第一章「私が華族のお嬢様?」 第三話


 せいに激突してほのおに包まれた小型ネウロイが、きりみ状態できゆうに突っ込んだ。

 じんが舞い、ばくふうかんそうした熱い空気がふるえる。


「あっぶない。今のでたま切れだよ」


 那佳は少し迷ってから、だんそうが空になった得物MG42を捨てた。

 ついでに、こくえんを上げて動かなくなった右のストライカーユニットもぎ捨てる。


「……ごめんね、つれて帰ってあげられなくて」


 これでだいぶ身軽になった。


『作戦しゆうりよう! てつ退たいする!』


 雑音混じりの隊長の命令が、インカムを通して那佳の耳に届いた。

 周囲をわたすと、ほかのウィッチたちがつかれた顔で帰路につこうとしている。

 那佳もせんかいし、真っぐに基地を目指す。

 無傷な者はひとりもいない。

 こうかい方面でのミツシヨンの中でも、油田を守るこの作戦は、50度近い気象条件、敵ネウロイの数、様々な意味で今までで一番こくな戦いだった。

 地上部隊のがいじんだいで、戦車やハーフトラックのざんがいれきに半分もれるようにしてけむりを上げている。


「……私を置いていけ」


 背負っている戦友のウィッチが、那佳のうでをつかんでうめいた。


「なんで?」


 那佳は空いた右手で、その手をにぎり返した。

 背負ったウィッチのいきづかいが、かなり弱っているのが分かる。


「片肺というだけでも基地に帰投できるかどうか分からないのに、私を背負ってでは無理だよ、黒田」


 背中のウィッチは冷静に続ける。


「いつも言ってたじゃないか? 給料分だけきっちり働いて、じっちゃん、ばっちゃんに楽をさせるんだって? これは給料分には入っていないだろう?」


 そう。

 那佳にとって、戦いはただの仕事。

 家族を食べさせるためのものだ。

 すうこうな義務だなんて考えたこともない。

 だが。


「どうかな? 帰ってから隊長に聞いてみるよ、特別手当が出るかって」


 那佳は前だけを真っ直ぐに見て飛んだ。

 戦友の言葉は正しい。

 しようもうは激しく、基地の数キロ手前からは歩くことになるだろう。


「それから、前にも言ったよ。那佳でいいって」


 戦友のおしりを支える左手を何か温かいものが伝い、指先からしたたり落ちる。


「……そうだったね、那佳」


 戦友はふっと笑う。


「基地に着いたら、何かおごって」


 太陽が地平線の向こうにぼつした瞬間から、ばくの気温は急激に下がる。

 体力の落ちた者にとっては危険なレベルまで。

 那佳は魔法力をしぼって速度を上げた。


あきらめないからね」


 その言葉が戦友に向けられたものか、それとも自分へのものだったのか、那佳自身にも分からない。


「……」


 戦友は答えなかった。

 な太陽が、砂丘の彼方かなたしずんでゆく。

 安息の夜がおとずれようとしていた。


    *   *   *


(あの時に比べたら、こんなの──何でもない!)


「黒田ちゆう、いきます!」


 ストライカーユニットが、那佳の体を空へと押し上げた。

 眼下の黒田ていは、見る見る小さくなってゆく。


(なあんだ。おっきいお屋敷だと思ったけど、空からだとあんなもん?)


 那佳の口元に、笑みが浮かんだ。

 二千つぼえるていたくも、大空から見下ろすとちんまりとした箱庭のよう。

 那佳の飛ぶ姿を見ようと庭に飛び出してくる親戚一同に至っては、まるで落としたあめにたかるありんこである。


「さてと」


 那佳は急降下し、地面すれすれのところでまたじようしようして見せた。

 次いで、背面飛行。

 そこからひねりを入れながらの八の字飛行を行い、ちよう低空飛行へと移る。


(へへ〜んだ)


 難しいことをやっているように見えるが、ネウロイ相手の実戦ではもっと急激な旋回をすることがしょっちゅうである。

 この程度の動きは何でもない。


伊達だてにこれでかせいでないもんね〜)


 しようしている間、那佳は地上のしがらみから解放され、体が風にけ込んで自由になるのを感じる。

 だが、地上に張り付いている親戚たちは間近でウィッチが飛ぶのをもくげきするのは初めてなのだろう。


 全員、しばの上で棒立ちになり、あつに取られた顔で空を舞う那佳を見つめている。

 その中でも、くちびるんでくやしそうにしているのは本家のむすめだ。


「お代は見てのお帰りだよ〜!」


 本当に、見物料を取りたいくらいである。


「よっと!」


 那佳は本家の娘の前、地上50センチほどの高さのところで停止すると、白い歯を見せて笑いかける。


「ね、飛んでみない?」


「わた、私は──」


 顔をこわばらせて後ずさる本家の娘。


「特別サービスだよ」


 本家の娘のりようわきに手を入れて抱え上げると、那佳はまた空に舞い上がった。


「ひいいいいいいいっ!」


 本家の娘の悲鳴が、晴れ上がった空にひびわたる。


「たいしたGじゃないでしょ?」


 垂直にきゆうじようしようをかけながら、那佳は本家の娘に声をかけた。


「実戦だとね、もっとすごいんだよ」


 これでも、結構づかっているのである。


「このあたりで、まだ地上1000メートルぐらいかな?」


「お、お放しなさい!」


 本家の娘はそうはくになって必死にもがく。


「いいけど、危ないよ?」


 那佳はほんのちょっと手をゆるめた。


「やめてーっ、放さないで!」


 今度はしがみついてこんがんする本家の娘。


「も〜、どっちなの?」


 もちろん、本当に放す気はない。


「とにかく降ろしてえええええええええっ!」


「ちゃんと降りられるかな? 何だか、このストライカー調子が悪くて」


 那佳は少しばかり意地悪になってつぶやく。


「ごめんなさい、私が細工させたの! ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい! 謝るから、許して〜っ!」


