二日目――其ノ一
夕食後、私は音衣と共に食器を片付けていた。二度目の夜がやってくる。私はガラスや金属のぶつかる音を聞きながら、昨日の奇妙な出来事を思い返していた。もしかすると、今日も何か起こるかもしれない。考えは特異点へ引きずり込まれるように負へと向かって落ちていく。思考は想像を膨らまし、想像は感情を膨らました。
「ハルハル。何暗い顔してるの」
「えっ。何が?」
「隠しても無駄だよ」
私は、表に出しているつもりのなかったものを音衣に見抜かれていたことに動揺した。
「私、いつもと違う?」
「全然違う。何か思い詰めてるように見えるよ」
「いつから?」
「さっき。でも強いて言うなら昨日もこんな感じだったよね。何かあったの?」
「実は……」
私は引っかかっていたすべてのことを彼女に話した。
「そっか。ハルハルそういうの苦手だもんね。やっぱ、そんなに気になる?」
「うん。不安というか、怖いというか。言葉にならない感情」
食器類は言葉にならない音を立てている。
「うんうん。確かに言葉にならないっていうのは一番やっかいだよね。無駄にいろいろ考えちゃうから」
「私、おかしいのかな。みんなはあまり気にしてなさそうだし」
「全然おかしくないよ。ただ、ハルハルは見えすぎているだけ。見えすぎているからこそ何も見えてないの」
彼女はたまに不思議なことを言う。それが、彼女が変わっているからなのか、私の理解力が足りないからなのかは分からない。
「それってどういう事」
「『いろんなものに触れましょう』ってこと」
私はますます首を傾げた。
「でもそれは今すぐできることじゃないから、今は何も考えないようにすればいいよ。それが簡易的な措置」
「考えないようにしようとすると余計に考えちゃうよ」
「忘れたい時は忘れようとしちゃダメ。こういう時は何か別のことをすればいいんだよ。もっと言えば楽しい事。そうすれば何でも忘れられるよ」
「楽しい事か……」
正直、そんな余裕もないほど私は参っていた。
「私が後でいい所に連れて言って上げる。そうすれば気持ちも少し楽になるんじゃないかな」
「いい所?」
「そう。とっておきだよ。特にこの時期は。ノアノアとワン君(一)は先に行ってるって言ってた。私たちも後から行こ!」
彼女はその大きな瞳をこちらに向けてそう言った。ひらひらと揺れるクリーム色の髪の毛からは私を包み込むような甘い香りがした。
「うん。分かった」
「じゃあ、ハルハルは先に準備してていいよ。後は私がやっとくから」
そう言われ私は自室へと戻った。
電気をつけた。部屋は「音がしてない」という音がしていた。私はキャリーバックの中から小さい鞄を取り出して、そこに財布などの備品を詰め込んだ後ベッドに仰向けになった。視野ははっきりしたり霞んだりを波のように繰り返していた。目に映るのは茶色。ヒノキ張りで、中心の灯り以外何も無い天井。何も無い天井。何も無い……
「……何も無い!」
私は目を疑った。見間違いであってほしいと何度も目をこすった。夢であってくれと頬をつねった。でも無い。そこには何も無かったのだ。昨日現れたはずのあるものが。怖くて放置していたあるものが。
私はこの状況を独りで受け入れることが出来なかったので、急いで音衣を呼んだ。
「音衣。ここにあった狐のお面知らない?」
「ごめん。知らない。どうしたの?」
「お面が消えたの。さっきまで天井にくっついていたのに」
「下に落ちてない?」
私たちは地面が悲鳴を上げるくらい探し回った。ベッドの下や机の下を。あって欲しくはない。でも無くなって欲しくもない。そんなジレンマを感じながら。しかし何も出てこない。それは水面にまた潜るかのように消えたのだ。
「なんで無いの。さっきまであったのに」
「ゴーン・ゴーン・ゴーン」
「ヒェッ」
悪いタイミングで時計が時間を知らせる。指先がやけに冷たい。
「ここ絶対やばいって」
焦りがさらなる焦りを連れてくる。
「大丈夫だよ。怖がることなんてないと思うよ」
「何を見て大丈夫って言ってるの? 明らかにおかしいじゃん」
「でも、お面が消えただけでしょ?」
「そうだけど、無くなるって異常だよ。普通じゃないよ。どうなってるのこれ」
「ハルハル。落ち着いて」
「落ち着いてられないよ。もうやだ。何なのほんと」
私は頭を抱えうずくまった。
「物がなくなって見つからないことなんてよくあるよ。そういうのって忘れたころに出てくるんだよね。だからそのお面も今は見つけられなくても、後で意外なところから現れると思うよ」
音衣はいつも楽観的だ。だから、私のこの悪い直感は理解できないのだろう。つくづくうらやましい才能だ。私も彼女の様に何も考えずに生きられればどれだけ楽に生きていけるだろう。
しばらくの間沈黙が続いた。その後、音衣がゆっくりと口を開いた。
「分かった。私がどうにかしてあげるから。安心して」
「……」
音衣はどうにかすると言っているけどどうする気なのだろう。それとも私の気持ちを落ち着けるためだけに言っているのだろうか。
「……」
「はいはい、考えすぎない。さっきも言ったでしょ。こういう時は楽しい事をすればいいって」
彼女は私の、この表しようのない感情から恐怖へと移行しようとしていた心を連れ戻すかのように手を引っ張った。
「ほら。早く立って。とっておきの所へ連れてってあげるから」
彼女の声は優しく丸み帯びていた。
○
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