第二章「回想の姫君」 第二話


 馬車が村に着くと、住民のほとんどが外に出て、どこかに向かおうとしていた。

 どうやら集会場をねた、村でただいつけんのビア・ホールに集まろうとしているようである。


「何じゃ? さわがしいのう」


 馬車からピョンと降りたハインリーケは、村人たちに近づく。

 すると。


「おお、ひめ様だ!」


「姫様が来てくださるとは!」


 村人たちはハインリーケを囲んだ。


「私たちの苦境を知った領主様の、名代としていらっしゃったのですね?」


 代表らしき中年の村人が、感謝の余りになみだめる。


「ま、まあな」


 このふんで、まさかシュトレンを買いに来たとは言えないハインリーケである。


「これで今月は三回目です!」


「このままでは地代も納められません!」


「どうか、対策を!」


 村人たちは口々に訴えた。


「ともかく」


 こしに手を当てたハインリーケは自分よりずっと背の高い男たちをわたすと、こうしたじようきようではばんのうとも思える言葉を口にする。


くわしい話を聞こうではないか?」


 ハインリーケは村人たちとともに、もつこつ造りの古いビア・ホールへ入った。

 席は二十ほどだが、集会場としても使われるので村人全員を収容できる広さがある。

 こうした店では良くあるように、オーブンを兼ねた暖炉の上のはりにはソーセージやハムがけられて、適度にいぶされていた。

 奥のテーブルには、いつもポーカーをやっている二人組がいる。

 以前来た時、この二人のプレイする様子を見て、ハインリーケは30分ほどで、ポーカーのルールを覚えた。

 屋敷でメイドやしつを相手にいくかゲームをこなしたが、負け知らずである。


「で?」


 一同の顔が見えるように、カウンターによじ登って座ったハインリーケはうながす。


だれか事情をわらわに説明せぬか?」


「実は」


 顔を見合わせた村人たちが語ったところでは──。


 ここ半月ほどの間に三回、村のちく小屋や穀物倉庫がおそわれていた。

 深夜のこと、それもだんは平和な村であり、見張りを立てていなかったのでもくげき者はいない。

 無論、じようはしてあった。だが、鋼鉄のじようまえはまるでするどつめで切りかれたようにこわされ、とびらもほぼ粉々になっていた。そして、牛やぶたにわとり、それにチーズやソーセージ、小麦、大麦のふくろがごっそりと消えていたのである。


「現場には、きよだいな生き物のあしあとが残っておりました。我々はベートわざだと思っておるのです」


 頭は反射鏡なみに禿げ上がってはいるものの、白いひげは十分過ぎるほどにたくわえた村の故老が、深いため息とともに話を終えた。


「ベート、とな?」


 ハインリーケはまゆひそめずにはいられなかった。


「はい」


 故老が重々しく頷く。


「ジェヴォーダンのベート。あのかいぶつが、この村に現れたにちがいありません」


 ジェヴォーダンのベート。

 それは、18世紀後半、ガリアで起きた血ときようの物語の主人公である。

 1764年、ガリアのジェヴォーダンを中心とする村々で、少女や羊飼いの少年が立て続けに殺される事件が起きた。

 子供たちはみな、腹やのどを切り裂かれ、半分われたざんな姿で発見された。

 目撃者の語るところでは、襲ったのはしつこくで、燃えるような目を持つくまよりも巨大な生き物。

 ずるがしこわなしんちようける、ごくから現れたようなちよう自然の生き物だった。

 村人たちはこれをおそれ、ベトと呼んだ。

 領主がけんした見張りも、急いで結成された自警団も効果はなかった。

 増え続けるせいしやすべもない村人たちは、とうとう国王にベートの退治をうつたえ出た。

 王はドラグーの部隊を送り込んだが、成果は上げられなかった。ベートは人々の努力をあざわらうかのように、犠牲者のリストを増やしていった。

 国王はついに名高いおおかみハンター、デンヌヴァル親子を、さらに王直属のハンター、アントワーヌ・ド・ボーテルヌまでをもジェヴォーダンに向かわせたが、その彼らも、数頭の狼を仕留めただけに終わり、ベートのこんせきを見つけることさえできなかった。

 その後もベートはガリアを恐怖におとしいれ続けた。

 ジェヴォーダンからふっつりと姿を消したのは、一年近くってからのことだった。


「ふむ」


 話を聞き終わったハインリーケはカウンターからピョンと飛び降りると、熟考するように村人たちに背を向けた。


(これは初陣を飾る絶好の機会!)


