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 敷かれたレールの上を歩く。自分の人生をそんなふうに思うようになったのはいつからだっただろうか。なに不自由なく生きてきたはずのに、心はずっと、まるで枷ではめられたように自由になることは一度もなかった。

 不意にそんなことを考えてしまったのは、きっとここ数ヶ月間におけるハルライトの目覚ましい成長ぶりが影響しているからだろう。

――自分を変えられるのは自分だけ。

 その言葉が反芻し、頭から離れなかった。

「……早く見つけないと」

 焦燥感に駆られるような気持ちで外套の不審者を捜す。自然と足取りは早くなる。気がつけば、帰り道のことを考えることも忘れ、でたらめに進んでその先に――外套の男は待ち構えるようにして立っていた。外套の男のいた場所は建物と建物の間が広く、ちょっとした広場のようになっている。まるでここを戦いの地として選んだかのようにおあつらえ向きの場所だ。

「魔導祭警備の者です。あなたを不審者として拘束します。詳しくお話をお伺いしたいのでご同行をお願いします」

 返事はない。最初から来ることを予見していたようなその佇まいには妙な威圧感を感じるが、ここで引くわけにはいかない。

「答えないということなら、失礼ではありますが強制的に――」

 サッと頬をなにか掠めた。触れてみると、生暖かい感覚があった。血だ。血が出ている。必要最低限の動作で後ろを確認すると、壁に刃物が刺さっていった。投擲する動作もなくこんな芸当を可能とするものはシャノンもよく知っている存在――魔導書だ。いよいよもってこの不審者がクロである可能性が高まってきた。

(戦うしかない……よね?)

 自分に問いかける。こちらに手向かってきた時点で話の通じる手合いでないことは明白だ。すでに傷を負わされている以上、抵抗しなければこちらがやられかねない。

 こっそりと〝通信〟の魔導書を介してハルライトに現在位置を伝えようとして――その行為をやめた。

(私だって……!)

 思い出すのは路地裏で見たハルライトの姿だ。彼は戦い抜いたのだ。その事実が脳裏をちらつくのだ。追い詰め、焦燥感を抱かせる。

「――ッ!」

 先に動いたのは外套の男のほうだった。切っ先が首元まで迫る。

 とっさに反応し回り込む。背後を取り、〝曲刀(サーベル)〟を顕現化させる。そのまま一撃を浴びせようとしたところでバックステップする。外套の男がなにをしようとしているのか感づいたからだ。直後、外套の男の周囲に紅蓮の炎は噴き上がる。

「〝炎纏〟の魔導書……。なんて厄介な」

 学院の講義でその名を聞いたことはある。二級の〝炎纏(えんま)〟は発動すると、術者を囲むように炎を発生させる魔導書だ。うかつに近づけなくすることで近接戦闘では無類の強さを発揮する。相手も遠距離からの攻撃に切り替える必要も出てくるので、そこを逆手に取って近接戦闘を仕掛けてくる者もいる。

「近接は無理……。なら――」

 〝曲刀〟を待機状態にする。間髪入れず、違う魔導書を発動させる。

「〝雷撃〟」

 ほとばしる激しい稲妻が外套の男に襲いかかる。雷系の魔導書の中で初級クラスではあるが、その威力は侮れない。直撃した地面は穿たれ、焼き焦げた跡ができていた。外套の男に一撃でもお見舞いできれば、状況は好転する。だが、その一撃が当たらない。

「くっ!」

 魔力の供給量を向上させ、一度に発生可能な雷撃の数を増やす。当然、その代償がシャノンを苦しめることになるが、今はそんなことは言っていられない。この状況を切り抜けることだけを考える。

 雷撃の嵐を避け続けていたが、いい加減うんざりしたのか、外套の男は新たな魔導書を発動させた。外套の男の背後に燃え盛る炎をまとったふたつの炎輪――〝双炎輪〟が顕現する。外套の男の一挙手で双炎輪はシャノンを捉え直進する。歯向かう雷撃をかき消していく。魔導書同士の力の差は歴然だ。

「ダメ……!」

 これ以上は危険と判断したシャノンは抵抗することを諦め、回避行動を取る。双炎輪はシャノンの背後にある壁に激闘し、爆発を引き起こす。壁に激突したのはふたつの炎輪のうちのひとつだけで、もう片方は壁に激突する直前で急カーブした。まるで意志を持っているかのようにその動きは自由自在だ。

「うわっ!?」

 決死のダッシュでなんとか直撃は免れたものの、至近距離で発生した爆風によって吹き飛ばされてしまう。何度か地面をバウンドして、背中から壁に叩きつけられる形で強制的に止まった。

