第26頁目
まるで悪夢のようだと、第一アリーナを飛び出して、その光景は目の当たりにしたハルライトはそう思った。
逃げ惑う人々。
泣き叫ぶ人。
突然意識を失い昏倒する人。その人数は今も増えている。第七図書館都市ベネトナッシュは――地獄と化していた。
そして、それらをかき消すように巨躯に銀色の翼を持つ――〝バハムート〟の激しく切り裂くような声が空に轟いた。
「な、なんなんだよ、これ……」
召喚系の魔導書に分類される〝バハムート〟の魔導書は古書の一種であると同時に、禁止級のひとつに認定されている。その昔、一国を滅ぼしたという伝説もあるほどだ。その恐ろしさを一言で表現するなら――強大無比。今はまだ、空を飛んでいるだけ――それだけでも突風が巻き起こり、十分に脅威――だが、ひとたび暴れだせば、それはたちまち破壊の権化となる。
「……止めないと」
そんな感情が沸々と湧いた。
図書館都市に出現したのは〝バハムート〟だけではない。〝マンティコア〟や〝雷獣〟などの魔導書も次々と発動されている。個々の戦闘力は〝バハムート〟よりは劣るものの、それでも一介の学生が相手をするには危険すぎる相手だ。普通なら、今すぐにでも避難をしたほうが賢明だ。
だが、今のハルライトに避難などという選択肢は最初から存在していなかった。
「今やらないで、いつやるってんだよ……!」
胸に手を当てて確かめる。今も胎動を続ける心臓が言っている。
自分がやるしかない――と。
この未曾有の事態を引き起こした張本人は分かっている。初老の男――ブライアン・コニックだ。
魔導司書たちは図書館都市に出現した魔導獣の対応や一般人の避難に追われており、とてもブライアンの相手をしている暇はないといった状況だった。それがブライアンの狙いなのだろう。邪魔されないことをいいことに手当たり次第に魔導書を発動させているのだ。
「ダメで元々だ。やれるだけことはやってやる!」
ブライアンは今も第一アリーナのステージにいるはずだ。そこへ向けて、再び第一アリーナの中に入っていった。
第一アリーナに入ってすぐ、ステージの周囲に広がる光景はハルライトの度肝を抜いた。
何名もの魔導司書が地に伏せていた。慌てて一番近くの魔導司書に駆け寄る。息はある。どうやら気を失っているだけのようだ。
「これだけの魔導司書をたったひとりで……」
ステージの周囲を一瞥し、最後にハルライトの視線が止まった先には、ステージの中心にいる初老の男――ブライアンだ。
自分もステージへと上がり、おそるおそるブライアンへと近づく。
「今度は誰が来た……おや?」
ブライアンのまるで生気のない目がハルライトを捉える。
「ここにいる魔導司書、全部お前がやったのか?」
あくまで冷静さを保ちながら、ブライアンに問う。
「来ると思っていたよ。ハルライト・フェリークス」
「なんでの名前を……」
ブライアンが問いに答えることはなかったが、それ以上に自分の名を言われたことが衝撃的だった。
「君のことはよく知ってるよ。〝ラプラス〟のこともね」
心臓が早鐘を打つ。隠し通してきたはずの〝ラプラス〟の名を出されたことは名前を言われた以上に衝撃的なものだった。ハルライトの記憶の中で〝ラプラス〟のことを知っているのはシャノン、ユーファミア、アリシアとあとひとり。路地裏で死闘を繰り広げた外套の怪人。つまるところ、〝人形〟だった怪人を操っていたのはブライアンということになる。
「本当はあとで迎えに行くつもりだったが、君のほうから出向いてくれたのは手間が省けていい。〝ラプラス〟の魔導書を渡してもらうおうか」
圧倒的な威圧感。それは暗に従わなければ力ずくで奪うと言っているようだった。だが、それでもハルライトは臆することなく、己の意志を貫くことを選ぶ。
「あんたなんかに俺の大切なモノは渡せない」
「……そうか。ならば、仕方ない」
同瞬。突然の殺気を感じ、反射的にバックステップを取る。直後、さきほどまでいた場所が穿たれる。バチバチと青白い閃光がほとばしった。周囲に破片が飛び散る。
「ほう」
少しばかりブライアンは感心したような声を漏らす。彼の生気のない瞳にほんの少し色が宿ったような気がした。
「〝雷鎚〟を避けるとは。なかなかどうして、いい反射神経だな」