 きやしやかたが小刻みにふるえる。

 無論、恐怖からではない。

 扶桑でいう、しやぶるいである。


みなの者、あんするがよい! わらわが必ずやお主らたみを救おうぞ!」


 り返ったハインリーケは宣言した。


「……姫様が、ですか? 領主様ではなく?」


 きょとんとした顔になる村の古老。


「見くびるではない」


 ハインリーケはそばにいたりようの手からりようじゆううばい取ると、ポーカーに興じている二人組につつさきを向ける。


「スペードのA!」


 小さなほうじんがハインリーケのあしもとかがやいた。

 引き金をしぼると、ハンマーが火皿に落ちて黒色火薬が燃え上がる。

 球形のなまりの玉は、ハインリーケに背を見せていた男の手札の一枚に穴を開けた。


「どわっ!」


 いつしゆんおくれておどろいた男が、手札を投げ出す。

 ひらひらと宙をったのは六枚のカードだ。

 ポーカーの手札は通常、五枚であるにもかかわらず。


「二枚目のな」


 ハインリーケは地面に落ちた二枚のカードを拾い上げた。

 一枚は穴が開いたスペードのA。

 もう一枚は穴が開いていないスペードのAだ。


「Aが二枚!? て、てめえ、イカサマやりやがったな!」


「気づかねえてめえがけなんだよ!」


「道理でハートのKを三枚持ってても勝てねえ訳だ!」


「おめえもイカサマろうじゃねえか!」


 カード仲間の二人は、つかみ合いのけんを始めた。

 この様子に、あつにとられる村人たち。

 だが、少しして。


「さ、流石さすがひめ様! 見事なうでまえ!」


「ベートのやつも、もうおいだぜ!」


「姫様、万歳!」


 一同はいつせいにカウンターにさつとうし、前祝いのしゆくはいを上げ始めた。


 その夜。


「その件については、村の分署と合同で調査団を派遣することになっているよ」


 ハインリーケがベートの話を夕食の席で持ち出すと、父はすでに知っていたらしく頷いた。


「怪物と戦うのじゃな!」


 るようにして立ち上がるハインリーケ。


「ハインリーケ、今は中世ではないんだ。私は本当に怪物が出たとは思っていない」


 父はしようした。


「怪物よりもざんにんで、こうかつな生き物、人間の仕業さ」


「あなた、もう少し教育にはいりよした発言をなさってください」


 父のシニカルな意見に母が眉を顰める。


明日あしたか。楽しみじゃの」


 ハインリーケはみをかべ、期待に胸を──的な意味で──ふくらませた。

 だが。


「お前は留守番だよ」


 父は冷や水を浴びせた。──これも当然ながら比喩的な意味でだ。


「ど、ど、ど、どうしてじゃ!」


 ハインリーケはおもちゃを強請ねだる子供のように父のうでにしがみつく。


「調査は真夜中。子供はる時間だ」


「じゃが、高貴なる義務は!?」


「9時までに寝る。それが八歳の女の子の義務だよ」


 父はやさしく微笑ほほえんだ。


「わ、わらわはおのれの名のみを求めて怪物退治に乗り出そうとしておるのではないのじゃぞ! 村の民のことを思って!」


 調査隊の一員になりたいハインリーケは必死だ。


「これ以上この話題を続けるなら、ベッドに行く時間を30分早めますよ」


 優しく見えるこの母、実は父よりもず〜っとハインリーケに厳しかった。


「うう、横暴じゃ」


「1時間早めます」


「……ごめんなさい」


 ハインリーケは全面こうふくした。


    *   *   *


「へえ〜、たいもやっぱりお母さんの方がこわいんだ?」


 那佳はまたも口をはさんだ。


「この話の流れで、どうしてそこに引っかかるのじゃ!?」


 声をあららげたハインリーケは軽い頭痛でも覚えたのか、こめかみを押さえる。


「いや〜、うちと同じだな〜って」


 那佳は頭をき、自分のじりを人差し指で押し上げた。


「母さん、おこると目がこんなになって。もう怖い怖い」


「そ、それほどか?」


 これにはハインリーケもき出さずにはいられない。


り声が近所までひびいて、ずかしいのなんのって」


「そなたの母はオペラ歌手か?」


 ハインリーケは首をひねる。

 扶桑の住宅事情を知らないので、他家まで声が届くという光景が想像できないのだ。

 ハインリーケは怒鳴られることはなかったが、体を使う遊びが好きな子だったので、外出禁止はかなりこたえたおくがある。

 部屋から一歩も出ることを許されず、乳母うばが終始行動を見張った。

 食事もメイドがひとり付くだけなのだ。

 もっとも、その自室が那佳の家全体と同じくらいの広さであることをハインリーケは自覚していない。


「あ、でも一応言っておきますけど、優しいこともあるんですよ。私が麻疹はしかで寝込んだ時なんか、三日も寝ないでひようのうえてくれたり」


「そうか……そうじゃな、それが母というものかも知れぬ。子を心配すればこそ、いかりもする」


 ハインリーケは目を細める。


「で、続きは?」


 那佳は先をうながす。


「その夜おそく、確か午前1時を回ったころ──」


 ハインリーケはせきばらいをして続けた。


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