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一週間後、ついに約束の日がやってきた。試験はクラス単位で行う。三回生はみな各々が所属するクラスで待機している。試験の番が回ってくると、各クラスの担当教官が呼びに来ることになっているので、みな真剣な面持ちそのときを待っている。
クラスを見回してみると。前日までみっちり調整を行ったのか、クラスのほとんどの司書生が疲れを隠しきれていない。中には試験前だというのに爆睡している者までいる。そんな状態で試験に臨めるのかと思うハルライトだが、それは彼とて例外ではない。
シャノンの手も借りた鍛錬だったが、結局目立った成果を上げることはできなかった。その代わりに身体のあちこちに怪我を負っている。そもそも三年間で物にできなかったことをたった一週間でできるようになるかといえば、土台無理な話というほかないだろう。シャノンにも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「ごめんね、私なんの力にもなれなくて……」
クラスの空気を読んでか、そっと近寄って耳打ち気味に言ってくる。
「シャノンのせいじゃないし気にすんな。むしろ謝りたいのは俺のほうだ」
シャノンが貴重な時間を割いてまで協力してくれたというのに、なんの成果も得られなかったというのはあまりに情けない結果だ。それでも自分のほうが悪いと謝ってくれるシャノンはこの世にある全ての優しさの神なのではないかと思ってしまう。
「こうなったら足掻くさ。徹底的に」
「どうやって?」
「いや、それは……」
シャノンを気遣って言ったつもりだったが、逆にそこを突っ込まれてしまい、返す言葉が見つからない。
「みなさん、時間になりましたので準備してください」
教室の扉が開いて女性教官――アリシアが入ってきた。教室の空気がどっと重くなったような気がした。みなの顔を見ることはできないが、きっとこの世の終わりのような顔をしているに違いない。
「ついに来たか……」
「応援してるよ、ハル」
にこっと微笑みかけてくる。その行為そのものはとても嬉しいもので、男子なら卒倒ものだろう。
(さて、どう足掻くか……)
ここまできてしまった以上、地力を底上げすることはできない。あとはどう足掻きに足掻いて立ち回るかだ。その一点に尽きる。そして、さきほどは口ごもってしまったが、足掻きに足掻くための手段をひとつ思いついていた。
(諦めるもんか……!)
今日まで周りに馬鹿にされながらもここまでやったきたのだ。その結果が実を結ぶことはなかったが、ここで諦めてしまったらその努力すら無駄にすることになってしまう。最後の最後までたとえ醜くとも足掻いてみせようと、そう心に誓うハルライトだった。
「次の者。前へ」
演習場を飲み込む厳かな雰囲気の中――というより茶化せる雰囲気ではない――で試験は粛々と執り行われた。
試験内容は至ってシンプルだった。まず、呼ばれた司書生は試験官であるユーファミアの前に立つ。魔導書を発動し、その後、演習場の備品である演習用の的を狙って攻撃する。この一連の流れを何度か繰り返すものだった。その間にユーファミアはなにかを測定しては紙へと書き込んでいた。
「なにを書き込んでるんだろうな?」
教室のときとは反対にハルライトがシャノンに耳打ちする。
「魔導書を発動するまでの時間――魔導演算能力の高さとか空間座標の計算の早さとか、そういうのを測ってるんじゃないかな」
さすがは成績優秀者と言わんばかりの饒舌っぷりに舌を巻く。
魔導演算能力は魔導司書における数ある必要技能の中でも、もっとも重要といっていい能力だ。魔導書の効果は術者の供給する魔力によって増減するが、それはそもそも魔導書が発動できている前提での話だ。魔導演算能力が高ければ高いほど素早く魔導書を発動することができるので、効果の調整や敵との戦闘における手数、攻撃パターンの増加に寄与する。
「そこまで」
今まで試験を行っていた司書生の試験終了を告げる。試験が終了した司書生はユーファミアが下す評価を戦々恐々といった面持ちで待っている。それはさながら判決を待つ犯罪者のようである。
「魔導演算はまあまあだな。及第点だろう。ただ、空間座標の割り出しに少々手間取っていたな。まあこれは訓練次第でどうとでもなるし――合格だ。下がっていい」
「はい! ありがとうございます!」
今までの陰鬱した雰囲気から一転、桃源郷へ到達したような満面の笑みで同じく試験が終了した司書生の元へと向かう。今にもイエーイと聞こえてきそうな雰囲気でハイタッチし合っている。ちなみに試験が終了した司書生の中で不合格となった司書生は今のところひとりもいない。そこでクラスの大半が思い始めていた。
――この試験、意外と簡単なのでは、と。
個々の試験が終了するたびに足りない部分への指摘はするものの、だからといって不合格にするようなことは一度もなかった。それは単にこのクラスのレベルが高かっただけかもしれないが、ほとんどの場合は将来性を見据えたうえでの判断なのだろう。アリシアが大げさな表現と言っていたのも、司書生たちを気遣った言葉ではなく、そのまま真実を述べていたといえる。
いずれにしても、クラスの大半はほっと胸を撫で下ろしていた。ひとりの司書生を除いては。
「みんな、なんだかんだいって合格してるね」
「まあ俺みたいにひどい奴なんてそうそういないだろうし、妥当な結果だろ」
自分で言って少し悲しくなった。みな順調に合格している中、明らかに一波乱あるであろう自分の番を待つというのは、ひょっとしたら試験の評価を待つよりも精神的に辛いものかもしれない。
