第一章「私が華族のお嬢様?」 第五話


 その夜。


 那佳はあの本家のむすめさそわれて、いつしよに入っていた。

 温泉宿のものかと思うくらいの広い風呂だ。ひのきかおりがするおけも泳げる、とまではいかないが、十分に手足をばして入ることができる。

 帰国する際のかんで、水を極力節約する生活をいられた那佳にとっては至福の時である。

 黒田本家で使われているせつけんは、オリーブオイルを使ったはくらいの高級品で、あわちもいい。


 本家の娘は最初はびくびくした感じで、那佳が話しかけても生返事しか返ってこなかったが、しばらくするとあごの辺りまでお湯にかりながら小さな声で言った。


「……………………あの」


「ん、何?」


 あわまみれになっていた那佳は、鼻歌交じりで娘の方を振り返る。


「昼間は本当に……ごめんなさい」


 娘は視線を合わせることができずに湯の表面にできたもんぎようした。


「私、あなたが財産をうばう気だって、父に聞かされて。それでくやしくって」


 それでもつうかい工作を実行に移したりはしない。この娘、行動力だけは那佳と通じ合うものがありそうだ。


「あり得ないって、そんなの」


 白い綿のような泡が、いつしように付す那佳のつつましやかな胸をおおう。


「軍ってけっこ〜もらえるんだよ。ウィッチだと特に」


 だから那佳は軍へ入る道を選んだのである。


「私、みんなにウィッチになることを期待されてたの。あなたに発現があってからは特に」


 告白する娘の声がふるえた。


「そっかあ」


 それはそれでつらかっただろうなあ、と那佳は思う。


「新聞であなたのかつやくを見る度に、父も母もため息をついて」


 泣きそうになった娘は、顔を湯に浸ける。


「……背中、流してあげる」


 那佳は本家の娘の手を取って、湯船から引き出した。おうしゆうではウィッチ同士、一緒に風呂に入ってよく背中を流したものだが、これは扶桑から伝わった習慣だという。


「え、あの?」


 まどう娘を座らせ、那佳はぬぐいに石鹼をつけて背中を洗ってやる。

 白くてなめらかなはだは、流石さすがぞくのおひめ様、という感じだ。


 那佳は紅海での戦いでかなり日焼けしたのが、いまだに残っている。

 手首やむなもと、それにふとももにはっきりと色の境目ができていて、ちょっとずかしい。


「ね、私たち友達になれるよね?」


 那佳は本家の娘にたずねた。


「……う、ううう」


 本家の娘は泣き出す。


「ご、ごめん! いやだった?」


 あわてる那佳。


ちがうんです」


 本家の娘は目をこすりながら振り返る。


うれしくって」


「だったら、今日から友達ね!」


 那佳は形式上、自分のめいとなった娘の手をにぎり、大きく上下に振った。

 石鹼の泡が、のあちこちに飛び散った。


(ちゃんと、分かり合えるんだよね? 話してみれば)


 那佳は窓からのぞく、月に目をやる。

 だが。

 窓から覗いていたのは月ではなかった。


「おじいちゃん、また!」


 本家の娘が胸をかくしながらそちらをにらむ。

 窓のところからニヤけた顔でこちらを見ていたのは、あの当主だった。


「またって!?」


 那佳は訳が分からずに当主と娘の顔を見比べる。

 当主は風呂をく時に使うき竹を振ると、頭を引っ込めた。


「おじいちゃん、私がお風呂に入っているとしょっちゅう覗きに来るの!」


 娘はふんまんやる方ない表情で風呂桶に飛び込む。


「の、覗き!?」


 那佳が目を丸くしていると、風呂場のとびらが開いた。


「これこれ、失礼なことを言うな。わしはお前の成長を見届けたいだけであって、決っっっして嫌らしい気持ちはないのじゃ。那佳よ、そなたも今日からは儂の娘じゃ、じっくりと観察を……いや、それより背中を流してやろうかの?」


 開き直った当主は、だらしなくゆるんだ顔で風呂場に入ってくる。


「こ、こ、こ、こ──」

 那佳はちょっとでもいいおじいちゃんだと思った自分が情けない。


「このスケベじじい!」


 那佳はサイドスローで檜のおけを投げつけた。



 この半年後。

 黒田こうしやく寿じゆの祝いにえがかれたしようぞうには、前歯が3本欠けた姿が描かれた。

 につてんに出品され、数々の賞をほしいままにした名画であるが、当主は前歯を失った理由についてもくして語ることはなかったという。



            *  *  *



  興味ない。帰れ。

     マリアン・E・カールたい

(フリーランスの雑誌記者のとつげき取材で、黒田ちゆうについての質問を受けて)




            *  *  *

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