 本家の娘は顔をくしゃくしゃにして、金切り声を上げた。



(お返しのつもりだったけど、ちょっとやり過ぎたかも)


 反省した那佳はゆっくりと降下し、石どうろうのそば、芝生の上にふわりと本家の娘を降ろす。


「はい、遊覧飛行おしまい」


 石灯籠にもたれるようにくずれ落ちた本家の娘は、白目をむいてあわいていた。


「だらしないなあ」


 頭をく那佳。


「な、なんてばんな!」


 母親らしき中年の女性が娘にけ寄ってきかかえ、キッと那佳にいかりの目を向ける。


「む、娘や〜っ!」


 さっきまでくさっていたくちひげの男も同様だ。

 そして、案の定。


「ほ、本家のご息女になんということを!」


「分家の分際で、身のほどわきまえぬか!」


「調子に乗りおって!」


 ほかしんせきたちもかさかって那佳を責め立てた。


(うわあ、私、一方的にワルモノ?)


 もう、うんざりだ。

 養子の話は破談でいいから、じっちゃんばっちゃんのところに帰って、きゆうの間のんびり羽をばしたいと心底思う。

 だが。


「こんな娘に育てた親も同罪だな」


「おこぼれをちようだいしたくてノコノコ来たようですが、がましいですわね!」


「親子そろって、とんでもない連中だ」


「たかり屋ぜいが!」


「本家に逆らって無事に済むとは思うな!」


 親戚たちの悪意は、両親にまで向けられた。


「ちょっと! 父さんと母さんは関係ないでしょ!」


 大切な両親をなじられて、那佳の頭に血が上る。


「そもそも、けんを売ったのは──」


「もうそう、那佳」


 父が那佳のかたにそっとれた。


うちに帰るよ」


「当然だ。養子の件は、そちらから辞退したということで処理する」


 口髭の男が鼻を鳴らす。


「つい先日まで存在も知らなかった分家ごときに、黒田こうしやく家の大事な財産を渡してなるものか。たとえ、ほんの一部でもな」


「最初から、そちらの財産には興味なんぞありませんよ。私はただの勤め人ですから」


 那佳には、そう答える父がくつじよくえているのがよく分かった。

 父も母も、年末年始、ぼんがんにもきちんと本家にあいさつおとずれている。それなのについ先日まで存在も知らなかったと言われたのだ。


(私たちって、本家にとってはそんなもんなんだ)


 にぎりしめた那佳のこぶしに力がこもる。

 だが、両親がこらえているのに那佳がまたひと暴れ、という訳にはいかないだろう。

 と、その時。


「待て」


 背中で低い、落ち着いた声がした。


 那佳がり返ると、庭の池のほとりつえいた老人が立っていた。

 吹けば飛びそうなきやしやな老人で、白いひげを15センチほど伸ばし、チャンチャンコをまとっている。

 那佳とあまり変わらない位置に頭があるのだから、背も高くない方だろう。

 ちょうど落語に登場する、長屋のごいんきよのようなおじいさんである。


「と、当主様!」


 一同はいつせいに頭を下げた。


「父上!」


 口髭の男も同様である。


(このおじいちゃんが……当主?)


 那佳はちょっとおどろく。


(うちのじっちゃんとあんまり変わんないんだけど?)


 口髭の男の父親なのだからと、那佳はもっと意地の悪そうな老人を想像していたのだ。


「どうやら、わしの意志に反してはかりごとたくらんだ者がおるようだの?」


 老人は、その口髭の男をにらむ。


「このような茶番を仕組んだのはおのれか、息子むすこよ?」


「あ、いえ」


 さっきまでの勢いはどこへやら。

 口髭の男はしおれた大根の葉っぱのようにへなへなになってうつむいた。


「気を悪くしたか、じようや?」


 老人は那佳を振り返り、声をかける。


「当然でしょ? おじいちゃんが黒田の当主なの?」


「そうは見えぬか?」


 当主はニヤリと笑った。


かんろくない」


 那佳ははっきりと言う。


「そりゃ傷つくのう」


 当主は白いあごひげをしごいた。


「よく知ってみれば、ちょいワルちょいしぶのナイスガイなのじゃぞ? 若いころはモテモテじゃったしのう」


「とにかく、これで帰るから」


 ハンガーのある所にもどってストライカーユニットをいだ那佳は、両親のうでを取ると正門の方へ向かう。


「養子の話はお断りね」


「そうはいかぬ」


「どうして?」


 那佳はふくれっつらで振り返る。


「すでに軍部と話は付いておるのだ。新設の部隊にぞくを送り込めぬとなると、黒田家のみの問題ではない。扶桑皇国が世界にはじをさらすことになる」


「おあいにくさまだけど、私、もう決めたから」


 黒田侯爵家のことなど知ったことではない。

 那佳は首を横に振る。


「そうか」


 肩をすくめた当主は、パチンと指を鳴らした。

 例の黒スーツの男たちが、那佳の行く手をはばむように立ちふさがる。


「養子の話をってこの場を後にすると言うのなら、儂のしかばねえてゆけ!」

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