五日目――其ノ二

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 コテージに帰るとまずシャワーを浴びる。身に纏っていた衣服は想像よりも悲惨な状態。大量のデータが詰まった電子機器はどこかに落としてきた。

 心は極めて低い位置にある。それは重しを乗せられているように重い。頭の整理は多少ついたが、まだ感情が沼から抜け出せていない。滞在期間は今日を入れてあと三日。あんな危険な男がいることは不安でしかない。

 共同スペースへ戻る。

「シーズー。ちょっといい?」

私は音衣の部屋に呼ばれる。彼女は私に話があるようだった。

 彼女の部屋は非常に整理が行き届いていた。

「何か用?」

「用ってほどの事でもないんだけど。シーズー最近、顔色悪いなぁと思って。大丈夫?」

思い当たる節は無い。体の調子は極めて良好。三日前の体調不良を案じているのかしら? しかし、あれはあいつへ復習するためについた適当な嘘。実際は何も無かった。

「大丈夫よ。特に問題ないわ」

「そっか。それならいいんだけど」

コーヒーの注がれたカップを片手に緩い笑みを浮かべる音衣。

「昨日はどうしたの? ハルハルも心配してたよ」

されるだろうと予想していた質問。返す言葉は決まっている。

「あなたを探してた。それだけよ」

「一晩中ずっと?」

「そう」

無理やり押し通す。彼女にも昨日皆に迷惑をかけたという後ろめたさがある。だからこれで押し通せる。

「何か、ごめんね。心配かけちゃって。でも、昨日はシーズーが帰ってこないからみんな心配してたんだよ。特にハルハルは眠れなかったみたいだし」

「そう。でもそれはお互い様でしょ」

「そうだね。ごめんごめん」

彼女は焦ったようにそう答える。

「それにしてもハルハルってすごくやさしいよねぇ。相手を第一に考えてるというか、他人の心配ばかりしているというか。そう思わない?」

その言葉には激しく同意する。あいつは醜悪な人間。あいつの行動の根底には、他人の不幸しかない。そのためのやさしさ。そのための他人に対する思慮。それがあいつの全て。

「確かにそうね」

「私、ハルハルのそういう所が好きなんだぁ。シーズーはハルハルのどこが好き?」

反応に窮する質問。答えられない。そう思った。あいつのそのような部分など存在しない。それ以前に、あいつのことをそもそも考えたくない。

「何、その質問?」

「ただの個人的好奇心だよ」

「何それ。よく分からないわ」

「いいじゃん。教えてよぉ」

彼女は私の隣に小刻みな歩武で近づいてきて、大海の滑らかな波のように肩をゆする。

「……」

「恋愛相談に乗ってくれる所とかかな?」

再生される六年前の記憶。なぜ音衣の口からその話が?

「何が言いたいの?」

冷たく切り返す。数拍の間の後、彼女は口を開く。

「……じゃあ単刀直入に聞くね。シーズー、ハルハルの事、何か勘違いしてない?」

「勘違い?」

「そう。勘違い。だからここ数年、ハルハルに冷たいんだよね」

私は固まった。誰にも話していない態度。彼女が知っているはずもない態度。

「何のこと? 華花とはいつも仲良くしているわよ」

「表面上は、でしょ。でも、内心は快く思っていない」

彼女はいとも容易く私の内側を言い当てる。

「そんなことない」

「じゃあ一昨日、どうしてハルハルを置き去りにしたの? 初日のお面は何なの?」

うまくやっていると思っていた。バレているはずがないと思っていた。しかし彼女は全てを知っている。私の全てを見透かしている。そんな気にさせられた。

「それを私が故意にしたとでも言いたいの?」

「うん。多分そうなのかなって」

「多分? そんな曖昧な根拠で決めつけないで欲しいんだけど。客観的な証拠が無ければ私がしたって断定できないわよ」

「客観的な証拠は無いかな。でもそれはシーズー自身が知っている事だから必要ないと思って。今から話すのも、私の勝手な推測。だから、聞き流してくれてもいいよ」

ゆっくりとしたテンポで会話を進める彼女。責め立てる様子も無くいつも通りの雰囲気で。

「六年前、少女Cはある男性に恋をしました。それはそれはとても素敵な男性でした。その気持ちにいち早く気づいたのが少女Hでした。少女Hは少女Cの恋愛成就のためにいろいろなサポートをしてくれました。しかし、少女Cは知りました。少女Hがその男性の事が好きな他の少女Aにも、同じようにサポートしていることに。そして結局、最後に結ばれたのは少女Cではなく少女Aでした。少女Cはひどく傷つきました。やるせない気持ちになりました。そしてその気持ちは次第に怒りへと変化しました。その矛先は、自分のライバルを彼と結び付けた少女Hに向きました」

「何で」

予想を上回るほどの的中率。彼女の推理は私の理解の限界を超えている。それは、理屈を超越しているかのように思われる。そんな関心と同時に、耳を塞ぎたい欲求が駆け抜ける。もしくは、彼女の口を塞ぎたい欲求。とりあえず、彼女の言葉から逃げたかった。それは私にとって都合の悪いことを今にも言い出しそうに感じられたから。

「少女Cは自分のサポートをしてくれた恩人を恨みました」

「違う」

あれはサポートなんかじゃない。私をバカにしてた。

「彼女は自分の溜めこんだ苦しみの原因を少女Hのせいにしてしまいました。そうすることで現実から目を背けてしまいました」

「違う」

そんな簡単な話じゃない。

「でも自分では気が付けないよね。もっと早く私が話してればよかったのに。ごめん」

「違う。違うよ。そんなんじゃない。音衣は知らないだけ。あいつの本性がどれだけ残酷なのかを。そこまで分かっているなら普通に考えて。あいつは一人の男を二人の女に競い合わせて楽しむような卑劣な人間なの。私は悪くない。悪いのは全てあいつよ」

私は心臓の奥の奥から叫んだ。自分をさらけ出すように。そうするつもりは無かった。でもなぜか、自然とそうしていた。

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