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昨日の騒動から一夜明け、魔導祭はついに最終日である三日目を迎えた。最終日ということもあって、魔導祭を彩った出店の店員たちは最後の書き入れ時とばかりに声を張り上げて、客を呼び込んでいるのが至るところで見受けられた。人の流れも例年どおりの混雑具合だ。
アリーナのほうでは、三回生の舞台は二日目の時点で終わっているので、魔導書に関する様々な分野の研究発表が行われていた。純粋な学術的発表や魔導書を使ったショーなど、多岐に渡る催し物が披露されており、アリーナはさらなる賑わいをみせていた。
「シャノンのやつ、遅いなぁ」
第一アリーナ前の大通りで繰り広げられている店員たちによる苛烈な客呼び合戦の声を聞き流しつつ、ハルライトはシャノンが来るのを待っていた。声にはわずかながらに怒気を孕んでいた。それも無理はない。遅い。あまりにも遅すぎるのだ。
「朝から連絡もつかないし……」
朝の集会も含めて、すでに一時間ほどは遅刻しているだろうか。いつものシャノンなら約束の時間に遅れてくるなんてことは絶対にない。仮に遅れるとしても、彼女の性格からして連絡してくるはずなのだ。こちらから何度か連絡もしてみたが、いまだ折り返しの連絡はきていない。
「この前もなんか変だったし、ひょっとして具合でも悪いのか?」
思い返してみれば、一日目の朝のときも、警備をしているときも、どこか普段のシャノンとは違っていた。具合が悪いではないにしても、なにか悩みを抱えている雰囲気があったことは確かだった。
「なんともないといいけど」
本当は安否を知りたいところだったが、連絡がつかない以上確かめようがない。警備の都合もあるので、ここでずっと待っているわけにもいかない。シャノンのことに後ろ髪を引かれつつ、少し遅れて魔導祭最後の警備を開始しようとしたとき通信が入った。
「シャノンかっ!」
『うわっ!?』
心配するあまり、勢いあまって出てしまったハルライトの大声に通信相手は小さな悲鳴を上げた。
『いきなり大声を出すな!』
「す、すみません……」
通信越しの声はシャノンではなく、珍しく少し驚いたようなユーファミアの声だった。
『で、シャノンがどうかしたのか?』
きっと別件で通信をしてきたと思うが、ユーファミアもハルライトの発したことが気にかかったようで、シャノンのことを訊いてくる。
「あ、いえ、実は今朝から連絡がつかなくて。今もまだ来てないんですよ」
今朝の集会にユーファミアは参加していなかった。別件で出られないということを代理の魔導司書が言っていたが、その彼女がシャノンの現状を知らないのは当然のことだ。
シャノンが今も来ていないことを勝手にユーファミアへ伝えるのは少し憚られたが、隠し立てしたところで、シャノンの立場が良くなるわけではない。むしろ、悪くしてしまうかもしれない。シャノンには悪いとは思ったが、包み隠さず話すことにした。
「それは彼女らくしないな。最近、なにか変わったことは?」
「思い当たる節があるにはあるんですが……でも、詳しく訊いたわけでもないので、実際のところはあまりよく……」
自分で言っていて情けなくなった。シャノンは自分の話を聞いてくれて相談にも乗ってくれた。魔導司書になるという夢を他の連中とは違い、馬鹿にせず応援してくれた。その一方で、自分は彼女になにをしてあげられたのだろうか。プライベートなことだから訊くに訊けないと思っていたが、結局一歩踏み込む勇気を持ち合わせていなかっただけのことだ。それをもっともらしい理屈をくっつけて正当化していたにすぎない。
『シャノンのことは今朝いなかったからよく分からないが……とはいえ、待っているわけにもいかないしな。気にはかかるが、今は私もお前も職務を全うするべきだ』
「分かりました。またあとで連絡してみます」
『そうするといい。では、最終日の警備、しっかり頼むぞ』
「当然です」
通信は終了し、ユーファミアの声が聞こえなくなる。
「なにもないといいんだけど……」
思い出されるのは一日目に見たシャノンのあの表情だ。ハルライトは心の片隅の彼女のことを気にしながら、最後となる警備を開始するのだった。
「拘束した奴らの容態はどうだ?」
ベネトナッシュ魔導局の地下隔離施設。魔導祭最終日である三日目に相応しい蒼天の中で、燦々と輝く陽の光を浴びることもなく、どこか無機質な雰囲気が漂うこの場所にユーファミアの姿はあった。
「いまだ、意識は戻りません。いくら揺すろうが、大声で叫ぼうが、まるで外部との繋がりを遮断しているような……そんな印象です」
ユーファミアの問いに答えたのは少し疲れた顔つきをした壮年の男だ。男以外にも何名もの魔導司書が魔導書を発動し、先日拘束した者たちの解析および治療を行っていた。徹夜しているのか、男だけでなく、他の魔導司書にも疲労の色が見て取れる。だが、どうやらその成果は現在時点では結実していないようである。
「ふむ。魔導書の特定は?」
拘束した連中にこれほど長い眠りへ落ちるほどの外傷はひとつも見当たらない。で、あれば少なくとも全員とはいかないまでも、数名は起きていてもいいはずなのだ。これは明らかに異常な状況であり、なにかの魔導書が影響しているのなら、その魔導書の特定も同時に進められていた。