「そりゃどうも」
軽口気味に返しつつ、ブライアンを睨みつける。魔導書の発動速度はユーファミアと同等以上であると考えて間違いない。となれば、かなりの手練れということになる。あれだけの魔導司書をひとりで片付けたのだ。その実力も納得がいく。
「ただの司書生かと思っていたが……存外少しは楽しめそうだ」
一瞬、口角を上げ、ブライアンは地を蹴った。ギュン! と加速度的に速くなる。見る見るうちに両者は肉薄する。年齢に見合わない身軽さだ。
「――〝炎竜剣レーヴァティン〟」
灼熱の剛剣がブライアンの元に顕現する。手にすると同時にそのままの勢いでハルライトを狙って振り下ろす。元々攻めの姿勢ではなく、様子見に徹していたハルライトはそれを危なげなく回避する。
「どうだ? 〝レーヴァティン〟の威力は」
不敵な笑みをともに〝レーヴァティン〟の切っ先を地につける。その出で立ちはまさに歴戦の戦士そのものである。
回避には成功した――が、ハルライトの顔は驚愕の色に塗り替えられていた。
それは穿たれたというよりは融けていたという表現が適切な状況だった。超高温で熱せられたかのように地面が融解していたのだ。
「〝レーヴァティン〟は触れるもの全てを融解させる」
〝炎竜剣レーヴァティン〟――神器シリーズに数えられる特級に分類される魔導書。常時刀身に灼熱の業火を宿し、触れるもの全てを融解させてしまう。術者も例外ではなく、使い方を誤れば自身に危険を招くこともある。刀身に宿す業火を解放し、放つ一撃は天壌すら焦がさんと言われるほど、規格外の破壊力を秘めている。それはもはや神の領域に達しているといっても過言ではない。ゆえに神器の名を冠しているのだ。
「さっさと渡したほうが身のためだ。骨まで残らない灰になりたくなければな」
灼熱の炎がゆらゆらと風に揺れる。空間が沸騰しそうなくらいの激しい熱気がハルライトに押し寄せる。路地裏で外套の男と対峙したときの炎とは比べものにならない。
「なにが目的なんだ? なんでこんなことをした?」
ブライアンの目的を探ると同時に可能な限り時間を稼ぐ。あんなとんでもない魔導書を使われては、手持ちの魔導書ではたとえ束になったとしても歯が立たない。対等に渡り合うには同じ魔導書で立ち向かうほかない。
「いまさらそれを知ったところでどうする? どうせもうすぐ世界は終わる。今のこの世界に価値はない。……エリスのいない世界なんて消えてしまったほうがいい」
深い深い悲しみと憎悪が言葉となって漏れる。
「あんたの勝手な理屈で無関係な人まで巻き込むな!」
ありったけの怒りをその声に込める。だが、絶望と憎悪に取り込まれた心にその怒りは届かない。
「子供には分からぬことだ。さて、君とのお喋りもいい加減、飽きてきた。そろそろ終わりにしよう」
地面に刺さっていた〝レーヴァティン〟の切っ先を引き抜く。ブライアンが〝レーヴァティン〟を構える。ゴウ! とまるで噴火寸前の火山のように炎が吹き出した。戦闘態勢は万全といった感じだ。
「――終わりだ」
ブライアンは〝レーヴァティン〟を横薙ぎに払う。瞬間的に炎が増大し、それは竜の形をなす。地を焦がしながらハルライトを狙う。超高速スピードで回避するのは不可能。魔導書も間に合わない。
そのまま炎竜はハルライトに激突し、大爆発を起こす。彼の身体は今や灼熱の業火の中だ。その業火に囲まれれば最後、骨まで融けて姿形も残らないだろう。
ブライアンは勝利を確信する。
だが――。
「あんた、魔導書は奇蹟を起こすものなんかじゃないって言ったよな?」
業火はまるで一点に吸収されるように消えていく。業火の中から現れるのは、衣服に焦げ跡を残しながらも、それでも両足を地につけ立っているハルライトだ。その手に灼熱の剛剣――〝レーヴァティン〟を携えながら。
ブライアンはまさかという顔で目を見開く。
「俺は親父の姿を見て魔導司書になろうと思った。その姿には、夢があって、希望があって、奇蹟があって――」
かつて見た父の魔導司書としての生き様。それは今でもハルライトの夢であり、希望であり、目標だった。それは今でも変わることはない。絶対不変の想い。
だから――。
