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「ハルライトの容態はどうだ?」

「よく寝てるわ。怪我はほとんど治癒したし、このまま安静にしてれば明日の朝には目を覚ますと思うわよ」

「そうか。ならよかった」

 ベネトナッシュ魔導司書学院の医務室前の廊下。医務室前に設置されている木製のベンチに座って、ほっとしたというようにユーファミアは一息ついた。決闘はいえ、内心やり過ぎたのではないかと心配していた。その隣にアリシアが腰をかける。

「今日は巻き込んですまなかったな」

「そんなことないわ。担当教官としてハルライトの決闘を見届けないわけにはいかないし。でも……」

 アリシアはそこで息を詰まらせて、

「私、ハルライトになにもしてあげられなかった。担当教官なのに……」

 その悲しそうな横顔をユーファミアはじっと見つめて、

「なあアリシア。私が提示したハルライトの勝利条件は覚えているか? アリシアにも伝えたはずだが」

「え? えっと……確かひとつでも傷をつけられたら勝ちだったかしら?」

「ああ、それで合ってる」

「でも、ハルライトの〝ラグナロク〟はユーファに当たる前に消えちゃったと思ったけど……」

 少なくともアリシアの位置からはユーファミアに攻撃が当たったようには見えなかった。だから、なにもしてあげることができなかったと罪悪感を覚えたのだ。

「遠目からはな」

 そう前置きすると、ユーファミアは右腕を見せてくる。よく見ると、服に刃物で切ったような切れ込みがある。

「まさか……」

「そのまさかだ」

 今度は腕をまくって肌を見せてくる。本当に小さいが、切れ込みがあった位置と同じ位置に切り傷があったのだ。

「ホントのホントに?」

「しつこいな、アリシアも。間違いない。私も確認してみたが、やはりあのときに負わされた傷以外に考えられん」

 ユーファミアがそう力強くうなずくと、まるで自分のことのようにアリシアは喜びを露わにする。

「大げさだなぁ」

「そんなことないわよ! だって、だって……」

 感極まって上手く声を言葉にできていない。それでもその表情から溢れんばかりの喜びと生徒愛を感じることができる。

「まあ私も驚いた。実力が伴わない口だけの奴だと思っていたが、とんでもないことをしでかしてくれたもんだ」

「確かにね。でも、どうして急に使えるようになったのかしら?」

 高ぶった感情を落ち着かせると、いつとも同じトーンでアリシアが疑問を口にする。ハルライトが魔導書を使えるようになったことは素直に嬉しいことだが、同時にどうして突然使えるようになったのか気にならずにはいられなかった。

「それなんだがな。ひとつ思い当たる節がある。フェリークス姓からピンときた」

「フェリークス姓からねぇ……。確かハルライトのお父さんは魔導司書の中でも有名な人だったって聞いてるけど」

「それに関わってくるんだが、〈逆算魔導術式〉という言葉を聞いたことはあるか?」

「逆算魔導術式……? 聞いたことないわ」

「まあ無理もない。私も聞きかじった程度だしな。事象(イデア)コードから変換した魔導(マギア)コードをもう一度、事象コードに戻すという技術なんだが、まあなんとも荒唐無稽な荒技だよ。魔導司書の間でも机上の空論とまで言われていたほどだ」

 事象コードとは火がつくなど現実に起きる現象をコード化したもので、それを魔導演算によって魔導書が現実世界に事象として出力できる状態にしたものが魔導コードと呼ばれるものだ。理論上、魔導コードから事象コードへの再変換は可能だが、通常の魔導演算よりも脳への負担が大きいため実現不可能と呼ばれている。

「それがハルライトのお父さんとなんの関係が?」

「これは知り合いから聞いた話だが、ハルライトの父――フィーディナント=フェリークスは若い頃からその技術の研究に傾倒していたらしくてな。優秀な魔導司書ではあったんだが、その奇妙な研究のせいで同期の間では変人扱いされていたそうだ」

 労力の無駄使いや狂人など散々な言われようだったと、ユーファミアは語る。

「それはひどい言われようね……」

 思わず顔が引きつる。こんなことを言っては失礼だが、ハルライトといい勝負をしているかもしれない。やはり親子は似るのだろうか。全く嬉しくないことで似てしまっているが。

「ほとんど他人と関わることなく、その研究に没頭していたらしいんだが、あるとき突然魔導局を去ったんだ。去った理由は不明のままだが、その後フリーの魔導司書として各地で活躍し、今となっては有名人だ。

「そうねぇ。知らない人はいないくらいだし」

「没後、フィーディナントと友好関係にあった魔導司書が彼の資料を整理もかねて集めていたら、それで発覚したんだ。フィーディナントの中で逆算魔導術式は完成していたんだ」

 ユーファミアの話を聞いていたアリシアが驚いた顔をする。机上の空論とまで言われた技術を完成させたのだから、その研究への熱量はすまさじいものがあったのだろう。

「そのことを知った魔導局は総出で資料などを捜索したんだが、あるひとつのものだけ見つからなかったそうだ」

「ひとつのもの?」

「資料に書いてあったらしいが、逆算魔導術式はそれ単体では意味をなさず、とある魔導書と合わさって始めて使えるようになるそうだ。ここまで聞けば、ピンとくるものがあるだろう?」

「もしかして……」

 アリシアの中でひとつ思い当たることがあった。ハルライトが〝ラグナロク〟を顕現させる前に魔導書の名前を叫んでいたではないか。

「フィーディナントの息子がハルライトであることも加味すると、その可能性は十二分にあると思う」

「でも、仮にそうだとしても今までハルライトが魔導書を使えなかった理由には結びつかないんじゃない?」

「おそらく幼い頃に父親から教え込まれたんだろう。逆算魔導術式は魔導司書が魔導書を発動するときは真反対の工程だからな。魔導演算領域が完全に逆算魔導術式に特化したものになっていれば、通常の魔導書が使えない可能性もある」

