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「なんかとんでもないことになっちゃったね」

「ホントな」

 集会が終了したあと、ふたりは演習場へと歩いていた。ユーファミアが言ったことの余波はいまだ残っているようで、ここまでの道中でも三回生が忙しなく行動しているのが見受けられ、例年以上に学院内は騒がしかった。

「みんなかなり慌ててるみたいだね」

「だろうな。突然やって来て試験しますと言うと思ったら、次の言葉は退学だもんなぁ。この時期はただでさえ忙しいわけだし」

 中庭と隣接する外廊下を横切る三回生を見ながらそんなことをつぶやく。

「ユーファミアさんの言うことも分かるんだけどね。ただ、突然すぎるよね」

「確かにな。ただ、もう決まっちゃったことだし、俺たち……というより俺がやれることはいつものように鍛錬するしかない」

「ハルの場合は特にね」

「改めて言われなくても分かってるっての」

 廊下すれ違う三回生はふたり――特にハルライト――をすれ違いざまに見ていく。みな焦りを覚えつつ試験に向けて最終調整を行っているのだ。そんなときに一番焦らなければならないお前はなにを呑気そうにしているんだと、そんなふうに言いたげな視線をハルライトはすれ違うたびに感じている。

「……そんなの自分が一番よく分かってるっつーの」

 悪態が口をついて出る。普段なら気にもしないし、そもそも周りもそこまで突っかかってこないのだ。だが、今の特殊状況下においては違った。ただえさえ忙しいこの時期に予想外の試験が行われることになり、みな切羽詰まっているし殺気立っている。その感情の矛先が格下であるハルライトに向いているのだ。そんな嫌な感情を向けられて気にしない人間はいないし、それを笑って見過ごせるほど聖人君子ではない。

「ハルの気持ちも分からなくはないけど、気にしたところでいまさらじゃない?」

 シャノンの言うことは一理ある。そもそも入学当初から思い起こしてみれば、徐々に周りとの差ができてきたハルライトに対して心ない態度を取ってきた司書生はいたし、その反応に耐性がないわけでもない。普段どおりといえば普段どおりなのだ。ではなぜここまで心がざわついているのか。もっといえば、普段なら気にしないような言動まで拾うようになってしまっているのか。心当たりがないわけではなかった。

「ひょっとしてハル、焦ってる?」

 さきほどの問いかけに対して反応をしないハルライトを覗き込んで見つめる。

「……かもな」

 言われてようやっと自覚した。焦っているのだ。先日アリシアに言われたことも、集会でのユーファミアの話も、そしてこの三年でなにひとつ物にできていない自分自身に。

 ユーファミアの言っていたことは反論の余地もない正論だ。半端な実力で前線に出れば被害は免れないし、それに本人だけの被害で済むならまだいいかもしれない。もし実力のなさが災いして、仲間にまで危険がおよぶことになってしまったら、そのときは目も当てられない。ユーファミアのあの話はきっとそこまで見越したものなのだろう。ゆえに言い方はきつかったし、司書生にとっては大きな衝撃だった。

「……ハル?」

 きっと怖い顔をしていたのだろう。心配そうな声を投げかけてくる。

「焦る気持ちは分かるよ。でも、それで気が急いで怪我でもしちゃったら意味ないよ」

 魔導司書になれるのはなにも司書生のうちだけではない。魔導書研究者として働きながら魔導司書の免許を取って転身した者もいる。長い目でみれば、魔導司書への道はいくらでもある。司書生からなれなかったとしても、可能性が完全になくなったわけではないのだ。それでもどうしようもなく焦りを感じてしまうのは――。

「お父さんと自分を比べてる?」

「……シャノンには敵わないな」

 笑った顔はどこか影が差すものだ。胸の内を見透かされたようだった。長い付き合いともなると、感情の機微に敏感になるのかもしれない。特にシャノンは男女問わず交友関係が広く、そういった人の感情の変化に多く接しているのが影響しているのだろうか。

「今でも親父の夢を見ることがあるんだ」

 滔々と語るその声にはどこか寂しさを孕んでいる。

「すごかった親父の夢を見た朝はいつも今の自分が嫌になる。本当に親父の血が流れているのか、自分に才能はないんじゃないかって、そんな気持ちが頭を支配するんだ」

 それと付随して頭をかき乱すのは、同級生の心ない言葉だ。振り払おうと思っても、気にしないと思っても、心の奥底では無視できない。

「そんな朝は決まっていつもより鍛錬をきつくするんだ。一歩でも前に進むために」

 それは自己研鑽というよりは不甲斐ない自分への罰だろうか。しかし、そんな感情に身を任せた方法ではいずれ限界がくる。

「まあでもそういうときは決まってぶっ倒れちまうんだけどな」

 自嘲的に笑う顔はあまりに痛々しい。魔導書の扱い方は何度も使ってみることで徐々に学んでいくのが一般的だ。魔導書の発動に必要な魔導演算の効率化、求める効果に見合った魔力供給、空間座標の指定……。魔導書を扱ううえで必要条件となるものはいくつかあるが、それを幾重にも経験することで魔力切れによる心身への反動(リバウンド)を防ぐことができるようになってくる。ところが、ハルライトの場合はそもそもそのレベルまで達していない。そんな状態では適切な魔力供給を学ぶことができず、結果的に魔力の欠乏に身体が耐えられなくなり倒れてしまうのだ。

「またそんな無茶をして……」

 いつもは物腰柔らかなシャノンの口調にもそのときばかりは咎めるような棘があった 。実際そんな無謀といえる鍛錬の仕方にはアリシアから何度も注意を受けているのだ。それでもやめられない。否、やめることを許さないのだ。自分の身体が、心が。

 いつの間にか演習場に着いていた。いつもとなんら変わらない普通の演習場だ。だが、このときばかりは遠ざけたい、そんなふうに思ってしまうシャノンだ。

「じゃあ始めるとするか」

 ハルライトは普段と変わらない様子で演習場に入っていく。果たして強がっているのか。あんな話を聞いてしまったあとでは、普段から強がっているのではないかと思ってしまう。

 ハルライトが抱えている問題はシャノンや担当教官であるアリシアを含め他人がどうこうできるような問題ではない。手助けをすることはできても、解決することはハルライト自身にしかできないのだ。

「それでも私は……」

 ぐっと拳を握り締める。準備運動をするハルライトの姿が目に映る。

 もしかしたらお節介かもしれない。ハルライトはそんなことを望んでいないのかもしれない。だとして、自分の手助けが少しでもハルライトの抱える問題が解決する糸口へと繋がるのなら、その労力を決して惜しまない。

「シャノンー」

 呼ぶ声がする。

「今行くよ」

 決意を胸にシャノンはハルライトの元へと向かうのだった。

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