第30頁目

「くそっ! 一体全体どうなっているんだ」

 ベネトナッシュ魔導局の敷地内にある資料館から出てきてから、ユーファミアは街を我が物顔で闊歩する魔導獣の対応に追われていた。この未曾有の大災害もブライアンが描いたシナリオの一部なのだろう。そう思うと、気づくのに遅れてしまった己の不甲斐なさに歯噛みする。結局、止めることも叶わなかった。

「次から次へと!」

 だが、そんな己の不甲斐なさを嘆く余裕はなかった。魔導獣はどれだけ減らしても、それを上回るスピードでその数を増やしている。いったいどんなからくりがあって、こんな常軌を逸した芸当ができるのか。考察しようにも、うっとしい魔導獣たちはその時間すら許さない。体力と魔力がいたずらに消耗させられるだけだった。

「さすがにきつくなってきたな……」

 思わず片膝をつく。いくら百戦錬磨のユーファミアといえど、長時間戦闘は望むべきところではない。実際、共闘してくれた魔導司書もすでに何名かは魔力切れによる反動で戦線を離脱している。戦闘慣れしているユーファミアもいずれは訪れる未来だ。それを先に見せつけられた気分だった。

「ただでさえ、大混乱なうえにあのとんでもない化け物はなんなんだ」

 睨むような視線を化け物に向ける。その直後、耳を劈くような咆哮が木霊する。

「キュアアアアアアアアアアアン!」

 もうこれで何度目だろうか。すでに聞き慣れてしまっているが、それでもこの高音には思わず耳を塞いでしまう。

 最初こそ、白銀の化け物に驚きを隠せなかったユーファミアだったが、それよりも周囲に群がる魔導獣の対処に頭いっぱいで思ったより取り乱さなかったのは、魔導獣に感謝すべきことかもしれない。

「とはいえ、許す気はさらさらないがな」

 ユーファミアの相棒といえる魔導書――〝ラグナロク〟を構える。長年付き添ってきた相棒の感覚はユーファミアを裏切らない。身体に多少の疲れを覚えても、経験や感覚がそれを補ってくれている。だが、それでもいずれ限界は訪れる。

「――ッ!」

 一瞬のめまいに視界が奪われる。普段ならなんてことのない、時間にしてものの数秒もないめまいだ。だが、それが致命的だった。

 魔導獣の鋭利な爪が眼前まで迫る。とっさに〝ラグナロク〟で受け止めるが、構えが甘く体勢を崩される。さらに衝撃で〝ラグナロク〟が手元から離れてしまう。矛であり盾でもあった〝ラグナロク〟を失い、今のユーファミアは完全に丸腰だ。そんな状況など構いもせず、命じられるがままに牙を剥く。絶体絶命だ。

「――ユーファミアさん!」

 直後、横槍を入れるように突っ込んできたなにかが魔導獣を突き飛ばす。

「シャノン!」

 〝グリフォン〟に乗って現れたシャノンにユーファミアは目を丸くする。

「今までどこに行ってたんだ」

「すみません。色々事情があって……」

 ユーファミアの咎めるような口調に、ばつが悪そうにシャノンは視線を下げる。

「って、それよりもハルが!」

「ハルライトがどうかした――伏せろっ!」

 突然のことにシャノンはとっさに動けなかった。

「受け身を取れ!」

 もう間に合わないと判断したユーファミアは足払いで強引にシャノンの姿勢を低くさせる。直後にシャノンの髪を掠める凶悪な爪。魔導獣だ。その魔導獣にユーファミアの〝ラグナロク〟が強烈な一撃を叩き込む。なす術なく魔導獣の姿は霧散し、魔導書へと戻る。

「ま、間に合って良かった」

 さすがのユーファミアもぎりぎりだったのか、焦りの色がありありと滲んでいた。

「立てるか?」

 へたり込んでいるシャノンにユーファミアが手を差し出す。そう言う彼女も〝ラグナロク〟を杖代わりにしており、連戦続きで疲労の色が見て取れた。

「ありがとうございます。ユーファミアさんのほうこそ、大丈夫ですか?」

「このくらい大過ない。それより、ハルライトがどうとか言っていたな」

 他の魔導司書の協力もあって、周囲から魔導獣はいったん姿を消した。とはいえ、それも時間の問題だ。際限なく魔導獣が増え続けている状況で安全な場所など存在しない。仮にあったとしても、それは一時的なものにすぎない。いずれはまたここにも魔導獣が姿を現す。会話を交わすなら、この場で手短に済ますしかない。

「あの柱のようなものが見えますか? あの上にハルがいるんです」

 シャノンが指差す先を見る。彼女を言う柱のようなものの存在についてはユーファミアも気づいていた。魔導獣の対処でそれどころではなかったが、そこにハルライトがいるというのは初耳だった。

「なぜ、そう思う?」

 そう問われてシャノンは口ごもる。

「確証はないです。でも……ハルはきっとそこで戦っている。そんな気がするんです」

「直感という奴か……」

 シャノンの言っていることはなにひとつ確証がない。そんな不確定な情報で動けるほど、ユーファミアの残りの体力も魔力もそう多くはない。だが、この混沌の渦に投げ込まれた状況で信じられるものがないのも事実だ。

 シャノンがハルライトと仲が良いのはよく知っている。はたから見ていれば一目瞭然だ。であるならば、ハルライトの行動原理を心得ていてもおかしくはない。どうせここで延々と魔導獣の相手をしていても、大本を断たねば勝機は見えてこない。賭ける価値はある。

「分かった。そこまで行こう。いい加減、ずっと魔導獣の相手をしているのも飽きてきたしな。ここは他の魔導司書に任せるしよう」

 行くと決めたのなら早いほうがいい。善は急げというように魔導書を発動させ、乗り物となる魔導獣を顕現させようとするが、それをシャノンが制止する。

「ユーファミアさんは少しでもいいから休んでください。移動手段は私の〝グリフォン〟にしましょう」

「いや、後輩に協力してもらっている横で休むなんてこと……」

 こんな緊急事態だ。一級魔導司書であり、彼女らの先輩でもあるユーファミアが最前線で戦うのは当然のことだ。むしろハルライトやシャノンを守護するべき立場であり、疲労が蓄積しているとはいえ、自分だけ休息を取ることは彼女の矜持が許さなかった。

「こんなときに先輩も後輩も関係ないです。それに……私にもできることがあるならそれを全うしたいんです。どんなときも真っ直ぐに進み続けるハルのように」

 覚悟を決めた目だった。シャノンにいったいどのような心境の変化があったのか、ユーファミアはなにも知らない。それでも彼女の瞳の奥にある想いが本物であることは紛れもない事実だ。それを無下にしてしまうは先輩として失格だろう。彼女の意志を汲み取り、ユーファミアは言葉を紡ぐ。

「そこまで言うなら――任せるぞ」

「はい!」

 はっきりと、そして力強く答える。意志の強さを感じる声だ。

 ユーファミアに〝グリフォン〟の上に乗るようにうながす。ユーファミアを背中に乗せると、〝グリフォン〟は翼を大きく広げ夜空へ向かって飛翔した。

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