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 昼間に負った傷はいまだその事実を突きつけるかのように疼いていた。

 魔導祭はついに明日で最終日を迎えるということもあり、三日目に向けてそのボルテージは高まりつつあった。見上げれば、住居区の建物の向こうからアリーナの騒がしい光が見える。そんな華やかさと賑わいをいっそう深める魔導祭とは対照的に寮に向かって歩くシャノンの心は暗澹としていた。

(私は……)

 これまでの道中で何度も自問自答を繰り返してきた。これからどうするべきなのか。どう行動を起こすべきなのか。だが、結局答えがでることはなく、その度に晴れることのない気持ちが残るだけだった。これまでレールに沿って歩いてきただけの自分には、なにひとつ答えが出すことなどできなかったのだ。

 そんな折――。

「やっと帰ってきたか」

 ゾクリと背筋が凍りついた。自然と歩みを止めてしまう。どうしてここにいるのか。なにをしにきたのか。

 女子寮の前にいるはずのない男の姿。それもベネトナッシュ魔導司書学院の男性教官ではない。ただの魔導司書と言いきるにはあまりにまとう雰囲気が違いすぎていた。

「ど、そうしてここに……」

 声は自然と漏れていた。本当は女子寮の前にいる男が何者か、最初に見ただけで分かっていた。分かっていたからこそ、会いたくなかったし、声にすら出したくなかった。

 だが、仁王立ちする男の突き刺すような鋭い双眸はそれを許さなかった。

「……お、お父様」

「久しぶりだな。シャノン」

 女子寮の前にはシャノンの父親である――ロズウェルド・アネットが立っていた。決して大柄というわけではないが、力強い眼力と過去に負ったであろう古傷はユーファミアとはまた違った威圧感のようなものを感じさせる。

 ただ言葉を発しただけというのに、シャノンは知らないうちに少し後退りしていた。

「な、なんの用ですか……?」

「なんの、とはご挨拶だな。実の娘に会うのに用もなにもないだろう。まあ、今日は本当に用があって来たわけだが。……お前、魔導祭の警備に志願したそうだな」

 凄みを帯びた声に切り替わる。

「ど、どうしてそれを」

「全く、魔導祭に参加していないと思ってきてみれば、この様か。その怪我も今日の事件で負ったんだろう」

「知ってたんですか……?」

「当たり前だ。被害にあった司書生の話を聞いたときにはまさかと思ったがな」

 父親とその娘が話しているだけなのに、その会話はどこかぎこちなく、特にシャノンのほうは他人行儀っぽさが言葉の端々にあった。

「お前、どれだけ家に迷惑をかければ気が済むんだ。どうして志願なんかしたんだ?」

 ロズウェルドの語調はよりいっそう強いものになる。

「そ、それは、みんなの役に立ちたくて……」

 今にでも消え入りそうな声をシャノンは必死に絞り出して言う。顔はさきほどからうつむいたまま上がることはない。

「ふん。なにがみんなの役にだ。お前は家の役に立っていればそれでいい」

 ロズウェルドは不機嫌そうに鼻白む。

「で、でも、それじゃ私は……」

――私はなんのために。

「お前はアネット家の人間だ。怪我でもして使い物にならなくなったらどうする。前線で戦うなど、他の魔導司書に任せておけばいい。お前はただ私の用意した道を歩んでいればそれでいいんだ」

 娘の言うことには一切聞く耳を持たず、言いたいことを言い終えると、ロズウェルドはふぅっと息をついて、

「いまさら魔導祭に参加しろとは言わん。明日は宿でなにもせず、じっとしていろ」

 そう言って、ロズウェルドは誰かを呼ぶ。姿を現したのはひとりのメイドだ。今まで全く気がつかなかったが、後ろに控えていたのだろうか。

「シャノンを手配した宿に案内してほしい」

「宿? どうしてそんな必要が」

「寮にいてはまた勝手な行動をするかもしれないからな。手配した宿でお目付役をつけて監視する。ではあとは頼むぞ」

「そんな勝手なっ!」

「勝手なのはどっちだ! さあ、もう諦めて、おとなしくしていろ」

 シャノンの言い分をまるで受け入れようとしない。あとのことは全てメイドに任せてロズウェルドは行こうとして、ふと足を止める。

「そういえばお前、あの出来損ないとつるんでいるようだな。名前は確か……ハルライトと言ったか」

 シャノンの瞳がかつてないほど見開かれる。

「もうあいつとは関わるな。あの出来損ないとはな」

 自分の中でなにかが壊れたような気がした。

「……許さない」

「なんだ?」

 その一言だけで十分だった。どこにも吐き出せず、溜め込んでいた想いが爆発するのは、その一言で十分すぎるものだった。

「私のことはどれだけ馬鹿にしても構いません。でも……ハルのことを馬鹿にするのだけは――私が絶対に許さない」

「珍しく感情的になったな」

 ロズウェルドは踵を返し、再び父と子が対峙する。

「なぜ、そこまで奴に固執する? なんの取り柄もない出来損ないの奴に。偉大な父親を持つというのに、その息子にはなんの才覚もなく、あまつさえ見苦しく魔導司書に固執するなど、痛々しくて見てられん」