「あんたが今、どんな気持ちで、どれだけ世界を憎んでいるのか俺は分からない。けど――これだけはいえる。あんたの勝手な理屈で無関係な人まで巻き込んで、たくさんの人を傷つけて、そして――俺が目指す魔導司書の名を穢すことは絶対に許すことはできない」
ハルライトの昂ぶる感情に呼応するように彼が手に握る〝レーヴァティン〟の炎は激しさを増す。刀身に溢れんばかりの炎を滾らせる。
地を蹴って前に出る。惚けている隙に〝レーヴァティン〟の重い一撃を叩き込む。が、ブライアンもすぐさま反応し、迎撃態勢を取る。ふたつの神器が激突する。甲高い音が空を打つ。互いの魔力がぶつかり合い、炎がほとばしる。
つばぜり合いに移行する寸前にハルライトは距離を取る。ただの武器同士のつばぜり合いなら問題ないが、相手も自分も手に持つ武器は魔導書によって顕現したものだ。うかつに長時間接近すれば、不意の固有技に対応できない。
「さすがはフィーディナントが作り上げた魔導書だ」
ハルライトの持つ〝レーヴァティン〟をまじまじと見つめて、ブライアンは感嘆のため息を漏らした。
父親の名を出されたことで、ハルライトの顔に動揺の色が浮かぶ。
「どうして親父の名を――」
「そこの君! その男から離れろ!」
言いかけたことは第三者の叫ぶような声によってかき消える。
ふたりが対峙しているそこへ増援の魔導司書が駆けつけてきた。数十名の魔導司書が配置につき、ブライアンを包囲する。
ようやっと魔導司書たちが増援に来てくれたことにハルライトはほっとする。まだまだブライアンには聞きたいことが山ほどあったが、今はとりあえずこの大災害を食い止めることが最優先事項だ。
「ついに年貢の納め時だな」
魔導司書のひとりがブライアンに近づきつつ言い放つ。
「悪いが、君たちの相手をしている暇はない」
そこでブライアンは不敵に笑う。
「――〝大地変動〟」
大地が激震した。――直後に第一アリーナのステージだけが揺れているのだと把握する。激しい揺れにバランスを奪われ、ハルライトは転倒してしまう。魔導司書たちも何事だといった様子だ。
「部外者にはご退場願おうか。――〝爆炎弾〟」
一発。二発。三発……。立て続けに強烈な爆発が魔導司書たちを襲う。何度も地を跳ねて、壁に叩きつけられてようやっと静止する。視界の端で見えたその一部始終を見て、ハルライトは憤る。
「な、なんてことをするんだッ!」
「部外者を排除しただけだ」
なんとも思っていないことはその冷めた口調からよく分かる。
「――ふっざけんなッ!」
今も大地の振動は続いている。それでもハルライトは目の前の男の卑劣な行いに我慢ならなかった。〝レーヴァティン〟を手に取り特攻する。
「そんな動くと危ないぞ」
肉薄するハルライトの〝レーヴァティン〟を受け止める。そのまま薙ぎ払う形でブライアンはハルライトを跳ね飛ばす。地面を転がって、そのまま地に伏せる。
ひときわ激しい地響きがしたかと思うと、途端に見えていた景色が目まぐるしく変わり始め、あっという間に景色は空だけになった。
「な、なにが起きて……」
「立ち上がって、周囲の景色を見てみるといい」
おもむろに立ち上がって、ステージの縁から景色を見る。
「そんな……」
眼下に広がっていたのは変わり果て第七図書館都市ベネトナッシュの姿だった。あちこちから火の手が上がり、空と地には魔導獣が闊歩していた。豆粒のように小さいが、人が倒れている姿もそこかしこに見える。もはや見慣れたベネトナッシュの面影はなく、街を包むのは絶望、それだけだった。
「……なにをした?」
「ステージだけをこの高さまで押し上げた。これなら余計な邪魔も入らない」
「そうじゃない。この街にいる人に――ベネトナッシュになにをしたッ!?」
ハルライトの怒りの感情が爆発する。
「私が味わった絶望と同じだけのことをしているだけさ」
どこまでも冷めた目がハルライトを見る。
「なんでこんなことを……」
「なんで、か……。そうだな。ここで今、対峙しているのもなにかの縁だ。冥土の土産に教えてやろう。私がどうしてこんなことをしたのか」
いつの間にか空には夜が訪れていた。その闇夜に〝バハムート〟の咆哮が轟く。その中でブライアンは滔々と己の過去を語り出した。
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