第33頁目

「どこもかしこも魔導獣だらけだな」

「飛ぶだけで一苦労だね」

 勢いよく飛び立ったのはいいものの、空を徘徊する魔導獣に四苦八苦していた。それでも幸いなことに〝ベネトナッシュ〟へ攻撃を行っている魔導司書たちに注意が向いているおかげで事なきを得ている。

「……あのね、ハル。私、ハルに謝りたいことがあるの」

「謝りたいこと?」

 思い当たる節がなく、ハルライトは不思議そうな顔をする。

「今日の警備、私行かなかったでしょ?」

「ああ、そのことか。いいよ別に。もう済んだことだし」

「私がよくないの! だって、もし私が一緒にいたらハルだけを危険に晒すことはなかったのに……」

「でも、なにか事情があったんだろ? それに今こうして一緒に来てくれてる。それだけ充分だよ」

 きっとシャノンにしてみれば罪滅ぼしなのだろう。そうだとしても、友がこうしてそばにいてくれるのは心強い。精神的な支えとなるのだ。

 それに、と彼は付け加える。

「図書館でシャノンが言ってくれたこと、覚えてるか?」

「図書館で私が言ったこと?」

 ハルライトがその言葉を口にし、そしてかつて己が言った声と重なった。


――ハルはハル自身の目指すものとか、なりたいものになればいいんだよ。


「俺、この三日間、ずっとそれを考えてたんだ。俺にはなにができて、なにができないのか。そして、それを見つけて今ここにいる。シャノンのおかげだよ」

 晴れ晴れとした顔つきで微笑みかけてくるハルライト。シャノンは思わず顔を背けてしまう。背けた先で彼女もまた笑う。

(私の言葉……ちゃんとハルに届いてたんだ)

 彼の言葉が彼女を動かし、彼女の言葉が彼を動かした。それはもしかしたら、今このときのためにあったのかもしれない。誇張した言い方だ。偶然だと言ってしまえばそれまでかもしれない。それでも偶然によって今ふたりがここにいるのは、その偶然によって生み出された必然だ。その事実は決して揺るがない。

「絶対に救うよ、ベネトナッシュもみんなの大切なものも全部。そのために俺はいるんだ」

「私も諦めないよ、絶対に」

 ふたりで熱い言葉を交わしていると、ふと聞き慣れた声が聞こえてきた。ユーファミアの声だ。聞こえてきたというよりはまるで街全体に響いているようなもの感じだった。

「ユーファミアさんの言っていた支援ってひょっとして……」

「ああ、間違いない」

 ユーファミアが街全体に呼びかけてくれているのだ。ハルライトを支援するようにと。彼女の声が聞こえなくって早速、己の行使する魔導獣に跨がった魔導司書たちが寄ってくる。

「君がハルライト・フェリークスか?」

「こんな子供にそんな力が……」

「なんでもいい! ベネトナッシュが助かるなら!」

 口にすることは様々であるが、その根底にある想いは同じだ。

「道は我々が作る。君はそれに沿って進んでくれ」

 そんな会話をしている間にも後ろから〝ベネトナッシュ〟の支配下にある魔導獣が迫っていた。

「ここは引き受ける。君は先に行け。……この街の未来、託したぞ」

 ハルライトが返答する時間もなく、魔導司書は行ってしまう。命のバトンが繋がれていく。それを無駄にすることは許されない。後ろ髪を引かれる思いを断ち切り、先行する魔導司書についていく。

 明らかに魔導司書側の行動が変わったことに気づいた〝ベネトナッシュ〟はさらに魔導獣を増加させる。それも今度はハルライトの進む進路を塞ぐようにだ。背後からも魔導獣が追いかけてくる。