「黙ってッ!?」

 心ない言葉を立て板に水のごとく並べ、ハルライトへの悪口雑言の限りを尽くすロズウェルドにシャノンの叫びが木霊する。今までに見たことない娘の感情的な姿にロズウェルドは少しだけ瞠目する。

「ハルは……ハルは出来損ないなんかじゃない。魔導書の扱いは他の子と比べてまだまだかもしれない。でも――今のハルはもう違う。それにハルは私にはないものをたくさん持ってる」

……そうだ。そんなハルに憧れて、だから私は――。

「なるほど……。それがお前が奴に固執する理由か」

 なにか得心したようにロズウェルドは何度もうなずく仕草をする。

「よしんば、奴が少なからず変わったとしよう。ではシャノン、お前どうなんだ? 奴のそばにいてお前は変わったのか?」

「……っ!」

 ロズウェルドからの一言にシャノンは言葉を詰まらせる。答えられなかった。その問いに耐えうる答えをシャノンは持ち合わせていなかったのだ。ずっとずっと、そばで見てきたというのに。

「……やはりな」

 冷たくも鋭い視線がシャノンを射貫く。

「お前が奴のそばにいたのは、奴のそばにいることで自分も変わったと、そう思いたかったからにすぎない。違うか?」

 もはや声すら出なかった。心の片隅で薄々分かっていたことを物の見事に見抜かれてしまった。それは自分で自覚するよりも、深く心に突き刺さる。

「世の中には己を変えられる人間もいる。それは事実だ。だが、そのまた逆も然り。どれだけやっても己を変えることのできない人間もいる。そういう人間は決められた道を進むのがもっとも安全で、苦労もしない。分かってくれ、シャノン」

……安全? 苦労?

「私の用意した道を歩めば、地位も名誉も財産も、なにもかもが約束される。これほど素晴らしいものはないだろう?」

……地位? 名誉? 財産?

……違う。違う。違う。私が本当に望むものは――。

「……そんなもの、私はいらない」

 気がつけば、魔導書を手にしていた。発動させて実の父親に向ける行為を知らないうちにやっていたのだ。

「ほう。父親に反抗するだけだなく、魔導書を向けるつもりか。……前言撤回しよう。シャノン、お前は変わった。それも悪い方向にな」

 ロズウェルドはさきほどよりも一瞬だけ目を見開くが、それでもなお険しい相好を崩さない。娘から魔導書を向けられているにも関わらずにだ。

「これも奴の影響か」

「ハルは関係ない。これは……私の意志」

 今までのシャノンからは想像もつかない低い声。その声は真剣そのものであり、反駁の意を宿していた。

「私の未来は――私が決める」

 一歩踏み出すと同時に力強く地を蹴って勝負をかけにいく。ここで己の存在意義を示すことができなければ、一生敷かれたレールの上を歩くだけの人生になってしまう。そんなことは死んでもごめんだ。

「――全く、世話の焼ける娘を持つと大変だな」

 ほんの一瞬の出来事だった。シャノンがそれを認識したときには、すでに彼女が手にしてい魔導書は後方へ大きく吹き飛ばされていた。魔導書のみを狙った正確無比な一撃。手にしていたものを失った右手は虚しく空をさまようだけだ。

「……ッ!」

 それでもシャノンは歩みを止めなかった。たとえもう勝負は決していたとしても、止めたくなかった。止めるわけにはいかなかった。

「いい加減しろ、馬鹿娘」

 突如、シャノンの頭上に無数の刀剣が出現した。〝千刃〟の魔導書だ。術者の指示によって様々な形状を持つ無数の刀剣が対象に襲いかかる非常に強力な魔導書だ。娘に向かって使う魔導書としては度が過ぎているが、抑止力としての効果は十二分にあった。

「私が敵ならお前はもう死んでいるだろうな。魔導司書とはそういうものだ」

 ロズウェルドの顔に今もなお生々しく残る古傷がその言葉にさらに重みを付与する。

「奴にちょっと触発された程度の半端な気持ちで全うできる職務ではない。よく覚えておけ」

 そこまで言い終えて、ようやっとロズウェルドは〝千刃〟を待機状態にする。シャノンの頭上に出現していた無数の刀剣が一瞬にして霧散した。

「あとのことは頼むぞ」

「はい、旦那様」

 メイドは会釈をする。

「明日一日、頭を冷やすんだな」

 去り際に、もはや一瞥さえもくれず、背を向けたまま言う。次第に闇夜に溶けていくようにロズウェルドの姿は見えなくなった。

(半端な気持ち、なんかじゃ……)

 シャノンの想いは誰にも届くことなく、頭上に広がる漆黒の空に吸い込まれていった。

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