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「そういえば、よかったのか?」
巡回警備を始めて、二時間ほどが経った頃。魔導祭を彩る様々な出店がある通りを歩きながら、ふと思い出したようにハルライトがそんなことを口にした。
「なにが?」
「いや、シャノンは俺と違って優秀だし、魔導祭のチームの誘いもあったんじゃないかって。無理に警備のほうに来てくれなくてもよかったのに」
成績優秀者であるシャノンは警備のほうでわざわざ成果など残さなくても、魔導祭でその実力を遺憾なく発揮すれば、引く手数多だろう。
「ああそれはね……」
言いかけて沈黙する。逡巡するように視線をさまよわせると、気持ちを改めるかのようにそっと息を吐く。
「ハルになら話しても大丈夫かな。私の家系が魔導研究者として有名なのは知ってるでしょ?」
こくりとうなずく。魔導司書を目指す者でアネット家の名を知らない者はいないだろう。
「だから、魔導祭に出ても出なくても同じなの」
アネット家は昔から魔導書の研究の方面で活躍している有名な家系だ。過去、魔導司書学院を卒業した者はみな例外なく研究職に就いている。そのため、シャノンは魔導祭に出ずとも進路は決まっているのだ。確実にそして安定した職に就くことができる――そのはずなのに、そのことを口にするシャノンの表情にはどこか影があった。
「なるほどぁ。俺からしてみれば、最初からゴールが決まってるのは楽で良さそうだけどな」
他意はなかった。自分のことに置き換えてみたときに、なりたいものになれるというのは努力のしがいがあっていい――その程度の気持ちで言ったことだったのだ。
シャノンは不意に立ち止まって、
「そんなこと……ないよ」
どこか棘のある声。いつものシャノンにはない語調だ。悲しみと胸に秘めた想いを吐露するかのように、その声はわずかに震えていた。
「ご、ごめん……」
明らかに普通ではない様子に慌てて謝る。
「あ……。私のほうこそごめん。ほら、もうこの話はもうやめにしよっ! ね?」
半ば強引気味にシャノンは話を締めくくる。
さきほどの観戦室での反応といい、今日のシャノンはどこかおかしい。ついさっきの反応もそうだ。いつものシャノンなら声を荒げるようなことはしないのだ。どう見てもいつもとは違っており、気にならずにはいられなかった。とはいえ、本人が話を終わらせてしまった以上、無理に聞き出すわけにもいかず、ついに口にすることはなかった。
「…………」
ふたりの間に沈黙が降りる。なんとなく気まずく、話すことを躊躇してしまう。互いが次に口にするべき言葉を探していると、助け船かのごとく〝通信〟の魔導書による連絡が入った。
『こちら、ユーファミア。そちらの状況はどうだ?』
「……あ、えっと、今ところ不審者は発見していません」
突然の連絡に虚をつかれ一瞬反応に遅れてしまうが、すぐに応対する。
『了解した。引き続き巡回を頼む。ところで……なにかあったか?』
微妙な声の抑揚を感じ取ったのか、いきなり核心を突いてくる。通信越しで読み取ってくるとはさすがと言わざるを得ない。
「いえ、大丈夫です。特に問題はありません」
『ならいいんだ。ただ、いざというは連携も必要になる。不要な揉め事は起こさないように』
以上だ、と言ってユーファミアは通信を終了する。見事に釘を刺されてしまった。ちらりとシャノンのほうを見る。目が合った。どうやら彼女もさきほどの声を荒げてしまったことを気にしているようだ。揉め事というほど大事でもないが、この微妙な感じをいつまでも引きずっているというもの気分的にはあまりよいものではない。
「……まあその、さっきのことはもう忘れようぜ?」
こういうとき最初に口にするべき言葉を数秒ほど探してみたが、結局いい言葉は見つからず、そのとき出た言葉を脚色することなく伝える。
「……そうだね、私ももう気にしないね」
シャノンに笑顔が戻る。いつも見る彼女の姿だ。
シャノンが張りきったように一歩二歩、先を歩く。だが、それはまるで気を紛らわすかのようで――さきほどの彼女の震えた声をハルライトはどうしても忘れることができなかった。
魔導祭一日目はこれといった事件も起こることなく無事終了した。夕方に行われた集会では『魔導祭一日目はつつがなく終了した。だが、二日目以降はさらに人の行き来が激しくなる。その中にどれだけの危険な思想を持った人間が紛れ込んでいるか分からない。各人には今日以上に目を光らせ警戒を怠らないようにしてほしい。以上だ。今日はこれにて解散、明日に備えて十分な休息を取ってくれ』と締めくくり、魔導祭の警備一日目も終了となった。夜の警備については、さすがにそこまで学生に協力してもらうのは心身にも負担が大きいということで、一足先に司書生たちは解散となった。あとは魔導局に所属する魔導司書たちが受け持つことになっている。
