第9話 何も、わからないけれど

 ヤンキーとの壮絶な鬼ごっこをおえた俺と六実は、モール内を見て回ることにした。


 洋服店では、六実が俺をトータルコーディネートしてくれた。俺も、気合を入れて選んでみたのだが、とても優しく却下された。


 次に、ペットショップに行った。犬や猫、ハムスターなどと戯れる六実の姿はもう可愛らしすぎて抱きしめたくなるほどだった。


 その次に向かった喫茶店では多くのことを語り合った。彼女は、一人暮らしということや、俺は昔バスケをしていたこと。


 様々なことを、笑い合いながら語り合った。


 他にも、本屋や、スポーツショップ、雑貨屋など、本当に色々なところを見て回った。



 楽しげに、今、俺たちは幸せだと誇張するように。


 六実はずっと、絶え間なく笑っていた。そう、笑っていたのだ。でも、俺が六実の笑顔を見ることは叶わなかった。



 * * *


 これからすぐにでも闇に染まるだろう空は、オレンジと紫のグラデーションで彩られている。


 本当に、あの時と同じような空だった。


 違うのは、俺がその空にあの時より遠いということと、ここは観覧車の中ではないということだ。


 そして、同じなのは……側に、一人の女の子がいるということ。


 俺たちは、夕暮れ時になるまで、ショッピングモールを遊び尽くした。そして、ちょうど今店内から出てきたところだ。


「あー、楽しかった〜!」


 その女の子、六実は、満足げにそう言いながら背伸びをした。


 その姿を見ると、思わず微笑みが零れてしまう。


 それを見た彼女は俺に倣ってニコッと笑顔を返してくれた。とても、綺麗で、儚げで、可愛くて、すぐに壊れてしまいそうな。


「じゃ、行こっか」


 六実が俺の手を握ってくる。

 その手からは、相変わらず熱が伝わってきていたが、ひどく、それは冷たかった。


 こくり、と頷いた俺は静かに、バス停までの道を歩き始めた。


 青春の疾走感。

 その言葉が急に脳裏に浮かんだ。何時間しか経っていないのに、何故かあの感覚が遥か昔のことのように思える。


「馨くん」

 六実が前を見たまま話しかけてきた。


「今日、楽しかった?」

 それは、ゆっくりと、落ち着いた声だった。


「……あぁ。 楽しかった、と思う」

 俺は、言葉を探るようにしてそう返す。


「……やっぱり、馨くんはやさしいね」

 予想外の言葉に俺は思わず六実の方を見る。


「やさしい。本当にやさしいんだと思う。……私なんかと違って」


 彼女は、よく教室で見せていた、あの顔をした。

 すべてを諦めてしまったような。そんな、哀しい顔。


「そんな顔、するなよ」


 前だけ向いていた六実が、やっと俺の方を見た。そして俺はふっ、と自分を嗤ってから話し始めた。


「俺、5年前、ある誓いを自分の中で立てたんだよ。バカみたいな誓いなんだけどな」


 六実は、相変わらず、哀しそうな目で俺を見ている。


「その誓いっていうのが、絶対に俺はもう傷つかない。って誓いなんだ」


 六実はきょとんとした表情で俺を見直した。


「まぁ、その後何回か、それを破ることもあったけど、その誓いのおかげで俺は今こうして正常に生きてる」


 これは大袈裟でもなんでもなく、事実だった。


 俺はかつて、ある大切な人を失った。


 その時、誓ったのだ。もうこんな思いはするまい、って。


 だから、俺は、人との関係を深めない。結局損するのは俺なのだ。


 もし、俺があの誓いを立てず、そのまま生きていたらどうなっていたか。


 恐らくだが、俺の心はズタボロになり、挙げ句の果てには、人の好感度を上げまくって、リセットを自分からしまくっていたかもしれない。


 もしかしたら、いつかこれにも慣れれるんじゃないか、なんて信じて。


 しかし、人の好感度を上げるということは、その人に対する自分の好感度を上げることと同義だと俺は思う。


 したがって、人との関係を失う、というのに対して慣れることは不可能なのだ。



 俺は六実が何に苦悩し、あれほどの哀しい顔をするのかわからない。


 だが、わからなくても、知らなくても、俺が、このくらいのことを言うのは許されると思う。




「だからさ。もっと楽に生きていいと思うよ?」




 涙。


 六実の頬を一滴の涙が伝った。

 透き通っている、とても綺麗な涙が。


「何言ってるか、私にはわかんないよ……」


 六実は、あふれる涙をこらえながら、そう声を絞り出した。


 そして、手で涙を必死に拭いながら、彼女は後ろを向いた。


 俺は、六実の正面に回ろうとしたが、来ないで……という声にそれは遮られた。


「泣いてる顔、見られたくない……」








 5分ほど経っただろうか。


 泣きじゃくっていた六実はふぅー、と息を吐き出すと、勢いよく俺の方を向き、微笑んだ。


「もう大丈夫! さ、帰ろうか」

「あぁ」


 彼女の微笑みには、哀しさも、諦めも感じられなかった。


 ただ単純な、心の底からの微笑み。


 まさにそんな感じがした。


 その後、談笑しながらバスに乗り、同じバス停で降りた俺たちは、そこで別れた。


 それにしても……


「俺はなんて恥ずかしいこと言ってんだ〜!!!!!」


 俺の声が閑静な住宅街の静寂を破った。


 いや、出会ってから3日の女の子にだぞ?

「もっと楽に生きていい」だよ?


 死ね俺! マジで消えろ!


「なんですか?うるさいですよ〜。死んでくれませんか?マジで消えてくれませんか?」

「あぁ。殺してくれ消してくれ」


 俺はポケットからスマホを取り出すと、ティアに話しかけた。


「お前、どうせ聞いてたんだろ?」


 目ざといこいつのことだ。こんないいネタを聞き逃すはずがない。


「え?なんのことですか?「もっと楽に生きていい」なんて聞いてませんし録音もしてませんよ?」

「わざわざ録音までしてんのかよ……」


 しかし、いつものようにティアと話していると、幾分か気は紛れた。


 あんなこと言ってしまったが、俺は彼女について何もわかってないし、状況は何も変わっていない。


 しかし、だ。


 このことで彼女の気が少しでも楽になったなら、あんな恥ずかしいことを言った甲斐もあるというものだ。


 だが、そうすると……


「ティア! 六実の好感度を教えてくれ!」


 もしかしたら六実の好感度が上がっているかもしれない。


 そうしたら、俺と六実の関係は消えてしまう可能性が出てくる。それだけは防がなけれ……


「あ、17パーセントですね。心配には及ばないみたいです」

「なんでだよっ!」


 おい!どうなってんだ!


 お買い物デートして、帰りがけには彼女が泣くほどいいこと言ったのに好感度下がってんじゃねぇか!


 まったく……


 ……彼女の好感度が上がってないのは明らかにおかしい。

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