「合格だ。次の者、前へ」
そして、ついにそのときは訪れた。ユーファミアだけではなく、クラス全員がハルライトを注視している。もっともクラス全員から向けられている視線は応援でもなんでもなく、ただの愚か者を哀れむような明らかに見下したものだ。誰もハルライトが合格できるとは微塵も思っていないのだろう。そんな視線にはもう慣れてしまったが、しかしこれほど一気に衆目を集めた経験はいまだかつてない。
「ハル、頑張って」
「やれるだけのことはやってみる」
そんなカッコいいことを言ったはいいが、実際のところ今の実力でできることなど数えるほどもないわけだが。
「早く前に出ろ」
ユーファミアが早くするよう言ってくる。まさかユーファミア自身も最後に試験する司書生が素人同等の実力だとは夢にも思っていないだろう。
「試験の手順は――言うまでもないだろう。自分のタイミングで始めてもらって構わない」
ろくな説明もされないが、自分の番が回ってくるまでに他の司書生の試験を何度も見ているので把握している。
ハルライトは入学時に学院側から渡された魔導書を自分の書庫より顕現させるため、魔導書名を叫ぶ。
「魔導書――〝火弾〟!」
瞬間、魔導書のページが生きているかのようにめくれ始める。飛び出した文字列が宙を舞う。そして再び魔導書へと収束し――なにも起こることはなかった。
「どうした? 試験はもう始まっているぞ」
少し顔をしかめながら急かしてくる。ユーファミアは気づいていないのだ。さきほどのなにも起きなかったこと自体が魔導書の発動した結果であると。これがハルライトの実力なのだと。
「今のが俺の実力です」
いっこうに認識しそうにないユーファミアにハルライトは真実を伝える。こんなところで言い繕っても意味はない。苦労するのは自分だ。
ユーファミアはスッと目つきを鋭くさせて、
「そうか。ごまかさず話したことは評価しよう。だが、だからといって結果が覆るわけじゃない。不合格だ。荷物をまとめてこい」
淡々とユーファミアは告げる。そこに哀れみも同情もない。監察官の責務を全うしているだけだ。
「でもッ!」
ハルライトは食い下がる。
「なんだ? まだなにか用があるのか?」
まるで興味を失ったというようにその対応の仕方には感情がない。
「俺は……魔導司書を諦めたくない」
魔導司書になるため、この学院に入学し研鑽を積んできた。諦めろや見苦しいと何度も言われ続けても折れることなくここまで在籍してきた。それはハルライトの中にあるひとつの目的があったからだ。同時に託された願いでもあるソレのために、どうしても今ここで諦めるわけにはいかないのだ。
「ハルライト・フェリークス」
改めて呼ばれるフルネームにスッと背筋が寒くなる。
「貴様は一週間前に言っていたことを忘れたのか?」
「覚えています」
忘れるはすがない。魔導司書がどのような立場にあり、どんな危険に遭遇する可能性があるのか、魔導司書を目指す者としては一線で活動する魔導司書の話ほど身になるものはないだろう。それを聞いたうえで、なおハルライトは魔導司書になると言っているのだ。
「ならばなぜ、魔導司書になるのを諦めない? 自分でも分かっているだろう。そんな実力で魔導司書になるのは不可能だ」
遠慮すらなく、ストレートにユーファミアは核心を突く。一級魔導司書が言うのだ。これほど説得力のある言葉もない。
「それは自分でも分かってます。でも、魔導司書になるのは俺の夢であり、目標であり、そして――願いなんです」
普通の人間なら退くところで、それでも食い下がり諦めようとしないハルライトにユーファミアは大きくため息をつく。
「はぁ……。自分の夢に諦めが悪い奴は嫌いではないが、貴様の言っているはただのわがままだ」
確かにそうだ。実力のある者にとって力なき者の足掻きなどわがままと同等だろう。だが、ハルライトの中で力のないことが夢を諦める理由にはならなかった。そのわがままを通すただひとつの手段は――。
「仰るとおりです。自分でも諦めが悪いし、わがままだということも分かってます。だから、そんな諦めの悪い俺に最後のチャンスをください。――俺と決闘してください。俺が勝ったら、今後も学院に通うことを許可してください」
演習場がざわめいた。いや、ざわめくどころの話ではない。初歩中の初歩である〝火弾〟の魔導書すら満足に扱うことのできない司書生が一級魔導司書に挑むなど愚の骨頂にもほどがある。これにはクラスの司書生も哀れみの感情を忘れて、口をあんぐりと開けてしまっている。
「ハル……」
ただひとり、シャノンだけは心配そうにハルライトを見つめている。
「貴様が? 私に? 挑むだと?」
傑作だと言わんばかりにユーファミアは笑う。
「はは、これは面白い。ここまで諦めが悪いと、いっそ清々しい。その決闘、受けてやろう。ただ、ひとつ条件を訂正させてもらうおか」
指を一本立てる。
「〝火弾〟の魔導書すらまともに扱えない貴様が私に勝つのは到底不可能だ。勝負にならん。だから、私の身体のどこでもいい。どこかにひとつでも傷を負わせることができたら、貴様の勝ちにしてやる。それでいいか?」
勝利条件を下方修正するが、それでも無理難題であることには変わりない。ユーファミアにはそれだけの自信があるということだ。
「異議はありません」
「そうか。では、決闘は一時間後に執り行う。他の司書生は個々の作業に戻ってもらって構わない。解散」
異例の試験はさらに予想外の展開を迎えることと相成った。
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