「くそっ! 次から次へと」

 魔導司書のひとりが辟易としたように悪態をつく。そんなことを言っている間にも次なる攻撃が展開される。

「上です!」

 誰かが叫ぶ。真上から竜系の魔導獣が迫っていた。あんな巨躯をぶつけられたらひとたまりもない。

「散開するんだ!」

 矢継ぎ早に叫ぶ。ハルライトたちも距離を取るために離れるが、直撃は免れたものの、発生した突風にコントロールを失ってしまう。

 工業区に真っ逆さまだ。なんとか墜落する直前でコントロールを回復し、そのまま道なりに工業区を突き進む。避難が済んでいるのか、人の気配は一切ない。

「シャノン! まだ上から来るぞ!」

 魔導獣はハルライトを逃すつもりはない。次々と燃え盛る火の玉を放つ。着弾し破壊の波が徐々に迫ってくる。

「追いつかれる!」

「掴まって!」

 最低限の言葉で会話する。そして、今度こそ破壊の余波に巻き込まれてコントロールを失って、無人と化した建物群に突っ込んでいく。その最中、ハルライトはひとり投げ出されて地面の上を跳ねるように転がる。

「シャノン! 大丈夫かっ!?」

 己の打撲の痛みも忘れて彼女の名を叫ぶ。建物群が崩れて発生した土煙で辺りがよく見えないが、それも次第に風に流されて薄くなっていく。その土煙の中からなにかの影が鮮明に浮かび上がってくる。

「私は大丈夫だから先に行って!」

 声は聞こえてくる。土煙が霧散してシャノンの姿が見えるようになった。傷は負っているものの、己の魔導獣がとっさに庇ってくれたようで致命傷は免れたようだ。それだけで一安心する。

「絶対追いつくから早く!」

 自分のことは構うなと、そんな気持ちが込められたような切迫した声だった。

 幾ばくかの葛藤のあと、ハルライトは走り出す。もう振り返らない。ここで振り返るのは彼女に対して失礼だ。

 今はただひたすらに倒すべき敵に向かってひた走る。

 しかし敵側も諦めない。前方の空から火球が飛んでくる。さきほどの竜の魔導獣だ。向こうも全力で潰しにきているようだ。

「どうすれば……!」

「ハルライト! こっちだ!」

 思考を巡らせようとしたそのとき、彼を呼ぶ声が響く。司書生だ。必死に手招きしているのが見える。考えている暇はない。藁にも縋る思いで司書生の元に駆け寄る。

「広い道は魔導獣が徘徊していて危険だ。建物の間の細い道を進め」

 言っていることは理に適っていた。魔導獣が通り抜けられないのは当然として、視線を切る遮蔽物にもなる。

「他のことはなにも考えなくていい。全部みんなに任せて――走れ!」

 心強い言葉とともに背中を押され、広い道に出る。戦っていた。陸で。空で。司書生も魔導司書も関係なく、ただひとりに希望を託し送り届けるために。

「こっちだ!」

 再びハルライトを呼ぶ声がする。みんなが進むべき道を示してくれている。進む道はいっけん方向がバラバラのように見えて、常に魔導獣の背後に出るルート選びがされている。それはこのベネトナッシュで生まれ育ったからこそ実現できたことだろう。彼らを――仲間を信じてハルライトは突き進む。

 仲間たちの獅子奮迅のおかげでやっと〝ベネトナッシュ〟が近くに見えてきた。ここでいったん息を整える。ここまで到達することができただけでもその苦労はひとしおだが、本番はここからだ。近くになればなるほど〝ベネトナッシュ〟を守護する魔導獣の数も増してくるはずだ。あまり時間をかけてはいられない。ここらで一気に距離を詰めたいところである。

「ハル!」

 そのときシャノンの声がした。上からだ。

「もう大丈夫なのか?」

 彼女に問う。

「もう大丈夫だから。それより早く乗って!」

 そう言って〝グリフォン〟が降りてくる。

「一気に行くよ!」

 ハルライトが乗ったことを確認すると、瞬く間に飛び上がり地面との距離を離していく。

 仲間たちの戦闘の間を縫って魔導獣のひしめく空を駆け抜けていく。敵側にとってもここからが最終防衛ラインなのだろう。

 いち早く〝ベネトナッシュ〟の元に辿り着くため、シャノンは可能な限り魔力を注ぎ込んで速度を上げる。上下左右、あらゆる動きを駆使して魔導獣との接触を回避し進んでいく。ハルライトは振り回されながらも、今度は投げ出されないよう必死にしがみつく。

