砂降りの街
ふじこ
第1話
清明なラジオの音声が、明日の風向予想を告げている。午前中から夕方に掛けては西風、それから夜半にかけて北風に変わって、少しずつ弱くなるだろう。
壁に掛けたカレンダー、明日の日付のところを見る。七の月の第四日。休日まで後二日を残している黒い数字の横に、自分の汚い字で鉛筆の走り書きがある。「東地区」。それが、僕の明日の担当区域。ああ、災難だ。
ラジオは流れるままにしておいて、窓を開ける。まだ少し土埃っぽい空気は、それでも十分に澄んでいる。濃紺の空には色んな色に光る星が散らばっていて、東の高い空には、丸い月が笑っている。
「アス、災難だな」
隣の窓を見ると、同僚が僕と同じように窓から身を乗り出している。唇の両端を釣り上げて、三日月と似た形にしながら、僕の明日を可笑しがっているようだった。水浴びをしてきたところなのだろう、黒い髪はまだたっぷりと濡れているようだ。
「風邪をひくぞ」
自分の乾いた髪をかき回しながらそう伝えると、一層可笑しそうに声を出して笑う。笑顔のまま「大丈夫だって、丈夫だし、俺」と言うのが信用出来ないのは、こいつが毎月のように、砂風邪で寝込んでいるのを知っているからだ。砂風邪は体の頑強さに関係なく、生活習慣が主な原因でかかるものだと、知っているくせに改めないから、こいつは馬鹿者なのだ。
「明日は西風だとよ。東地区だろ、担当。災難、災難」
「よく覚えてるな、イム。僕だってさっきカレンダーを見て確かめたのに」
「だって、明日はキャラバンが来る日だろ? 買い物を頼めるやつはきちんと把握しとかねえといけないからな」
ひとりで、全くその通りだ、と頷くイムに、僕は、ああ、と納得する。成る程それじゃあ明日は、仕事以上に頼まれごとが、厄介で忙しくなる一日かもしれない。同じことを考えているのは、何もこいつひとりだけではないだろうから。
「頼まれるのはいいけど、ちゃんと朝までに決めといてくれよ。また、昼過ぎに配達をさぼって、なんてお前の事情に巻き添えで、まとめて大目玉食らうのはごめんだぜ」
「分かってるって。それにあれは決まらなかったんじゃねえやい。手紙が届くのが遅かったんだ」
「自分で届けてたのに?」
「そーだよ!」
僕の疑問に大きく相槌を打って、イムはそっぽを向いた。自分から話を振っておいて、照れているのだ。長い付き合いだから、顔色なんて見なくてもすぐに分かる。あからさますぎる反応が可笑しくて、でも笑いはこらえる。「底の方に入れてあったから気付かなかったんだったか」と尋ねた声に、こらえた笑いがにじみ出ていない自信はなかったが、「ありゃ仕分け人が悪いんだ」とふてくされながら答えを寄越したから、大丈夫だったのだろう。
「嫌がらせだ」
「まあ、面白くって仕方がないさ。遠くの街に引っ越した幼なじみとの文通が、十年来、未だ続いてますなんて」
「悪いかよ」
「悪かない。……悪かないさ、珍しいだけだ。だから、明日はとっとと彼女への贈り物を決めとけよ」
「……言われなくても、そうする」
イムがそっぽを向いたまま、片手をこちらに振ってみせる。それから体を部屋の中へと引っ込めて、がたがたと手荒に、砂戸と窓とを閉めている。明日もまた、ぎりぎりまで眠っているつもりなんだろう。当番でもなんでもなければそれは当然の権利だから構やしないのだが、こちらに用を伝えて寄越してくるのがぎりぎりになるんだろうと思うと、あまりうれしくはない。
ため息をついて空を見上げる。濃紺の空が見える。埃っぽくも澄んだ空気の向こうに空が見える。太陽の代わりに月が空高くかかって、柔らかな光が通りを照らしている。ほとんどの家が砂戸を開けて、月と星の光を部屋の中へ入れているようだった。乾いた風がそれだけで弱く吹いている。頬を撫でていく風の冷たさに、くしゃみが出た。イムのように髪を濡らしているわけでもないのに、これでただの風邪を引いたら、あちらこちらから笑われる。
月明かりになんとなく、ない後ろ髪を引かれながら、僕は体を部屋の中へすっこめた。それから、窓ガラスを閉める。ラジオは繰り返し、繰り返し、明日の風向予想を告げている。明日は、西風だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます