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「なるほど。そこにありましたか。排除すべき物は」
賑やかなベネトナッシュの中心部から外れた地区。そこにある今はもう使われていない廃墟で不敵な笑みを浮かべている初老の男がいた。目深に帽子を被っている。手には開いた書物があり、断続的に光を放ち文字のようなものが書物から放出されている。
「おっと。すでに感づいている者もいるようだ。悠長にしているとこちらの場所が特定されかねないですし、この辺にしておきましょうか」
そう言って初老の男は書物――魔導書を閉じる。その瞬間、魔導書から放たれていた光と文字が消滅する。
「なあ、おっさん。用件ってのはまだかよ」
初老の男の背後からイラついたような声が聞こえてくる。
「おっと、すみません。待たしてしまいましたね」
落ち着いた様子で男は振り返る。見れば、不機嫌そうに顔をしかめているのはさきほど声をかけてきた大男だけでなく、男が集めてきた顔つきも体格もバラバラな柄の悪い男たちも、初老の男に向けて睨みつけるような視線を送っている。しかし、そんな中でも初老の男はその人の良さそうな相好を崩すことはなく、どこまでも落ち着き払った態度でいる。豪胆なのか、単に鈍いだけなのか。いずれにしてもどこか普通ではない。
「それで用件っていうのはなんなんだよ」
そう問う大男の声にはどこか怪しんでいる雰囲気がある。それも無理はない。この大男を含め、ここにいる者たちはみな初老の男によって集められたのだ。見ず知らず人間に突然用件があると言われて不信感を抱かない者はいないだろう。では、なぜここにいる者たちは初老の男の言うことを聞いて集まってきたのか。それはある交渉を持ちかけられたからだ。
――力が欲しくないか?
それが初老の男と出会って全員が第一声で言われたことだった。
「お願いというのは、皆さんにこれを受け取ってほしいんです」
「なんだこれは?」
初老の男から手渡された物はなにやら見慣れない文字で題名が綴られて書物だった。読もうにもなんて書いてあるか皆目見当がつかない。
「そんな怪訝な顔をしないでください。言ったでしょう? これは皆さんに力を授ける物――魔導書ですよ」
口許にわずかな笑みを浮かべながら初老の男は言う。
「……魔導司書なのか?」
「ええそうです。といっても、魔導司書だった、というほうが適切ですがね」
「あんた、自分がなにをしようとしているのか分かってんのか?」
大男だけではない。その後ろにいる男たちも含め、不穏な空気が広がった。一般人が魔導書に触れることはそれだけで捕らえられるほどの重大な行為だ。あまつさえ、その魔導書を受け取るなどあってはならない行為だ。そんなことは魔導書に明るくない一般人でさえ知っていることだ。もちろん、渡すほうの魔導司書にもそれ相応の罰が下るわけだが、この初老の男はそんなことは意に介していないというように恐れていない。
「ええ、もちろん。貴方たちのほうこそ、存外、常識を弁えているんですね」
「……どういう意味だ?」
ドスの利いた声で初老の男に詰め寄る。
「ああいえ失礼。でも、いいんですか? せっかく力を手に入れるチャンスを棒に振っても」
「そ、それは……」
その一言に大男はたじろぐ。他の男たちも同様の反応だ。一般人にとって魔導書はまさに人智を超えた業を為せる夢のような存在だ。それを手に入れられれば、強大な力を手にすることができるのだ。そんな存在が目の前にある。そうそうない千載一遇のチャンスだ。
「答えは決まっているようですね」
拒否しようとはしないその態度に初老の男は笑みを浮かべる。
「……だが、なんの訓練もしてない俺たちに扱えるのか?」
すぐそこまで来ている新たな力の前に大男は顔をほころばせるが、しかしどこか不安そうな表情を覗かせる。なんの知識も経験もない一般人が魔導書を行使することなど、危険行為にほかならない。
「大丈夫ですよ。貴方たちでも扱えるように調整してあります。そもそも魔力も魔導演算も誰もが生まれながらにして持つものです。それを使うか使わないか。一般人と魔導司書の違いなど、それだけのことです」
そう言って初老の男はにこやかに笑う。
「そうか」
初老の男の一言に大男は今度こそ不安はなくなったというように、下卑た笑みを浮かべながら他の男たちと歓喜の声を上げる。
「ああ、ひとつ言い忘れていましたが、力を授ける代わりに貴方たちに手伝ってほしいことがあるんです」
「手伝ってほしいこと?」
力を手に入れて気を良くしたのか、もう初老の男に対して高圧的な態度ではなくなっており、むしろ友好的でさえある。
「そんな難しいことではないですよ。魔導祭当日にちょっとお手伝いをしていただきたいだけです」
その手伝いの内容を詳しく聞くこともなく、大男は快諾する。他の男たちも特に止めようとはしない。
「そうですか。ではもう少しだけお時間をいただきますね」
初老の男はよりいっそう穏やかな笑みを浮かべた。その笑みの奥にある狂気と目深に被った帽子に隠された空虚を帯びた瞳に気づく者はこの場に誰ひとりとしていなかった。
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