CHAPTER2 回想の姫君

第二章「回想の姫君」 第一話


 ガリア北方、ベルギカ国境に近いアルデンヌ県セダン。

 この深い森におおわれた地に、第506統合戦闘航空団「ノーブル・ウィッチーズ」のA部隊基地があった。

 何故なぜ、A部隊基地というのかというと、ディジョンにB部隊基地があるからだ。

 506JFWは、A、B二つにぶんれつした他に類のない部隊なのである。

 A部隊を構成するのは、本来の設立目的にう貴族の血を引くウィッチたち。

 Bのメンバーは戦力不足を補うためにリベリオンから送り込まれた、ほとんどが貴族ではないウィッチたちである。東の空からゆっくりとやみに包まれようとしている時間帯、そのA部隊格納庫、ハンガーわきに設けられた簡易きゆうけい室では──。


「ですから、アンコと寒天のぜつみようなハーモニーに、みかんのさんがアクセントになって、さらに豆の食感が──」


 くろくにちゆうが戦闘隊長ハインリーケ・プリンツェシン・ツー・ザイン・ウィトゲンシュタインたいに熱く説いていたのは、そう名物アンミツのりよくだった。

 新入りの那佳はここ何日か、ハインリーケとのしんぼくを深めようと、その行く先々でまとわりついていた。親睦を深める気などさらさらないハインリーケは最初、追いはらおうとむなしい努力をり返していたが、今はもう半ばあきらめ気味である。


「そのアンミツとしようするだかデザートだかの、仕様スペツクはよう分かった」


 興味がなさそうに欠伸あくびみ殺す、起きけのハインリーケ。

 ハインリーケはナイト・ウィッチ。夜間しようかいが主な任務なので、那佳たちとは生活のサイクルがほぼ12時間ちがっている。

 ハインリーケがスペックと言ったのは、アンミツのレシピのことのようだ。


「だが、それが美味だというのが信じられぬと言っておる。特にそのアンナだか、アントニオだか──」


「アンコのこと?」


 那佳はビーンズ・ペーストとでも説明した方がよかったかな、といつしゆん思ったが、それでは独特の風合いがあるアンコの語感がそこなわれてしまう。


「そう、そのアンコとやら。ブリタニアのしよみんが食するフィッシュ&チップスの付け合わせで出るマッシュした豆。あれに砂糖を加えたようなものであろう?」


 ハインリーケは表情をゆがめる。

 戦闘隊長拝命の直前、ロザリーとたまたまおとずれたピカデリー・サーカスのパブで赤ら顔の店主に出された、えが良いとはとうてい言いがたい一皿を思い浮かべたらしい。

 異論もあるが、カールスラント料理と並んで、世界中から不味まずいお国料理の代表格と見なされているブリタニア料理。中でも、あの豆は頂けないとハインリーケは常々思っているようだ。

 もっとも、ブリタニア人に言わせれば、カールスラント名物のカリーブルストやアイスバインなぞ、料理の名にも値しないところだろう。


「あれはグリーンピースだから、ウグイスあんって感じになるのかなあ? 扶桑だとつう小豆あずきを使うんだよ」


 那佳はうでみをして考え込む。

 ウグイス餡の団子は確かに美味おいしいが、あの黄緑の餡は配色のバランス的にはアンミツにはNGだ。


「小豆とな?」


 小豆はどうやら、ハインリーケのにはない単語のようである。


「うん。ちょっとむらさきちや色っぽい豆」


「キドニービーンズのようなものか?」


「近い! けど、ちょっと違う」


 那佳は身を乗り出し、パチンと指を鳴らした。キドニービーンズの方が、豆が大きめ。

 アンミツよりもあまなつとうに向いているかも知れない。

 甘納豆のあのジョリジョリした砂糖の食感も、那佳が愛してまない扶桑なつかしの味のひとつではあるのだが、甘納豆はアンミツよりもやや高い。那佳にはなかなか手を出しにくい菓子である。


