いたの? それはできないよね。だから『一人の男を二人の女に競い合わせて楽しむ』って所はシーズーが考えたことだよね」

「だから何? 客観的事実に基づいて考えるとその答えが出てくるの。それ以外に解釈の仕様がないの」

私は吐き出すようにそう答えた。彼女はそんな私を、母親のように優しい顔つきで見守っていた。

「論理っていうのはね、どんな方向にも立てることができるの。でもね、それがすべて正解かというとそうじゃないの。それは有能だけど万能じゃないから。だから最後には絶対、確認をしなくちゃいけないの。シーズーはその確認を怠った。だから間違っちゃったんだと思うんだぁ。ハルハルはね、本当は少女Aのサポートなんかしてないよ。ただ連絡先を教えただけ。聞かれたから教えただけ。それは何でかっていうと、シーズーに頑張ってほしかったから。シーズーを応援していたから。だからあれだけシーズーの親身になって考えてくれたんだよ。二人を競わせていたわけじゃないよ」

焦る。経験にない焦り。六年間、自分は間違った事実を見ていた。いや、そんなはずはない。そうは思いたくない。

「てっ……適当な事言わないで。そんなはずない。だってあいつは……」

「じゃあ、本人に直接聞いてみれば? 六年前に怠った確認作業をしてみればいいと思うよ。全部分かるはずだから」

ハッとする。「直接聞く」一度もしていない。それに今の今まで気がつかなかった。いや、あえて避けていた。恐れていた。確認の結果、好ましくないものが出てくることを。私が間違っていたのかもしれない。自信が曖昧になる。

「辛かったよね。苦しかったよね。親友に裏切られることが悲しくないはずないよね」

私は口を噤む。目の下の筋肉に力を入れる。そうしなければ何かが飛び出してくる。そんな感覚に見舞われた。

「でも、大丈夫だよ。それはシーズーの勘違いだから。もう悩まなくていい。嘆かなくていい。全部終わったの」

本当に全て私の勘違いだったのかしら? 私を裏切るようなあの行動も、馬鹿にしたようなあの態度も。私がそう思い込んでいただけ?

ツゥーと頭の力が抜けた。頭の中が空になったような感覚。そしてその空になった空間に、様々な感情が「我先に」と飛び出してくる。喜び。悲しみ。羞恥心。自己嫌悪。感謝。解放感。背徳感。心痛。……。

 私は今気がついた。自分が意地を張っていたことに。今なら、彼女の言う通り、あいつが「一人の男を二人の女に競い合わせて楽しんでた」というのが強引なこじつけだと分かる。あの頃の私は押しつぶされそうな感情の逃げ道を探していて、その結果こう言った短絡的な判断を下してしまった。それに今の今まで気がつかず生きてきた。

 そんな私はとても惨めな人間。醜い生き物。私こそ悪の権化であり世界から排除されるべき対象。友と感情を天秤にかけ後者を選んだ愚かな奴。

「それから、私なんかが上からものを行ってごめんなさいなんだけど、一つだけシーズーにアドバイスしてもいい?」

彼女は私以上に私を知っている。この数分のやり取りで、それを突き付けられた。だから彼女の意見を全て聞こうと考えた。そうすることで何か変われる気がした。全てを教えて欲しい。そう思えた。

「シーズーはね、ちょっと保守的すぎると思うんだぁ。自分が傷つきそうなことは絶対にしない。でもね、動かないと分からないこともあるんだよ。それでね、分からないことがあると判断を誤っちゃう。今回の件みたいに。だから一歩踏み出そうとしてみたらどうかな? もちろん最初からスイスイ歩けるわけじゃないけど、踏み出そうとすることでシーズーのこれからは大きく変わると思うな。踏み出す人と何もしない人では僅かな違いに見えて大きく違う。一歩の差が、気がついた時には大きな差になるんだよ」

分かっていた話。無意識のレベルでは気がついていた。でも、分かっていなかった。意識的にそこまで見えていなかった。

「それは簡単な事じゃないよ。今までの自分を変えることはとても困難だと思う。でも不可能な事でもないんだよ。シーズーならできる。だから、最初の一歩としてハルハルにちゃんと誤って欲しい。それが新しいスタートだよ」

私はうつむいたままじっとしていた。こんな私を見捨てないでいてくれる彼女が神々しく見えた。本当は礼を言いたかった。でも何もできなかった。彼女はそんな私の心までも見透かしたように、目線の合わない私の頭を、二回だけそっと叩いた。

「それから、ちょっと話それちゃうけど、本当はシーズーが自分の口で自分の気持ちを話してくれるとは思ってなかった。普段だったら絶対話してくれてないよね。昨日、いや、今日なのかな。私には分からないけど、やっぱり何か、シーズーを動揺させるような事があったんだよね? 男?」

彼女は何物なのかしら? 神か何かの類? 私とあの不気味な男との遭遇を言い当てるのは、もはや人の所業ではない。未知のものと対峙しているような言い表し難い気持ちにさせられた。

「大丈夫。安心して。私が何とかするから。だからシーズーはハルハルと仲直りしておいて」

音衣は俄かにほほ笑む。彼女は、私より何百年も多く人生経験を積んだ聖人のように頼もしく、慈悲深い聖母のように美しかった。

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