ノーブルウィッチーズ SS 「扶桑号秘話」


 これはまだ、黒田那佳中尉が第506統合戦闘航空団ノーブルウィッチーズに合流する前の話。

 那佳は半月余りにわたり、華族の娘たる扶桑撫子として恥ずかしくない教養を身につけるべく、徹底的な修練を黒田本家で受けていた。

 この日も夜明けから、茶の湯に舞踊、俳句にお琴とお稽古事が秒刻みのスケジュールで詰まっていたのである。


「くったびれた~!」


 夕方になり、やっと稽古を終えた那佳が縁側で休んでいるとーー


「お疲れですか?」


「あ、ふ~ちん」


 黒田本家の娘で、那佳にとっては姪に当たる黒田風子がお茶を運んできた。


「体使うのは平気なんだけど、お茶やお花で正座させられるでしょ? あれがどうもね……」


 那佳は両足をそろえて曲げ伸ばしする。


「叔母様らしいですね」


 風子は目を細めた。

 出会った時は那佳に反発していた風子だが、今では大の親友である。もっとも、礼儀正しい風子はあくまで目下の者という態度を崩さないのだが。


「あ、あのさ、叔母様はやめてくれない?」


 那佳は眉をひそめてお茶をすすった。


「叔母様が、私を『ふ~ちん』と呼ぶのをやめてくださるのなら」


「う~、分かったよ。『ふ~たん』でいい?」


「では、私は那佳様で」


「なんか、それも嫌だ」


「……とうとう明日ですね、欧州に旅立つのは」


 風子は那佳の隣に座った。


「そっか。そうだったよね」


「忘れていたんですか?」


「すっかり」


「那佳様ったら」


 風子は鈴を転がしたような声で笑うと、那佳に告げた。


「お爺様がお呼びです。大広間においでください」



「那佳よ」


 大広間の上座に座した当主は、いつになく改まった態度で言った。


「我が黒田の一族は、扶桑魂を欧州に見せるべく、お主に、茶道、華道、着付け、歌舞音曲に礼儀作法と、この短期間で仕込んできた」


「はあ」


 那佳は曖昧に返事をする。


「そのほとんどすべてが、潔いまでにモノにならなかったの残念じゃがーー」


 当主は咳払いをすると続けた。


「お主が黒田の誇りであることに違いはない。黒田那佳中尉よ、我ら黒田の魂だけは持ってゆけい」


 そう告げた当主は、右脇に置いた紫の布袋を手に取る。


「それと……これも携えるがよい」


「これって?」


 袋から出されたものは、一本の槍。以前、那佳との決闘で、当主自らが握った先祖伝来の槍だった。


「これは扶桑号という。そもそもこのーー」


 当主は誇らしげに由来を語り始めたが、そのほとんどは那佳の右耳から左耳へと抜けていった。

 で、10分後。


「要するに、この扶桑号は黒田の意地と心意気の証という訳じゃな」


 話し終えた当主は、孫娘の方を見る。


「風子よ、ガリア語で心意気は何と申す?」


「クール、でしょうか?」


 風子は少し考え込んでから答える。


「うむ」


 頷いた当主は、扶桑号を握った手を那佳の方に差し出した。


「ならばこれがお主の『クール』よ!」


「はい! 扶桑丸、お預かりします」


 那佳は一礼し、扶桑号をつかむ。


「……扶桑号じゃ、ふ、そ、う。ご、う!」


 当主は顔をしかめて訂正すると、ブツブツとボヤき始めた。


「名前ぐらいまともに覚えんかい。お主はどうしてこう、ここぞという時に決められぬかのう?」


「扶桑号ね、扶桑号……」


 那佳は口の中で繰り返していたが、やがてパッと顔を輝かせて提案する。


「覚えにくいから、扶桑君とか、扶桑ちゃんじゃ?」


「いったいどこがどのように覚えにくいんですか?」


 風子がため息をつく。


「なんか、没個性で」


 那佳は頭を掻いた。


「もうお主には貸さん! 金輪際、貸さん!」


 拗ねた当主は、扶桑号を奪い返した。


「え~っ! けち~っ!」


「誰がけちじゃ、誰が!?」


「じゃ、槍要らないからお小遣いください、お小遣い!」


「この痴れ者が~!」


 結局。


 思い直した当主が船便でセダンに送り、那佳は無事、扶桑号を手にすることになるのだが――。



 この扶桑号がガリアの地でどんな活躍を見せたかは、また別の話である。


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