「くっ!」

 わずかにシャノンの口からうめき声が漏れる。一瞬心配そうな顔するハルライトだが、声をかけることはしない。彼女の邪魔になってはいけないのだ。今できることは彼女を信じて、決戦に備えることだ。

「抜けた!」

 魔導獣の密集地帯を抜けてとうとう〝ベネトナッシュ〟を眼前に捉える。遠くからでも分かる巨躯だが、間近で見るとその大きさはもはや規格外というレベルを超えていた。

「このまま一気に肉薄して――」

 目標を目前にして、ふたりの前に最強の壁が立ち塞がった。〝バハムート〟だ。すでに戦いを挑んだ何名もの魔導司書を撤退に追い込んだ強者だ。第一アリーナのステージを消し去った熱線の存在が脳裏をよぎる。

「もうすぐなのに……!」

 ハルライトは歯噛みする。〝グリフォン〟では太刀打ちするにはあまり強大すぎる相手だ。だが、この〝バハムート〟を倒さずして〝ベネトナッシュ〟に辿り着くことは不可能だろう。戦闘は必至だ。

「ガギャアアアアアアアアア!」

 〝バハムート〟が雄叫びを上げる。おぞましい視線がハルライトを捉える。今までは歯牙にもかけていなかった彼を今度は完全に敵として認識する。口を開き〝バハムート〟の口腔にエネルギーが凝縮され始める。その様を見ていたシャノンが恐怖を孕んだ声で反応する。

「また、あの熱線がくる……」

「ステージを消し去ったあれか!」

 ハルライトはそれを実際には見ていないが、そのステージの有様を見ればどのような威力を秘めているのかは想像に難くない。決戦に備えて力を温存する必要がある今は直撃しないように避けるしか選択肢ないが、避ける方向を考えないと街に直撃してしまう。

『ハルライト! 聞こえるか』

 絶体絶命の状況と思われたとき、ユーファミアから〝通信〟が入る。

『今、お前たちを追いかけている。〝バハムート〟に困っているんだろう? 私に考えがある。そのまま〝バハムート〟を引きつけてくれ。準備ができたら、また連絡する。連絡がきたら、私の言うとおりに動いてくれ』

 一方的に〝通信〟が途切れる。

 〝バハムート〟の巨体からすれば、遠くからその姿が視認できていてもおかしくない。ふたりが追いかけてきているなら、その進行方向から〝バハムート〟とかち合っていることも予想できるだろう。

「引きつけるって……」

 当惑するハルライトに、

「でも、ユーファミアさんが言っているなら、今はそれを信じて動くしかないよ」

 自分たちと比べれば、はるかに知識も経験も豊富な一級魔導司書だ。なにか算段があるのだろう。突破口を持ち合わせていない以上、それに賭けるしかない。幸い、小回りが利くのが強みの〝グリフォン〟だ。翻弄するのはなんとかなる。

 とにかく注意を引きつけるためにでたらめに動く。その間にもエネルギーが凝縮は行われている。不安になる音だ。

『ハルライト、東だ! 私がいる。その方向に向かって突き進め! 合図したら左右どちらでもいい。避けろ!』

 再びユーファミアから〝通信〟が入ってすぐ矢継ぎ早に指示が飛んでくる。とっさにふたりは周囲を確認し彼女の姿を視認する。それと同時に行動を開始する。

 すぐ背後に〝バハムート〟が迫る。熱線の照準をこちらに合わせている。直線上に四人が並ぶ。このままでは全員死んでしまう。

 さらに甲高い音が鳴り響く。

『――今だ。避けろ!』

 食い気味に回避行動を取る。ふたりが直線上から外れて、ユーファミアとアリシア、〝バハムート〟が初めて対峙する。それを好機というようにユーファミアは笑う。ハルライトに向けて放たれるはずのエネルギーを蓄えた口腔に起死回生の一手をぶつける。

「――〝アルクレティス〟!」

 聖なる輝きをまとう矢が放たれる。ブライアン戦でも使用した魔導書だが、そのときとは矢の大きさが比較できないほど巨大だ。彼女のありったけの魔力が凝縮された一撃が〝バハムート〟に迫る。

