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(まずは様子見か……)

 魔導書を扱う者同士での戦闘において、まず相手の出方をうかがうのが定石だ。本当なら〝火弾〟などの三級の魔導書を使い、相手の手持ちの魔導書を引き出すのがより効果的なのだが、そもそも魔導書のバリエーションに欠けるハルライトにそんな駆け引きはできない。むしろ、唯一の希望がある魔導書が切り札のようなものなので、うかつに使うことは望ましくない。

 だが。そんな甘い考えを目の前の一級魔導司書が許すはずがなかった。

「――消えたッ!?」

 ユーファミアの姿が消えた。直後、ハルライトの周囲に影が落ちた。太陽が隠れたのだろうか。否、演習場は屋内だ。影が落ちるはずがない。その意味を理解すると同時に半ば反射的にハルライトは左へ飛んだ。

 激震。

「実戦未経験の割にはよく動けるじゃないか」

 紫色の刀身を怪しく光らせる大剣が演習場の床を穿った。魔導書の訓練用の特殊仕様を突き破る破壊力。

 造作もなく人の背はあろう大剣を担ぎ上げる。ユーファミアの華奢の身体も相まって、かなりミスマッチな光景だ。

「ら、〝魔剣ラグナロク〟の魔導書……」

 一級認定されている魔武器シリーズの中のひとつ。一振りで地を穿つ剛力と鋭さを兼ね備えるその〝ラグナロク〟は数々の逸話を残す一級品だ。

「さすが座学は優秀なだけあって、よく知っているな」

 皮肉にも取れる発言だが、さきほどの埒外な破壊力を見せられては反論する余裕もない。

「なんつぅバケモンだよ……!」

 圧倒的な実力差。あれほどの強力な魔導書ともなれば発動するにはかなり時間がかかるものなのだが、それをものの数秒で完了させてしまうほどユーファミアの魔導演算能力は高いということだろう。いったいどれだけの修行を積めばその高みに到達できるのか。ハルライトには見当もつかない。

「このくらいで惚けてもらっては困るぞ」

 獲物を狙う目がハルライトを捉える。休む暇すら与えてくれず、ユーファミアは一気に距離を詰めてくる。そのスピードは存外に速い。

 ほとんど転がるようにすんでのところで回避する。演習場が振動する。

(デタラメすぎるだろ……)

 圧倒的な破壊力とユーファミアの身体能力から繰り出される高速の攻撃。それはもはやデタラメを通り越し理不尽ですらある。追いつこうと思って追いつけるものではない。

「なにを腰を抜かしている? さっきまでの威勢はどうした? 私の本気はまだまだこんなものではないぞ」

 言われて思い出す。そうだ。この決闘、なにがなんでも負けるわけにはいかないのだ。ユーファミアのあまりの埒外さに決闘前までの決意を失いかけていたが、自分を鼓舞するように頬を叩く。まだ切り札を使ってもいないのだ。絶望するにはまだ早い。

「ほう。私の戦闘を見てまだそんな目ができるか。常人ならひどいことになる前に降参するんだがな」

「あいにく、こっちはそんなこと言ってられないんですよ。それに怪我ぐらい覚悟してます」

 闘志はまだ消えていない。それを奮い起こす。

「面白い。魔導書をろくに扱えない奴がなにをほざくと思っていたが……どうやら気持ちだけは本気のようだな」

「半端な気持ちでこの決闘には臨めません」

 そもそも生半端は気持ちなら決闘をしようとすら思わないだろう。

「ハルライト、貴様の本気とやらを見せてもらうぞ」

「望むところです」

 バチバチとふたりの間で火花が散る。やんや、やんやと演習場も盛り上がる。そんな中でアリシアだけはもっと頭を抱えていた。

「ユーファ、絶対学生が相手だってこと忘れてる……」

 それに加えて今後も増えるであろう演習場の穴。ユーファミアは教官ではなく監察官だ。そして、この決闘の立会人はアリシアである。彼女の監督不行き届きで怒られるのは目に見えていた。いや、はたして怒られるだけで済むのだろうか。これから訪れる未来にアリシアは深々とため息をつく。

 そんな不安で張り裂けそうなアリシアのことなど考えることもなく、ユーファミアが先に攻勢に出る。それに応戦する形でハルライトも動く。

「逃げてばかりでは私に勝つことはできんぞ」

(んなこと言われてもッ!)