「かっ……!」

 一瞬意識が飛びかける。それを根性で繋ぎ止めるが、今度は背中を襲う激痛に苛まれる。まともに呼吸ができない。目の前が霞む。そんな状態のシャノンに外套の男が行った行為は残酷だった。

 首筋にある冷たくも鋭利な感覚。見なくとも分かる。得物だ。相手の命を確実に奪うためのもの。

 初めて死を意識した。痛みによる苦痛などという感情はとうに消え失せ、全ては恐怖というその感情に塗り替えられる。

「ああ……」

 知らぬ間に声が出ていた。諦念を帯びた言葉だ。

 今際の際にきて自覚する。恐れていたのだ。自分だけが置いていかれる。ずっと近くで見ていたハルライトが急速に成長していることに本当は心のどこかで焦っていたのだ。だからこそ、彼の近くで、彼の手伝いをすることでまるで自分も変わっているかのように思いたかった。レールの上から外れたかった。

 だが、それは所詮欺瞞でしかなかった。結局のところ、今までなにもしようとしなかった人間がちょっとやったくらいで変わることなど不可能なのだ。そこには積み重ねてきた日々の重みがある。その重みを軽んじた結果がこの様だ。

 外套の男は手にしている得物を振り上げる。数秒後の自分の姿が嫌でも脳裏に浮かぶ。助けを呼ぶべきだったか。位置を知らせるべきだったか。そんなことが次々と頭をよぎる。だが、それは後の祭り。自分の中途半端なプライドで命を落とすのだ。それも仕方ないことかもしれない。

 それよりも後悔してならないのは、自分の軽率な行動によって目の前の男を止められなかったということ。きっと男はこの後も誰かを襲うだろう。一番近くにいながら、それを食い止められなかった。

(ハルなら……どうしてたかな……?) 

 死の間際にそんなことを思ってしまう。いつの間にか先に行ってしまった彼に劣等感を抱いていたことに気づいてももう遅い。なにも変われないまま死んでいくのだ。

「ハル……」

 シャノンの首元めがけて勢いよく振り下ろされる。

「ハル……」

 名残惜しそうにその名を言う。

(最期までダメだったな……私)

 全てを諦め、そっと目を閉じた――そのときだった。

「――〝火弾〟!」

 この場にいない第三者の声が響くと同時に炎の塊が外套の男に直撃した。男の魔導書に比べて威力は劣るものの、しばらく動けなくするには十分なものだった。

「シャノンっ!」

 外套の男を視界の端に捉えつつ、第三者――ハルライトがシャノンに駆け寄る。

「ハル……どうしてここが……?」

「今はいい。話はあとだ」

 シャノンの腕を自分の首にかける。とにかく余計な体力を使わせないようにする。医務室まで運ぶまでに力尽きてもらっては元も子もない。 

「ハル……。わ、私は足手まといになるから置いて……いって」

 振りしぼるような声で懇願する。負傷者を抱えたままでは満足に戦うどころか、普通に移動することすら支障が出る。そして、この状況においてそれはもっとも致命的だ。助けに来てくれたハルライトには被害が及ぶのは絶対に嫌だった。

「んなことできるかよ」

 シャノンの願いにハルライトが提示した答えはそれだけだった。その短い答えの中に全てが詰まっていた。

(あれ……?)

 声に出さなかった。いや、もしかしたら知らないうちに出さないようにしたのかもしれない。

(ハルの横顔って、こんなにたくましかったっけ……?)

 いつもの顔つきとは違って見えたことは、きっと気のせいではないのだろう。ここ数ヶ月の日々が彼を変えさせたのだ。いつかのときとは立場が逆になっていた。

「ハルライト!」

 前方から息を切らしながら長い黒髪の女性――ユーファミアが走ってくる。顔にいつものような余裕は感じられない。

「ふたりとも大丈夫か」

「俺のほうは平気だけど、シャノンが……」

 ハルライトからシャノンに視線を移して、わずかに目を見開く。同時に後悔や自責の念といった感情がユーファミアの顔に浮かび上がる。

「今はとにかくシャノンを安全な場所まで頼む。ここ以外でもあちこちで交戦状態に入っている。道中は気をつけてくれ。あとは私が受け持つ」

「……お願いします」

 本当はシャノンをこんな目に合わせた奴を一発殴ってやりたいくらいだったが、今もっとも優先すべきことは彼女をいち早く届けることだ。怒りをぐっと堪えて先を急ぐ。

「ハル……ありがとね」

 痛みを我慢しているような声で小さく言う。ハルライトが来てくれなければ、今頃は死んでいただろう。その功績は感謝してもしきれない。

「なに言ってるんだよ。当たり前だろ」

 なんの屈託のないその笑顔はとても眩しく見えて、同時に言葉で言い表せないもやもやとした気持ちをシャノンの中にもたらしたのだった。

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