「グギャアアアアアアアアア!」

 〝バハムート〟が熱線を放ち〝アルクレティス〟と激突する。両者の魔力の燐光が舞い散る。

 激しい接戦の末、聖なる矢が熱線ごと〝バハムート〟を貫く。耳を塞ぎたくなるほどの断末魔を残して、〝バハムート〟はその姿を消していく。〝アルクレティス〟はそのまま突き進んで〝ベネトナッシュ〟の胴体に風穴を開ける。

「奴の身体に穴を開けた。動きが鈍っているうち早く行け!」

「キィアアアアアアアアン!」

 ユーファミアの手痛い一撃を受けて〝ベネトナッシュ〟が悲鳴にも似た声を漏らす。彼女の魂を込めた一撃はさすがに堪えたようだ。

 彼女のチャンスを無駄にしないため、より接近し、降りられそうな場所を探す。

『各員、ハルライトたちの進行を邪魔させるな!』

 周囲にいる魔導司書や司書生に呼びかける。ここまでくれば総力戦だ。戦力をこの場所に集結させる。一世一代の大勝負だ。

(頭の上しかないか……)

 〝ベネトナッシュ〟の全身を一瞥するも、降りられそうな場所はそこぐらいしかない。頭の上も完全に安定しているわけではないだろうが、それでも断崖絶壁のように垂直な胴体よりはましだろうという判断だった。それをシャノンに伝える。

「頭の上だ。あそこに降りる」

 シャノンはこくりとうなずいて、ハルライトが指示する場所を目指す。仲間たちの支援もあってなんとか辿り着く。

「ここからは俺ひとりでやる。シャノンはユーファミアさんと合流して」

「そんな! 私だって一緒にいるよ!」

 骨を埋めるでハルライトとともにここまできた。今さら自分だけ戻るなど納得できないし、したくもない。その答えにハルライトはあえて強い語調で返す。

「ダメだ。この先なにが起こるか分からない。それにこれは俺がみんなを巻き込んで始めたことだ」

「そんなのいまさら関係な――」

「――だから、シャノンはみんなと一緒に俺の帰りを待っててくれ。帰る場所に大切な人が待ってないと意味ないだろ?」

 一拍のあと、頭が沸騰するような感覚に襲われて、シャノンは返す言葉を見つけられなかった。この状況でそんなことを言うのはずるいよと、思わずにはいられなかった。

「絶対に帰ってくる」

「……絶対だからね?」

「……ああ、約束する」

 これ以上の長居は危険だ。意を決するような思いでシャノンはこの場から離れていく。ハルライトとの約束を胸に抱いて。

「さて、相棒。そろそろ始めますか」

 決して返事が返ってくることはないが、その返事を待つように一拍の沈黙が流れる。それから呼吸を整える。脳すべてを魔導演算領域に割り当てるため、あらゆる思考をクリアにし研ぎ澄ませる。

「――解析開始!」

 最後になるかもしれない命令を〝ラプラス〟に下す。眠っていた切り札が目を覚ます。

「ッ……!」

 直後、脳の奥深くにずきりと痛みが走る。脳全体が頭から熱湯を被ったように熱く、オーバーヒートしそうだ。

 今〝ラプラス〟に押し寄せてきているのは止めどない情報の嵐だ。今まで発動していた魔導書などまるで比にならないほど、その情報量は膨大で、そして深い。〝ラプラス〟が読み取った情報を再変換しているハルライトにもその負荷は襲いかかってくる。

「ガッ……!」

 情報の嵐はさらに激しさを増し、その負荷はハルライトの脳を徐々に侵蝕していく。何度も遠ざかりそうになる意識を歯を食いしばって繋ぎ止める。そんな彼の苦しみもお構いなく、情報はただ流れ込むだけだ。待ってはくれない。そんな中でも、もうひとつやらなければならないことがある。

(みんなのためにも……俺自身のためにも、負けて、たまるか……!)

 助けてくれたみんなの思いと、彼自身の強い想いは絶望と挫く力強い支えとなる。

「――いっけえええええええ!」

 魂の一撃を諸悪の根源に叩き込む。

「キィアアアアアアアアアアアアアン!」

 〝ベネトナッシュ〟の悲鳴を最後に静寂が訪れ、眩い光が世界を包み込んだ。

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