「……いよいよ分からぬ」


 ハインリーケはけんにしわを寄せて首をかしげる。


「とにかく。私はそういうのが好きなんですよ。小さい頃から食べてたし」


 口の中でつばあふれそうになるのを感じながら、那佳は続けた。


「で、大尉の好きなお菓子って何ですか?」


「いきなり聞くのう」


 あごの下に手を当てたハインリーケは、かすかにまゆを上げる。


「……ふむ。改めてたずねられると、それほど菓子類にこだわったことはないやも知れぬ」


「うわ〜、信じられない!」


 那佳はまるで、軽犯罪で死刑をきゆうけいされたような顔になった。


「それって、好きな時に好きなだけお菓子を食べられる人の発言ですよ。パンがなければ、お菓子を食べればいいって言ったの、大尉じゃないんですか?」


 那佳はマリー・アントワネットの姿をしたハインリーケの姿を、心ひそかに思いかべた。

 せんを口元に当てて高らかに笑ったりするのが、意外と似合いそうである。

 やれと言っても、絶対にやらないだろうが。


「ガリアのおうのごとき失言はせぬわ。わらわには庶民感覚というものがあるからの」


 庶民という言葉さえ、人生でそう何度も口にしたことがなさそうな顔でハインリーケは胸を張る。


「……うそっぽい」


 ぞくとはいっても。

 こうしやく家のぼうけいの分家のはじっこで、姫様らしいしよぐうとはとんとえんだった那佳には、とうてい信じられる話ではない。


「仕方がない。わらわが幼少の頃、いかに庶民にけ込んでしたわれていたかの話を聞かせてやろう」


 ハインリーケがそう言ったたん、ソファーのひじけのところに座っていたイザベルがラジオのボリュームを上げた。

 グレン・ミラー・バンドの『ムーンライト・セレナーデ』が休憩室にひびきわたる。


「そこ、ラジオがうるさい!」


 キッとり返るハインリーケ。


そうだい英雄物語サーガの序幕だから、BGMで演出をしようかと」


 イザベルは、全く悪気はないといった様子だ。


「……バーガンデールしようは無視するように」


 ハインリーケはせきばらいをすると、那佳に語りだした。


「あれはまだ、わらわがストライカーユニットを身につけることもできなかった幼少のみぎり──」



    *   *   *


 どこまでも続く針葉樹の深い森。

 つつましやかなれ日が、少女のきんぱつに降り注ぐ午後のこと。


「軍は八歳でもまとえるストライカーユニットの開発を急ぐべきじゃ」


 幼いハインリーケは馬車にられながら、不満をうつたえていた。


おおせの通りで」


 ウィトゲンシュタイン家に仕えて七十余年。よわい八十のぎよしやが答える。もっとも、この御者、かなりけているせいか、どんな問いかけにも「仰せの通りで」としか答えないのだが。


「現代の科学技術をもつてすれば、そう難しいことではあるまい」


「仰せの通りで」


「さすればわらわは、すぐにでも今世間を騒がしているかいを成敗してみせるものを」


 後にネウロイと呼ばれることになる存在は、まだこのころ、ただ怪異とのみ呼ばれていた。


「仰せの通りで」


「ウィトゲンシュタイン家が独自に開発するのはどうであろうな?」


「仰せの通りで」


「……父上は、どうして分かってくれぬかのう?」


 ハインリーケは、昨日の夕食の席での会話を思い出す。


 午後8時。

 18世紀にえられた、当時としては最新式のだんで、熱せられたまきがパチンとぜる。

 ハインリーケは父と母、三人で夕食を取っていた。

 古い習慣から、客人がいない時でも、十二人けの長テーブルを使うので、しきの食堂はいつもかんさんとした感じがただよっている。本日のメイン・ディッシュは、だらのクリームソース。

 ウィトゲンシュタイン家のシェフはガリア人なので、他のカールスラント貴族の屋敷と比べると、かなりヴァリエーションに富んだ料理が常々供されている。

 がらもあり、鹿しか肉などの野生ビ《の》エ《獣肉》料理も豊富だ。


「わらわはがらが欲しゅうてたまらぬ」


 パンを千切りながらハインリーケがつぶやくと、ワイン・グラスを口に運んでいた父は、貴族らしく慎ましいみをたたえた。んだがね色を湛えるこのワインは、モーゼルに似た口当たり。領地内の葡萄ぶどう園でしゆうかくした葡萄で作られた、八年ものだ。


あせらなくとも、まだ怪異はいなくならないさ。むしろ、近年しゆつぼつの回数は増えている」


「ええ、悲しいことですけれど」


 自分のナプキンでハインリーケのほおについたクリームソースをぬぐった母が、ひとこと口をはさむ。


「じゃが、わらわの八歳の時代はあと……」


 八月十四日生まれのハインリーケは指折り数えた。


「十か月と九日で終わってしまう。八歳でういじんかざりたいというのに」


「ハインリーケ」


 父はワイン・グラスをテーブルに置いた。


高貴ノブレなる《ス・オ》義務ブリツジを忘れてはいないだろうね?」


「弱き者を守るために、貴族は戦う」


 物心がついたころから何度も言い聞かされてきた言葉を、ハインリーケはり返す。


「個人のえいのために、戦いにのぞんではならないのだよ」


「うう」


 そうてきされたハインリーケは、赤面してうつむくしかない。


「付け合わせの野菜を残してはいけませんよ」


「うう」


 母の命令は、ハインリーケにとってはさらにこくなものだった。



「……おそいの。まだ村には着かぬのか?」


「仰せの通りで」


 馬車はウィトゲンシュタイン家の領内にある村のひとつに向かっていた。

 村のハンナおばさんが焼くシュトレン──ドライフルーツとスパイスをふんだんに使った焼き──が目当てである。

 ハンナのシュトレンは、きんりんの村々からだけではなく、はるかメルヘンかいどう上の都市からもわざわざ求める者がやってくるほどの絶品なのだ。


「早く着かぬと、わらわの分までもが売れてしまう」


 自分の足で走った方がまだ速い馬車の動きに、ハインリーケはれる。


「仰せの通りで」


 答えた御者はいっこうに馬車を急がせる気配はない。


「楽しみじゃのう、シュトレン」


 ハインリーケはえきぶんぴつが盛んになるのを感じた。

 やがて──。


    *   *   *


「ちょ、ちょ〜っと待って!」


 話のちゆうで、那佳はさえぎった。


「さっき、菓子類にこだわったことがないって言いませんでしたか?」


「お主も細かいのう。今は幼き頃の話をしている。もはや時効じゃ」


「そんなのってズルい!」


 なおもこうを続けようとする那佳の鼻と口を、ハインリーケの手がおおう。


「続きを聞きとうないのか?」


「……ひひはふ(聞きます)」


 那佳はうなずいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る