Entanglers ― 愛は無窮に充ち、そして朽ちる ―

雑賀 拾一

プロローグ

 深淵からの波動。

 それは、極微でありながら多様な位相と波長を重ねた複雑な波動束だった。

 はるか彼方の虚空の一点より、凄まじいエネルギーによって送出され続け、半世紀の時を経て、惑星の大気圏に突入した。すると、まるでそれを察知したかのように、波動束は自らを干渉が幾重にも連なるマイクロ波に転換した。大気を通過するとき幾分、水蒸気に吸収され減衰したが、並走する別の波長に保護されて大部分は一気に地表に到達し、そのすべてに降り注いだ。

 しかし、この波動の震えに気付くものはいなかった。水面を波立たせることもない。音もせず骨や膚に伝わることもない。どんなに研ぎ澄まされた鋭敏な感覚の持ち主であっても決して感じることはできなかっただろう。

 この天空からの密やかな洗礼は、昼夜を問わず数ヶ月にわたり継続した。乾いた赤褐色の台地、山深い森の洞穴、切り立った入江の崖など、地上のあらゆる地形が執拗にこの波に曝された。そうしてある特異なメッセージが浸透し、深く浸潤していった。

 目当ては地表に露出した鉱物だ。その結晶を励起し、共鳴させてそのメッセージを刻印する。いわばマーキングだ。初登頂の頂きに国旗を立てて一番乗りを主張する登山家の行為に近い。だが、その刻印にいくらか主義主張が含まれる点は共通するものの単なる記念などではなかった。

 波動によって刻印を受けた鉱物の外観には特に異常がみられなかった。しかし、その鉱物を構成する二酸化ケイ素の結晶構造には大きな変化が生じていた。

 結晶の分子構造が波長ごとに特異的に励起し、高エネルギーを発したことで変成が加わっていたのだ。

 次いで、多様な円偏光ビームによって極微の彫刻刀が揮るわれたかのように結晶構造にその特異なメッセージ・パターンが切り刻まれていた。それは、結晶構造の中に複雑な〈押し型〉を形成させた。

 この〈押し型〉には用意周到な指令が込められ、綿密に企図された設計図が保存され、さらには精緻で驚くほど効率的な工場が組み込まれていた。

 この構造にわずかにでも陽が射せば、その秘められた機能が覚醒する。

 付着した有機物はたちまちアミノ酸や塩基、糖に分解され、それらを素に捩じるように編みこまれた長い鎖が結合される。この鎖にタンパク質の殻を被覆し、環境中に放出すれば一工程が終了する。

 その生産力は凄まじい。条件さえ整えば限りがない。労力を厭わず倦むことを知らない。わずかな光のエネルギーを利用して無尽蔵に生産し続ける。

 生成物は風に舞い、川に運ばれて、わずかな期間で地上に満ちあふれた。




 地衣類から滲み出てくる甘いジェルの臭気に誘われてワーム達は崖を這い登り、ひたすら蜜を舐め続けた。

 何千万年もの間、営々と繰り返されてきた光景だ。いつもとなにも変わるところはない。

 しかし、甘いジェルには罠が仕込まれていた。

 正体不明の遺伝子コード。

 この惑星生物を起源とする遺伝子コードではない。いつのまにか地衣類のDNAに組み込まれ、RNAに転写されウイルスとして大量に複製されていた。

 この奇妙なRNAウイルスは、ジェル物質を養分として体内に摂り入れたワームの原始的な消化管を通りぬけ、細胞に侵入した。細胞核に到達すると、DNAを選別し目当ての箇所を見つけるや即座に切り込み、自らを逆転写しその分身を繋げていった。

 感染というより組み込みといった方が正確だろう。こうすることで宿主が生存する限り、異質の遺伝子はワームの細胞核で活動できた。運に恵まれれば生殖細胞の改竄まで成功し、子々孫々まで継代される。

 その異質な遺伝子は、宿主であるワームの生存を手助けするようなことはなかった。即座に致命傷を負わせることもなかったが、それでも宿主にしてみればやはりありがたくはなかっただろう。なぜなら極めて重い宿命を背負わされてしまうからだ。

 生涯にわたってこの奇妙な遺伝子の発する内なる指令に隷従しなければならない。仮に命を賭すことがあってもだ。そうであってもその内なる指令にワームは無条件に従った。決して、逆らうことはできない。

 ワームにとってはいわば神の御言葉であり、逆らうどころかそれに従うことを無常の喜びとしたのである。


 ある日を境におびただしい数のワームが、本来なら繭を作るはずの貴重な糸を別の目的で吐き出しはじめた。それは繊細でありながら強靭な糸だった。

 ほかの個体を単に競争相手としてしか認識していないはずのワームだったが、あり得ないことに互いに協調しあって地表に巨大なアンテナ群の建造を始めた。

 神の御言葉がそうさせるのだ。

 

 アンテナ群建設は数年にも及び、激しい気象や風雪に耐えて続けられた。数十億匹におよぶワームの献身と犠牲の上にいくつもの巨大で奇怪なアンテナが地上に完成した。

 アンテナは最初、天から降り注ぐ波動を捉え、エネルギーに変換し、地中のタンパク質のゲル物質に蓄えた。

 次に波動に載せられた膨大な情報を取得し、同様に地中に蓄えた。すべての叡智と経験がこの波動によって運ばれ、ゲルの中にバイオコードとして収められたのだ。

 充分なエネルギーと情報を蓄えると、突如ゲル内に変成が生じ、様々な組織に分化を開始した。

 そのとき、なにものかが自律的な成長を始めた。もうワームの手助けは必要なかった。

 こうして誰にも気づかれないまま、ひとつの惑星が地球文明の領星となっていった。

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