「魔導書の影響を受けていること自体は分かったんですが……」
そこで急に歯切れの悪くなる壮年の男にユーファミアは顔をしかめる。
「その魔導書がまるで見たことのない作りになっているんです」
第七図書館都市ベネトナッシュは、他の六都市と比べて一番新しくできた図書館都市だ。それゆえにベネトナッシュに存在する魔導局も歴史そのものは浅い。だが、だからといって、所属する魔導司書の能力の優劣はイコールにはならない。他の図書館都市と比べても遜色ない魔導司書だっている。そんな彼らに見たこともないと言わしめる魔導書には驚嘆と少しばかりの興味をユーファミアに抱かせた。
「見たことのない魔導書?」
空中に浮かび上がるようにして展開されている画面を覗き込む。
「こ、これは……!」
これまでにないほど、ユーファミアの双眸が見開かれる。率直な感想として驚いた、その一言に尽きる。そんな月並みな言葉しか出てこないほど、画面に映る魔導コードは彼女の予想を大きく上回るものだった。
「魔導コードの文法が既存のものとはまるで違うな……」
魔導コードは魔導書を発動する過程の中で事象コードが変換され生まれるものだ。魔導コードの元となる事象コードはある一定のルールに沿って作られている。それは太古から存在している魔導書を研究者たちが研究に研究を重ね解読し、導き出したひとつの解法だ。現存する魔導書のほとんどはそのルールに則って作られている。ゆえに魔導書の解析もそのルールを元に行えばさほど苦労しない――はずだった。
「これは確かに骨が折れるな」
彼らの顔に疲労の色が浮かぶのもうなずける。道理で手を焼くはずだ。全く未知のものを解き明かすなど、一朝一夕でできるものではない。
「だがこうなると、ある意味でラッキーかもしれん」
「どういうことですか?」
ユーファミアがはたと思いついたことに壮年の男が疑問の視線を送る。
「そう難しいことじゃない。単純な話だ。既存の理論を無視し、全く新しい理論を一から構築したうえで、一切の異常(エラー)なく魔導書を作り上げることなど、並の魔導司書では不可能だ。そして、そんな不可能に近いことを成し遂げられる魔導司書はそうはいない。つまり、かなりの少数まで術者を絞り込めるというわけだ」
壮年の男は思わず膝を打つ。考えられる範囲として一級の中でもかなりの実力者から特級までの辺りだろうか。その範囲で仮定するなら、調査範囲はかなり限定される。
「みんなにはこのまま魔導書の解析を続けてほしい。私は術者を特定する。こんな非人道的な行いができる奴は、たとえ魔導司書として優秀でも人として失格だ。野放しにはできん」
最後の言葉には幾ばくかの怒気を孕んでいた。一級魔導司書として魔導司書という職務に誇りと矜持を持っているユーファミアからしてみれば、魔導書で人の道を外れた行為をするなど許されざることだ。
「忙しいときに邪魔をして済まなかったな。私はこれで失礼する」
魔導書の解析している真っ只中に押しかけたことへの謝罪をし彼らを一瞥すると、ユーファミアは地下隔離施設を出た。
「やはり、内部犯の可能性が高い、か……」
煌々と輝く太陽の光がやけに眩しく感じた。自分の所属している組織から犯罪者が出たとあっては、いくら気丈なユーファミアといえど、さすがに気分も落ち込む。魔導司書に人一倍の誇りと矜持を持つ彼女ならなおさらだ。
「だが、犯罪は犯罪だ。厳しく罰せねばな」
気持ちの整理をするように独りごちる。身内だからといって甘い判断をするのは許されない。むしろ、身内だからこそ厳しく判断し、適切な処置を取るべきなのだ。
気持ちを入れ替え、ユーファミアが歩き出そうとした――そのとき、後ろから声をかけられた。
「すみません、ユーファミアさん」
振り返ると、さきほどの壮年の男がいた。
「なにか用か?」
「そんな大したことじゃないんですが、実は寝たきりになってる彼らのうめき声の中で人の名前のような言葉を言っていたのを思い出して」
「人の名前?」
ユーファミアの目つきが鋭くなる。
「確か……ブライアン・コニック……と言っていた気がします」
「ブライアン・コニック……確かにそう言っていたんだな?」
「はい。声が小さかったので、聞き取りにくかったですが、そう言っていました」
「助かった。参考になる」
こちらこそ、と言って壮年の男は足早に地下隔離施設に戻っていく。その背中を見送りながら、ユーファミアはしばし思案する。
「ブライアン・コニック……。どこかで聞いたことのあるような……いったいどこでだ?」
記憶をさかのぼるが、いまいちピンとこない。ひょっとすれば、その程度の認識しか残らなかった名前なのかもしれない。
だが、その名前を聞いて薄ら寒いなにかを感じたのは間違いなかった。嫌な予感がした。確証はないが、長年一線で活動してきた経験がそう言っている。
「……ただの勘違いだといいんだが」
つぶやくように吐いた不安の言葉は見上げる空に溶けていった。
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