 声には出さず、心の中で悪態をつく。ユーファミアが振るう〝ラグナロク〟はその一振り一振りが一撃必殺を秘めている。一瞬でも気を抜けばもろに直撃し試合終了だ。こちらの切り札を使うにしても、やはり〝ラグナロク〟の射程範囲に入り込む必要があり、下手な手は打てない。

「そろそろ疲れてきたんじゃないか?」

 見透かしたようにユーファミアは言う。

「そういうユーファミアさんは……余裕そうですね」

「当たり前だ。この程度の戦闘でバテるほど半端な訓練はしていない」

 度重なる回避による疲労で動きが鈍ってきたハルライトに対し、立て続けの近接戦闘にも関わらずユーファミアは息ひとつ乱れていない。まさに学生と一線で活躍する魔導司書との差だろう。ここでもまたハルライトは現実を突きつけられた。

(もう避け続ける余裕はない……)

 ユーファミアに見抜かれてしまったとおり、今のこの防戦一方の状態を続けられる時間はそう長くはない。いい加減こちらも攻勢に転じる必要がある。本当は可能な限り翻弄してユーファミアの厄介な機動力を削ごうと考えていたが、どうやらそれは望み薄のようだ。

(こうなったら一か八か……)

 このままなにも抗えずに終わるなんてことは絶対に嫌だ。ほとんど特攻に近いが、それでも一パーセントの望みに賭けて、ハルライトは勝負に出る。

「やっと勝負する気になったか」

 このときを待っていたというようにユーファミアはにやりと笑う。

「そろそろ鬼ごっこにも飽きてきた」

 迎え撃つように〝ラグナロク〟を構える。

(ユーファミアは確実に仕留めにくる。なら……!)

 ハルライトの特攻は完全な考えなしでもなかった。ユーファミアの振るう〝ラグナロク〟は強力だが、狙いはハルライトに限定されている。つまりハルライトには次にどこへ〝ラグナロク〟が振り下ろされるか、ある程度コントロールできるということだ。どこにくるか分からない一撃必殺を避けるのは困難だが、それがある程度分かるというのなら対応も可能かもしれない。加えて、〝ラグナロク〟はその大きさゆえ取り回しが悪く、近距離へ瞬時に対応するのは不得意だ。それはユーファミアの身体能力を以てしてもどうにもならないことだろう。真後ろに回り込めば多少はなりとも時間が稼げる。そこに賭けるしかない。

「これで終わりだ!」

(思ったとおり!)

 狙いどおり、〝ラグナロク〟は特攻してくるハルライトを待ち構えるように振り下ろされた。

 そこで即座に横へと避ける。剛力による衝撃が半身を襲う。踏ん張ってそのまま背後に回り込む。直撃すれば凶悪な一撃だが、当たらないのであれば今は問題ない。

「しまッ!」

 今までにない焦った声を出す。薙ぎ払うために身体をねじらせ〝ラグナロク〟を振るう。

――だが、その前にハルライトが魔導書を発動する。

(頼むっ!)

 祈りを込め、魔導書名を叫ぶ。

「〝ラプラス〟」

――沈黙。そして、その沈黙を引き裂くがごとく、強烈な衝撃がハルライトの半身を襲う。

 鈍い音が演習場に木霊する。

(これでも――届かないのか……)

 悔しさで顔が歪む。

 衝撃に蹂躙されるがまま、壁に叩きつけられる。

「カハッ!?」

 肺腑から空気が吐き出される。叩きつけられた痛みで上手く呼吸ができない。

「ハルッ!」

 群がる司書生をかき分け、シャノンが血相を変えて駆け寄ってくる。

「待て、シャノン=アネット。まだ決闘の最中だ。余計な手出しはするな」

 鋭い双眸がシャノンを睨む。その気迫に気圧されるようにそれ以上近寄ることはできなかった。

「分かるか? これが戦いの中で死んでいく者の痛みだ。これが本物の戦いならこの痛みすら感じることなく、ハルライト、貴様は死ぬんだ。もう一度だけ言う。貴様の実力で魔導司書になるのは不可能だ。無駄に命を落とすだけになる。もっと自分に合った他の道を考えろ」

 厳しくも真理を突いた言葉。痛みのある脇腹を押さえながら、ハルライトはただ黙ってその

話を聞いていた。

「アリシア、見てのとおりだ。決闘はこれで終わりだ。ハルライトを医務室まで頼む」

 アリシアも心配そうにハルライトを見ている。なにか言いたそうではあったが、立会人としてどちらかに肩入れすることはできない。なにより実力が伴わないまま魔導司書になったところで、それはハルライトの身を危険にさらすことにしかならない。どんな言葉をかけていいのか分からず、今ただ立会人としてその責務を全うすることしかできなかった。

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