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「ではまずは、そもそも魔導司書はどのように魔導書を発動し、使っているのか、そこから改めて復習しようと思う」

 立ち入り禁止となっている大穴のすぐ横で、ユーファミアは黒板にすらすらと文字を書いていく。

「さすがの俺でもそのくらいは知ってます」

「なら言ってみろ」

 板書する手を止めて、ハルライトを見つめる。

「まずは事象コードを魔導コードへ変換。次に空間座標の計算。最後に魔導書に魔力を供給することで、初めて事象として現実世界に出力する……でいいんですよね?」

「理論の理解としては及第点だな。まあこのくらいは基礎の基礎のだし、むしろ理解していてくれないとこっちが困る」

「というより、私が講義で教えたことだから、覚えていてくれないと、ちょっとショックよね……」

 外で聞いていたアリシアがそう言いながら入ってくる。

「アリシア、結局来たのか」

「ユーファがこれ以上、建物を壊さないように見張るためにね」

「人を破壊の化身みたいに言うな」

「ユーファは昔から熱が入ると暴走しがちだからねぇ」

 昔を思い出すようにアリシアは少し意地悪げな笑みを浮かべる。

「先日の件は私も反省していると言っているだろ……」

「ごめん。少し意地悪がすぎたね。続けてもらっていいわよ。必要があれば私も協力するわ」

「それならちょうどいい。魔導書の発動の実演をしたいから手を貸してくれ」

 ユーファミアに言われるがまま、アリシアは黒板の前に立つ。ふたりが普段講義で目にしている教官としてのアリシアの立ち居振る舞いだ。

「アリシア、頼む」

「分かったわ」

 そう言うと、アリシアは自分の書庫から一冊の魔導書を取り出した。そして、手本というように魔導書を発動させる。

「――〝短剣〟」

 アリシアの言葉に反応するように魔導書は一瞬にして〝短剣〟へと姿を変える。アリシアが軽く〝短剣〟を振ると、空気を裂くような音がして、それは本物の剣と比べても遜色がないほどに鋭利な剣だ。

「さっきハルライトが言ったのはあくまで理論にすぎない。そもそも、事象コードから魔導コード変換と言葉でいえば簡単だが、その実、この変換の間には目に見えない処理が行われている。例を挙げるなら……いっけん魔導書はなにもにない空間からあらゆるものを生み出しているように見えるが、実際には〈全知の書庫(アカシック・アーカイブ)〉から魔導コードに対応する事象を受け取って――」

 そこでユーファミアは違和感を覚えた。最初のほうはうなずきながら理解もできているような仕草をしていたハルライトだが、今の話を聞いた途端に困惑したような表情をする。ハルライトだけではない。そばにいるシャノンの反応もどこかピンときていないような表情だ。そこでふとユーファミアは思い当たる。

「もしかして〈全知の書庫〉については教えてないのか?」

「ええ。知らなくても魔導書の発動には問題ないから、教えていないわ」

「まあ、あくまでバックグラウンドでの動きであって、直接的に術者がどうこうというわけではないから、知らないならそれで困ることはないんだが……。話してしまったんだし、この際教えてやろう」

 そう言うと、ユーファミアは慣れた手つきで黒板に文字と絵のようなものを書き込んでいく。いくつもの魔導書が円上に配置されて描かれた中心に見慣れない絵がある。その横にはさきほどユーファミアが口にした〈全知の書庫〉という文字が書かれている。そして、その〈全知の書庫〉と魔導書を繋ぐように一本の線が引かれている。

「この図を見てもらえば分かるとおり、魔導司書が使っている魔導書というのは、この〈全知の書庫〉と繋がっている。魔導書は術者の魔導演算によって変換された魔導コードを逐次ここへ送り、〈全知の書庫〉から対応する事象を引き出し、現実世界に出力するというわけだ。ちなみに、この魔導書と〈全知の書庫〉の間の繋がりを我々は魔導脈(エッジ)と呼んでいる」