警備の任から解放された司書生たちの中には、待ってました言わんばかりに夜の街に繰り出す者もいた。夜にもなると、いつも通る道は薄暗がりに包まれてまるで別世界のようだ。他の司書生の楽しげな様子で横を通り過ぎていく様を見ながら、シャノンはひとり寮へ向けて夜道を歩いていた。
「はぁ……」
いつもと同じ道なのにその足取りは妙に重たかった。思い出すのは昼間のやり取りだ。どうしてあんなことを言ってしまったのか自分でもよく分からなかった。ハルライトもきっと驚いたことだろうと、シャノンは思う。あんなふうに声を荒げることなど、普段の自分なら決してしないと分かっているからだ。
きっとあの人が来ているからだろう。――いや、今までならそれだけの理由だっただろう。今はもっとはっきりとした理由がある。それはきっと――。
「シャノンさん?」
声をかけられのに気づいたのは、三秒ほど遅れてのことだった。振り向くと声の主は金髪のショートの女性――アリシアだった。
「あ、アリシア先生?」
思いもよらない人物にシャノンは面食らう。教官たちが生活に使っている寮は確か学生寮とは反対の方向ではなかったか。
「警備お疲れ様。今、寮に帰ってきたところ?」
「え?」
不意にそう尋ねられ疑問に思うが、気がつけば女子寮に着いていた。
「そうですね。先生のほうこそ、こんなところで会うなんて珍しいですね。見回りですか?」
「そんな感じよ。魔導祭になると羽目を外しすぎる司書生が多いからね。それに今年は特に念入りにやっているのよ」
お祭り的な側面もある魔導祭はまだ学生の司書生にとって、まさに思う存分はしゃぐことができる夢のような時間だろう。出店も夜遅くまでやっていることもあり、日をまたぐ時間まで外出していることも珍しくない。今年は例のこともあり、魔導局の魔導司書たちに加えて教官たちの目も光っているということだ。
「それはそうと、ハルライトの調子はどう?」
「ハルならちゃんとやってますよ。ハルの様子が気になるんでしたら、ここじゃなくて――」
「ううん、今日ここを通りかかったのは見回りもあったんだけど……ね」
アリシアの口調が急に歯切れが悪くなる。それはなにかをためらっているようだ。
「実はあなたに用があってきたの」
「わ、私にですか? もしかして、なにかとんでもないことをしちゃってましたか……?」
「そんな大変なことじゃないんだけど……」
ためらうように何度も視線を動かして、しばしの逡巡のあと、ようやっと口を開いた。
「あなたの進路希望について少し話があるの」
シャノンの顔が曇る。
「……なにか不備でもありましたか?」
明らかに声のトーンが低い。
「いえ、ばっちりよ。とてもよく書けてる。ただ……」
「ただ?」
「その、気を悪くしたらごめんなさい」
アリシアは何度も念押しをする。
「シャノンさんは研究志望だけど、それはあなたの意思? それともお父さんの――」
「――私の意思です。私がなりたいから、自分でそう書きました」
即答する。それは答えたというより、その先を言わせないためにアリシアの言葉を遮ったようだった。
わずかな沈黙が横たわる。
「そ、そう。それならいいの。ごめんなさいね、疲れているときに」
「い、いえ、私は大丈夫です。先生のほうこそ、見回り頑張ってください」
「そうね。もうひと頑張りするわ。それじゃ私はここで」
アリシアはそのままシャノンの横を通り過ぎて歩いていく。シャノンも寮に入ろうとしたところで――。
「シャノンさん」
振り返れば、アリシアがこちらを向いていた。
「あんまり、ひとりで抱え込まないでね」
「なに言ってるんですか、そんなことないですよ」
シャノンは笑ってみせる。その笑みはアリシアにはどこか痛々しく映って見えた。
「じゃあ行くわね。おやすみなさい。明日の警備も頑張ってね」
「……はい。先生のほうこそ、おやすみなさい」
今度こそアリシアと別れ、シャノンは寮の自室へと向かう。
しばらくして、自室に到着する。パタンと扉の閉まる無機質な音が部屋に響く。
「ひとりで抱え込まないでね……か」
その言葉が頭から離れなかった。
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