「確かにそうねぇ……」

 実際、ハルライトは一級認定されている〝ラグナロク〟を少しの間ではあるが使えていたのだ。ユーファミアの考察はおおむね合っているのだろう。

「それにしてもだ。これはとんでもないことだぞ」

「そう? ハルライトが魔導書を使えるようになったのは良いことじゃない」

「私が危険視してるのはそこじゃない。ハルライトの逆算魔導術式と魔導書だ。アリシアも見ただろう。あいつは本来所持していない魔導書、それも一級認定を受けている魔導書を使ったんだ。これがどういうことか分かるか?」

「あっ」

 ハッと気づいたようにアリシアはユーファミアの顔を見る。

「おそらくあの魔導書は相手の発動中の魔導書を解析し、術者が逆変換(デコンパイル)したものを記憶、発動するんだろう。所持すらしていなくても、相手が発動していればどんな魔導書でも使えるということだ」

 本来魔導司書は書庫に収納してある魔導書しか発動することができない。所持が認められる魔導書も魔導司書のライセンスによって異なる。ライセンス制度は一般人に魔導書を使わせないことはもちろん、手に余る魔導書を発動することで魔導司書自身に反動がくるのを防ぐ目的もある。

「でも、ハルライトが〝ラグナロク〟の魔導書を発動したときにはなにもなかったわよ? そのあと魔力切れは起きたけど」

「魔力切れは単にハルライトの経験不足だ。それ以外の反動がこなかったのは、あの魔導書はおそらく、術者の能力に合わせて効果を調整しているんだろう。その証拠にハルライトの〝ラグナロク〟が作った穴は私のものより小さい」

 そう言われてアリシアは記憶を辿る。確かに言われてみれば、ハルライトの〝ラグナロク〟が作り出した穴はユーファミアが穿ったものよりも小さかったはずだ、だが、それでも威力自体は相当のものだった。調整されてあの威力だというのだから、一級認定の魔導書のすごさを改めて思い知らされる。同時にそんなものを学生相手に使っていたのかという思いも湧いてくるが、それはまた別の機会にしよう。今は話に集中したい。

「そう考えると、とんでもないわね」

「ああ。ライセンスもあったもんじゃない。多くの魔導司書は喉から手が出るほど欲するだろうな。特に後ろ暗い連中は」

 場合によっては魔導書を好き放題使えるのだから、より強大な力を求める者にとってまさに黄金と同等の価値を持つ存在だ。

「今はまだハルライトの実技の悪さが幸いして、事の重大さに気づいている者はいないが、それも時間の問題だ。早いうちにあいつに基礎を叩き込む必要があるな。あの魔導書……煩わしいな。確かハルライトはあの魔導書のことを〝ラプラス〟と呼んでいたか?」

「確かそうね」

「その〝ラプラス〟を狙って、今後誰が襲ってくるかも分からん。強力な魔導書ではあるが、魔導司書が普通に魔導書を発動するよりもはるかに高度なことをやっているから、脳への負荷も大きいだろうからな。最低限、自衛のための魔導書は使えるようになっていないと困る」

 今回は決闘だったから事なきを得たが、これが魔導書を狙う者との戦いだった場合、今回のような戦い方ではまず勝つことはできないだろう。殺されていてもおかしくない。

「そういうわけだ。しばらくハルライトを鍛えることにする。問題ないか?」

「まあ、ハルライトが望むっていうなら私は止めるつもりはないわよ。でも、ちゃんと本人の意思は確認してよ? ユーファは強引なところがあるから」

「そう何度も口を酸っぱくして言わなくても分かってるって」

「分かってないから何度も言ってるのよ!」

 前のめり気味に強く出られて不意を突かれたのか、ユーファミアはキョトンと目を丸くする。

「まあでも、そこがユーファの良いところでもあるんだけどね」

 誰にでも物怖じせず、はっきりと物を言う姿は旧知の仲であるアリシアも尊敬しているのだ。

「それにしても、ユーファちょっと楽しそうよね」

「急になにを言い出すんだ」

「だって、ハルライトの話をしてるときからユーファ、面白いものを見つけたみたいに楽しそうにしてるんだもん」

「……まあ、面白そうな奴を見つけたのは事実だからな」

 だから一度は敗北しかけたハルライトにチャンスを与えたのだろう。興味を失っていれば、その時点で決闘を無理やり終了していたはずだ。

「さて、私は今回の試験結果を魔導局に報告しに行ってくるか」

 おもむろに立ち上がる。

「ハルライトの試験結果はどうするの?」

「私が上手くごまかしておく。まあ、魔導司書学院にど素人並みに魔導書が使えない司書生がいるとは向こうも思ってないだろ」

 ヒラヒラと手を振ると、ユーファミアは離れていく。

「ユーファ」

「なんだ?」

 アリシアの呼ぶ声に足を止める。

「ハルライトのこと、よろしく頼むわね」

「保護者かお前は」

 見つめ合ってふたりで笑う。可能性の芽が出たハルライトを立派に育ててあげられるのは、飛び抜けた実力を持つ一級魔導司書のユーファミアにしかできない。二級魔導司書であるアリシアにはどうやっても届かない高みだ。

「任せておけ」

 そう力強く言うと、今度こそユーファミアは去っていった。

「さて、私もお仕事に戻りますか」

 最後にハルライトの寝顔をそっとのぞくと、医務室の教官にあとはお願いしますと告げ、アリシアは教官室に戻っていった。

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