「はい。ユーファミア先生。では、その〈全知の書庫〉というものはなんなんですか?」

 ユーファミアの言ったことをおおまかに理解したシャノンは、一番気になっている〈全知の書庫〉について質問する。

「やはり気になるのはそこだろうな。といっても、研究者の間でも〈全知の書庫〉についてはまだ分かっていないことが多い。存在が明らかになったのも最古の魔導司書と言われているレイスター・クロウリーが遺した研究資料が発見されてからだ。その研究資料によれば、世界の始まりからその終焉まで、ありとあらゆる事象が記録された存在であり、人もここより生まれ、そしていずれは再び還る森羅万象が収束する場所だそうだ。彼は〈全知の書庫〉を魔導書化に成功し、情報量の多さゆえ〈七つの断章(セブンス・コード)〉に分けた……とされているのが現在もっとも有力な説だ。説明はこれくらいになるが、だいたい理解できたか?」

「スケールが大きすぎてイメージが湧かないです」

「私もです……」

「そうねぇ……。おおむねは理解できたけど、目に見えないものを理解しようとするのはちょっと難しいわよね」

「あくまで目に見えないところでこういう処理が行われているということだ。概念として分かってくれればそれでいい。ただ、自分が使っている技術の仕組みくらいは知ってほしいと思って口にしただけだ」

 そう言われて三人は得心がいったようにうなずく。

「さて、概念的な話はこの辺にして。さっそくだが実技に移ろう」

「え、もう説明は終わりですか?」

 思わずといった様子でハルライトはユーファミアに尋ねる。もう少し一線で活躍するユーファミアから身になる話をしてもらいたいところだった。

「理論はもちろん大事だが、それ以上に魔導書を使いこなすには経験と慣れが必要なんだ。求める効果に見合った魔力供給の調整や空間座標計算の高速化、魔導演算の効率化……。実際にやってみなければ分からないことが山ほどある。幸い、ハルライトは座学に関しては申し分ない成績だ。なら、これ以上理論云々の話をするより、時間の許す限り練習したほうが合理的だ」

 時間は有限だ。知識面において基礎ができているハルライトにこれ以上の理論を詰め込んだところで大幅な実力向上は望めないだろう。それならば、限りある時間を実技に使うほうがいい。ユーファミアの言うことにハルライトも納得し、特訓は実技へと移った。

「〝火弾〟の魔導書を出してくれ」

 ユーファミアの指示に従って、ハルライトは〝火弾〟の魔導書を書庫から取り出す。先日の試験で発動させようとして上手くいかなった魔導書だ。そういう意味では少し苦い思いが残る魔導書だ。

「先日も言ったかもしれないが、この〝火弾〟は初歩の魔導書だ。魔導演算も比較的簡単で魔力の供給も武器系の魔導書のように常時供給する必要がない。火弾を事象として現実世界に出力するときだけ供給すればいい。だから、供給する魔力の調整や魔導演算の効率化させるときの練習にもってこいの魔導書だ」

「ということは、俺はそんな簡単な魔導書すら発動できなかったんですね……」

 ユーファミアにそう言わしめるほどの初歩の魔導書を発動させることができなかったと考えると、少し複雑なところである。

「そう気を落とすな。ハルライトの場合は魔導演算能力そのものが特殊だったんだ。だから、これまで魔導書を上手く発動することができなかったんだ」

「俺の魔導演算が特殊?」

 言われたことを即座に理解することができず、ハルライトは首を傾げる。今までなにも疑問に思わなかったことだ。いきなり言われて理解できないのも無理はない。

「特殊というよりは、得手不得手と言ったほうが正しいかもな。ハルライトの魔導演算能力はあるひとつの魔導書――〝ラプラス〟に特化しているんだ」

 その魔導書の名前ならば覚えがある。父親から託されたものであり、先日の決闘のときには土壇場のところで勝利をもたらしてくれたものだ。だがしかし、ユーファミアの言っていることはいまだピンとこない。

