一日目―—其ノ四

                   ○




「シュー」「パチパチ」辺りは複数の炎の音に包まれた。音衣が持参した花火は多岐にわたりそれぞれが思い思いの音を奏でている。放たれる炎色反応の光達はムードライトのように反射する。それはまるでどこか別の世界に来たのではないかと思わせる幻想的な空間を作り上げた。光の先から立ち上る煙に乗って、火薬の香ばしい匂いが鼻をかすめる。私はその煙を吸ったり吐いたりしながらその儚くも美しい時間に身を興じた。全員が、繰り返し気に入った花火を手に取り、火をつけ、それが消えゆくまでの短く力強い、又は健気な一生を見守っていた。

「凄くきれい」

「そうだよねぇ。持ってきた甲斐があったよ」

「うん。ありがとね」

「いえいえ。そういえばハルハルってこういうきれいな景色みたいなもの昔から好きだよね」

「うん。こういうきれいなものを見ていると自分だけの世界に入れる気がするから」

そんなことを言いながら、このような哀も苦も無い、喜に満ち溢れた世界が永遠に続くことを熱望した。しかし、そんな時間もあまり長くは続かなかった。

「そこにいるのだあれ」

聞きなれた声が聞こえた。顔を向けると乃愛ちゃんが私たちと少し離れた所で、道を挟んで向かい側の茂みに向かって指を刺していた。目を丸く見開き口を緩く開いて。空気は硬直し、みんなの動きは止まった。茂みは暗く、目にはただただ黒く映るので何も確認できない。乃愛ちゃんは指を刺したまま「だあれ」と連呼しながら少しずつ茂みへと足を進めた。その足取りは、ゆっくりとしていて脱力しているようにも見える。縛られたポニーテールが一歩踏み出すごとにゆらゆらと悲しげに揺れた。私は怖くなり

「乃愛ちゃん。そっちいっちゃダメ」と呼びかけた。

しかし、声は届いていないようでその歩みを止めない。「だあれ。だあれ」彼女は闇に吸い寄せられているかのように着実に茂みの方へと歩んでいった。「だあれ。だあれ」その声はどんどん私たちから遠ざかっていく。茂みの先には何が広がっているのだろか。また、そこには何がいるのだろうか。このまま彼女を進ませる事がとんでもない事に繋がるのではないかという危惧が溢れ出してくる。「だあれ。だあれ」いつもとは少し違う異様な声が広がる。風がスッと吹き抜け私の体を冷やす。その歩みもとうとう茂み前の道へと差し掛かろうとした。そのとき、私の背後から何かが飛び出した。それは獲物を捕らえようとしている獣のように緊張感に満ちた動きだった。そいつは私の横をすり抜けそのまま彼女に駆け寄りその手を掴んだ。

「そっちには何もいないから。こっちで遊びな」

それは一だった。彼はそのまま彼女の手を引き私たちの所まで連れ戻した。

「パパ。あそこにだれかいるよ」

「いや。誰もいない。気のせいだよ。パパが言うんだから間違いない。だから乃愛はもう向こうに行っちゃダメ」

彼はそう乃愛ちゃんに言い聞かせた。乃愛ちゃんもそれで納得したようでそれ以上は何も言わなかった。辺りを覆っていた異様な雰囲気は干潮へ向かう潮のように引いていった。

 それにしても、実際のところ乃愛ちゃんには何か見えていたのだろうか。見えていたとしたらそれは一体何だったのだろうか。それとも一の言うように気のせいだったのだろうか。乃愛ちゃんのとった奇妙な行動が私の脳内を忙しく駆け回った。




                   ○




                   ○




私たちはコテージへと戻った。部屋の中はヒノキの香りが充満している。私たちは共同スペースであるリビングに腰を下ろした。暖かいオレンジ色の灯りが部屋を照らしていた。大人たちからは少し疲れが見えていたが、乃愛ちゃんはまだ元気が有り余っているようでコテージ内の部屋を探検していた。それにしても今日はいろいろなことがあった。私は頭の中の記憶を辿った。「『謎の男』の話」「静子のこと」「乃愛ちゃんの奇妙な行動」

「謎の男」とは何なのだろう。静子は本当にトイレに行っていただけだったのだろうか。乃愛ちゃんは何かを見たのだろうか。これらのことが私の心をもやもやとさせ、何かすっきりしない感覚を作り出していた。そのとき不意に

「パパ。あれなぁに」と言う乃愛ちゃんの声が聞こえた。声は私の部屋から聞こえてきたようだ。駆けつけてみると乃愛ちゃんは天井を指差している。さっきと同様に目を丸く見開き口を緩く開いて。

「なぁにあれ。なぁにあれ」

「うゎ」と音衣が短く甲高い声を上げる。

「ん」と一が顔をしかめる。

その指の先には薄汚れた狐のお面が張り付いていた。粉を落としたような白い肌に血のような赤と青の曲線で模様が描かれている。目は細長く吊り上がっていて、周りが金で中が黒という色をしている。顔の中心にはどこの神社の物か分からないお札が張られてあり少し笑みを浮かべているようにも見える。お面と天井の接合部には絆創膏がたくさん張られている。おそらくそれで接着しているのだろう。

「華ちゃん。何あれ」

「いや。違う。あれ私の物じゃない」

声は弦楽器のように小刻みに震えていた。

「華ちゃんの私物じゃないの? じゃあ何あれ。元からここにあったの?」

「わ、分からない」

私はそう答えるので精一杯だった。天井から注がれる不気味な視線は私の心をひどく振り乱した。

「でも普通あんな物置かないでしょ」と音衣。 

「私たちの前にここに泊まった人がいたずらで置いていったんじゃない」と静子が冷静に返した。

「で、でも、私が夕食前にこの部屋に入ったときは何もなかったよ」

「それ、華ちゃんが気づかなかっただけじゃなくて?」

「そうだよぉ。ハルハル怖がり過ぎだって」

「で、でも」

結局お面は前宿泊者のいたずらという事でみんな納得した。しかし私の頭の中は混乱していた。確かに最初に部屋に入ったときには無かったのだ。それがだれもいない間に水面から顔を覗かせるように静かに浮かび上がったのだ。なぜこんな事が。なぜ私の部屋で。さっきまで心を掻き乱していた三つの事と、この事とが混ざり合い一つの不安の波となって胸の奥へと押し寄せてきた。押し寄せた波が心臓を揺らしわずかに脈を上昇させた。何か妙な胸騒ぎがする。そしてそれがその後、現実になることを私はまだ知らなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る