第27頁目

「話が違う!」

 開け放たれた扉は壁へと叩きつけられて、壊れんばかりの音を部屋に響かせる。憤慨する二十代後半の男――ブライアン・コニックが凄まじい形相で睨む先には座椅子にふんぞり返っている三名の魔導司書がいた。

「まあ落ち着きまたえ」

 三人いる中で一番最年長の魔導司書が落ち着き払った態度で言う。これだけのことをしておきながら、まるで覚えていないようなその様子はさらにブライアンの噴火した感情を刺激する。

「私の娘を――エリスを助けてくれる約束だったはずだ」

 生まれながらにして病弱なブライアンの愛娘――エリス・コニック。彼女の病弱な体質を治療してくれるという約束で、彼は新たな魔導書の臨床試験にエリスを使わせてほしいという依頼を承諾した。苦渋の決断ではあったが、もはや数多くの医者が匙を投げ、打つ手なしの状況で頼れるものは魔導書しかなかった。あらゆる奇蹟を起こすことができる魔導書なら、きっと娘を長年苦しめてきた体質を治してくれる――そう信じていた。

「確かに約束した。だが、その前にこうも言ったはずだ。『必ずしも上手くいく保証はない』と」

 最年長の魔導司書の言葉にブライアンはたじろぐ。そう、彼らがやったことはあくまで臨床試験だった。上手くいかなかったときのことは当然リスクとして加味するべきことであり、その点ではブライアンに落ち度がある。

「君だって魔導司書の端くれなら、そのくらいは予想していたはずだ。それを分かったうえで申し入れを承諾した、違うか?」

 その言葉に反論できなかった。自分の中で焦りがあったことは否めなかった。早く娘を楽にさせてあげたい。親としての良心を持つがゆえ、確実ではない方法を選択してしまったのだ。エリスの意志を確かめる前に。男手ひとつで大切に育ててきた娘を失った悲しみと絶望にブライアンは膝から崩れ落ちた。

 そんなブライアンを尻目に三人の魔導司書はやっと終わったと言わんばかりにうっとおしそうな表情で部屋から出ていった。

 ブライアンの愛娘――エリス・コニックが二度と戻ってくることはなかった。


 さきほどの話を終えてから数時間後。ブライアンの足取りは重いものだった。見慣れた廊下はいつもより何倍も長く見えて、歩くのさえ億劫に思えた。今は亡きエリスがいる部屋に行こうとして足が止まる。いったいどんな顔をして娘に会えばいいのか。全ての責任は自分にある。たとえ今はもう生きていないとしても、父親として合わせる顔がなかった。

 当てもなく、ふらふらと歩く。どこにも行く気が起きない。そうして、どこかの廊下の角を曲がろうとしたとき、聞き覚えのある声が聞こえてきた。間違いない。その声は数時間前に口論したあの三人の魔導司書だった。どうやら立ち話をしているようである。

 なんとタイミングの悪いことだとブライアンは思う。

 向こうはこちらの存在に気づいていないようだが、あんな口論をしてしまった手前、直接顔を合わせるのは気まずくて憚られる。そう思って、引き返そうとしたとき、聞き捨てならない一言がブライアンの耳朶に触れた。

「それにしても、今朝は上手くごまかせましたね」

(今朝……? あの口論のことか?)

 自然と廊下から繋がっている通路に身を隠し、聞き耳を立てていた。彼らとの今朝の出来事で思い出すのは件の口論しか思いつかない。

 こちらが聞き耳を立てていることも知らずに、むかつくくらい上機嫌な声で彼らは話しを続けている。

「元々成功する見込みはほとんどない試験でしたからね。ちょうど実験台が必要だったところで、まさかこうも態のいい実験台が見つかるとは思いませんだしたよ」

「おかげで問題点も明らかになったし、これから調整に着手できるというものだ」

「でも、病弱な子だったとはいえバレないですかね?」

 三人のうちひとりが少し不安そうな声でそう言った。直後、最年長の男が愚問と言いたげに一笑に付す。

「君は相変わらず心配性だな。今朝の様子だと、こちらが娘を救う気などさらさらなかったことには気づいていないよ。病気で亡くなってしまったとしか思っていないだろう。心配する必要はない。なに、元々あと何ヶ月もない命だったんだ。それを我々が魔導書の発展のために有効活用してあげたんだ。むしろ、感謝してほしいくらいだ」

「――ッ!」

 弾かれるようにその場を去る。大笑いする声は遠ざかっていくにつれて小さくなる。頭の中がかき混ぜられたようにぐちゃぐちゃになって、思考がはっきりしない。とにかく、歩き続けて着いたのは、大切な愛娘が安置されているブライアンの自室だった。衝動的に部屋へと入った。

「はぁ……はぁ……」

 背中を扉に預け、滑るように視線が下がっていく。息は過呼吸気味だ。

「エリスは……」

 さきほど押し寄せてきた情報の洪水を整理するように言葉にする。

 彼らの試験が成功する可能性はゼロに等しかった。

 彼らは実験台を必要としていた。

 彼らにはエリスを救う気がなかった。

 そこから導き出された結論は――。

「……そうか。そうだったんだ」

 壁に手をついて立ち上がる。そのさまはゆらゆらと力ない。少し押せば、今にでも倒れてしまいそうだ。覚束ない足取りでベットの上で横になっているエリスに近寄る。

 ベットの上のエリスはまるで絵に描かれたように美しく、色白の肌は儚さをより引き立たせる。本当はただ寝ているだけかと思うくらい綺麗な身体だが、触ってみると――彫刻のように冷たかった。

「あいつらはエリスを利用したんだ。元々病弱だったことをいいことに……」

 仮になにかあったときには、病気のせいにしてしまえばいい。エリスはそんな汚くて、吐き気を催す考えの犠牲になってしまったのだ。

「許せない……」

 沸々と憎悪の感情が湧き上がってきた。シーツに歪なシワができる。

「あの臨床試験は魔導局の上層部も一枚噛んでいたはず……」

 魔導局そのものがグルだった、そう考えざるを得なかった。そもそもいくら新しい魔導書の臨床試験とはいえ、生きた人間を使うのは危険が伴うため、必然的に上層部の許可が必要になってくる。それが失敗したとなれば、少なからず上層部にも聞き及んでいてもいいはずなのだ。それなのになんの音沙汰もない。それどころか、彼らは隠蔽しようとさえした。その行為が全ての答えを示唆していた。

「……もういい。もう、なんだっていい」

 全てを悟ったブライアンは笑った。もはや、誰と誰がグルで誰が黒幕かなんて、どうでもいいことだった。それが分かったところで、娘が戻ってくるわけでも、この煮えたぎる憎悪が消えるわけでもない。それに黒幕が分からなくても問題はない。

 最愛の娘を失ってしまった今、もうこの世界に未練もなにもありはしないのだ。

 だったら壊してしまえばいい。

 誰が黒幕だろうと、全て壊してしまえばいいのだから――。

「エリス……。お父さんも、エリスの元に行こうと思ったけど、どうやらそれはもう少しだけ先になりそうだ。やるべきことができたんだ。それを済ませてから、そっちに行くよ」

 狂気を帯びた双眸がエリスを見つめる。憎悪の中に浮かび上がる笑顔はブライアンが完全に向こう側に行ってしまったことを表していた。

 その日、たとえ何年かかろうが、この世界を壊す――そうブライアンは決意した。

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