「特化しているっていうのは……?」

「それを今から説明する」

 ユーファミアは医務室前でアリシアに話した内容を伝えた。

「親父が……」

 ユーファミアが語ったことを自分の中にゆっくりと飲み込むようにハルライトは何度もうなずいた。自分が魔導書を使えなかったのが幼い頃の経験であり、父親によるものだとは思ってもみなかった。

「思い返してみれば、親父が熱心に教えてくれたことがありました」

「おそらく、それが逆算魔導術式だったんだろう。その結果、魔導演算能力が通常の魔導書を発動するには最適ではない状況になってしまったということだ」

 自分の幼い頃の記憶と照らし合わせても、ユーファミアが言っていることは事実と見て間違いなかった。ただの魔導書と思っていた〝ラプラス〟が実は発動中の魔導書をそのまま再現できてしまうこともにわかには信じられないが、実際に所持すらしていない〝ラグナロク〟を使えてしまったことを考えると、真実であることは間違いない。

「ハルライトが持つ〝ラプラス〟の魔導書と逆算魔導術式は、とんでもない可能性と危険性を同時に秘めている。それは分かるか?」

 ユーファミアの問いにハルライトはこくりとうなずく。決闘の最中は集中するあまり、なんの疑問も抱かなかったが、いざ冷静に考えてみると、魔導司書補にすらなれていない実力の者が一級認定されている〝ラグナロク〟を発動できてしまったという事実はかなり危ういものだ。周知されれば、ユーファミアが語ってくれた内容にもあるようにまずいことになる。

「世界でハルライトしかできない唯一無二の技術ではあるが、それゆえに知られればその力を狙いにやってくる輩もいるはずだ。そうなったときのためにハルライトには通常の魔導書も使えるようになってほしいと私は思う。お前は魔導書が使えないわけでは決してない。今までのような弱気な気持ちは一切捨てろ。必ず他の司書生と同じ――いやそれ以上に強くなってやるという強い意気込みで特訓に臨め。時間はかかるかもしれないが、その高みへの道中は私がつき添ってやる」

 真っ直ぐにハルライトの目を見て話すユーファミアの言葉は、今までに聞いたどんな言葉よりも心強かった。なにより今までなにひとつ誇れるものがなかった自分に唯一無二の技術と言ってくれたことが嬉しかった。

「すごいじゃん! ハルにしかできないことだって!」

 ふたりのやり取りの一部始終を見ていたシャノンが、もう我慢できないというように抱きつく。喜びの感情が爆発している。

「シャ、シャノン、喜んでくれるのは嬉しいんだけど……」

「あ……」

 少しして冷静になれたのか、シャノンはハルライトから身体を離す。だが、やはりシャノンの顔からは喜びが溢れ出ている。

「私もユーファから聞いたときは驚いたわ。ハルライトにそんな技術があったなんて。使いこなせればきっと頼もしい力だと思うし、それに合わせて普通の魔導書も使えるようになれば、かなりの実力になると思うわ。道のりは遠いかもしれないけど、私もお手伝いはするし、一緒に頑張りましょう」

「私もハルが強くなるためなら、なんでも協力するよっ!」

 三人の言葉にハルライトは初めて自分が認められたような気がした。今までハルライトに声をかけてくる者は一様に諦めろや往生際が悪いと、否定の言葉ばかりを投げかけてきた。それは少なからず自信の喪失に繋がるものでもあった。

 だが、今こうして三人から協力するという言葉をもらい、さらにユーファミアからは自分にしかできない唯一無二の技術と言ってもらえたことで、ハルライトの中に少し自信が生まれた。

「なんだか、みんなにそう言ってもらえて、少し自信ができました。やるからには半端な気持ちでは臨まないし、必ず強くなってみせます」

「その意気だ。……と実技に移ると言った割には長く話してしまったな。今度こそ、実技に移ろう。シャノンも魔導書の準備を頼む」

「あ、は、はい」

「アリシアも手伝ってくれ」

「分かったわ」

 ユーファミアの指示の元、今度こそ実技の練習が始まるのだった。

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