42 第六部 それはいつかあった日常



 聖域に行き、レミィの精神の中を訪れると、レミィモドキが早々に顔を出した。


「まずい事になりました」

「見れば分かる」


 見回せば、心域しんいきの奥底に、いつか屋敷の中で見た以上の異形の手が大量に蠢いていた。

 色は黒く、腕とその付け根部分しか見えないが、あれは間違いない。見間違えるはずがない。


「でもこれは、同時に先程契約が結ばれた影響でもあります」

「契約だと」


 奴隷契約。

 魔人に絶対服従を強制するそれが経った今結ばれたというのか。


 ボードウィンか?

 いや、そんなはずはない。

 アレイスターが、こういう行動にでる余地を与えるとは思えない。

 そもそも以前の巻き戻りキャンセルでもあの男がレミィと契約を交わしていた事はなかったから、考えにくい。

 ライトはまだいるはずはないので、ならば先程屋敷の庭に現れたあの男女か……。


「考えている場合ではありませんよ。何とかしませんと」

「俺は……」

「自分で考えてください。私はあくまでもナビゲート役何ですから、過ぎた助言は言えませんし」


 自分でも馬鹿な事を言おうとしていた事に気が付いた。

 冷静でいられていないようだ。


 改めて周囲を見回す。


 あいつを保護した当初と比べて、浮遊大地にの上にはいくつかの建物が立っている。


 今住んでいる屋敷や、ウンディの町にある喫茶店や建物だ。

 それは良い兆候だろう。


 だが、しかしそれも、うかうかしていたらどんな風になるか分からない。

 最悪、あの時みたいに笑わなくなって人形みたいになる事だってあり得るのだ。


 アスウェルは探していく。

 心の中の景色に変わった事は……。


「あれは……」


 変化したものがあった。

 依然見た時は潰れていた建物が復活していたのだ。

 一軒家だ。


「現状を動かす可能性があるならならあそこしかないでしょうね。あそこで上手くやれば、きっと影響を少なくできるはずです。ちゃんとやってくださいね」


 だが、直前にレミィと言い争った事を思いだす。

 自分の心の中を見られる行為を、アスウェルが見る事をあいつはまだ許すだろうか。


「やってみればいいんじゃないですか? この中にいる時点で分かっているようなこと聞かないでください。少なくとも駄目だったからって諦めるような人間を、レミィはこの世界に留めて置いたりはしないと思いますけど」


 刺々しい言い方をしつつも励ましている様にも聞こえるレミィモドキの言葉。

 それでも成功は保証しないらしい。

 奴にそこまで臨むのは贅沢か。


 贅沢。

 今まで縁のない言葉だったな。


 あいつが俺に与えた言葉だ。


 覚悟を決める。

 時間がない。

 悩んでいる暇はないのだ。


「……」


 レミィ。

 俺を受け入れてくれ。


 アスウェルの姿が消えたその場所で、レミィモドキと呼ばれているその少女は肩をすくませた。


「やれやれ世話のかかる人ですね。あなたは貴方が思っている以上にレミィに受け入れられているというのに、もうちょっと自覚してくれると色々先が早くて助かるんですが」








 車の走行音、人々の超えのざわめき、足音。


「ここは……」


 どこだ。


 見知らぬ場所。

 だが知識は頭の中に流れ込んできて分かる。


 ここはアスウェルの住んでいた世界とは違う別の世界だ。

 おそらくレミィの住んでいた……。


 周囲を確かめる。道路の真ん中に俺は立っていた。

 アスファルトの黒と白の色が交互に視界に飛び込んでくる横断歩道の上だ。


 視線を向ければ信号機が点滅するところだった。


 このまま立ち止まっていても車に轢かれるだけだ。

 止まっていた歩みを再開する。


 そうしているうちに何かを大事な事を考えていた気がしたが、忘れてしまった。


 ぼうっとしている場合じゃない。

 今日は特別な日……あいつの誕生日なのだ。

 早く待ち合わせ場所に行った方がいいだろう。


 家から出て、電車を乗り継ぎ、駅から歩いて数分。


 どこの駅の前にもあるだろう時計の下に、そいつは立っていた。

 携帯の画面を見ながら、何やら嬉しそうにしたり、不安そうにしたり、悲しそうにしたりと百面相になっていた。


 長い栗色の髪をしたその少女は、近づくこちらにも気づかず、携帯を見つめている。


「おい」

「ひゃいっ!」


 声を掛ければ、そいつは肩をはねさせて驚き、こちらから三歩分の距離をとった。


「な、あ……驚かさないでよ! 何でここに。まだ待ち合わせの30分以上も前だけど……」

「お前がこういう集まりごとに毎回のように早く来ることは周知の事実だ。だからあらかじめお前に伝える分の時間だけ予定より遅らせておいた」

「なっ」


 驚いて顔を赤くしたそいつは、三歩分の距離を詰めてこちらに近づいてきた。

 幼さの残る顔だちをしたそいつは、こちらの襟首を掴みながら、口を開けたり閉めたりして間抜けな顔をしていた。


「どれだけ楽しみにしてるんだと、俺たちの間ではもっぱらの噂に……」

「わああっ、言わないで! それ以上言ったらあたしは恥ずかしくて引きこもるから!」


 真っ赤になってこちらの口を封じようとするその必死な様子。

 面白い。

 これだからこいつは玩具にされるんだ。


 だが、引きこもられては困る。

 今日は、こいつにとっても俺達にとっても大事な日なのだから。


「あ、やっぱり来てたんだ。アスウェルの言った通りだね。レミィが早く来てもいいように三十分、集合時間を遅く伝えておいて良かったよ」


 そこに、最後のメンバーがそろう。

 ショートカットの赤毛の髪の少女が、二人の様子を見て朗らかに笑っていた。


「ねぇ、正確じゃない時間なんて、それ待ち合わせの時間の意味ないんじゃない?」

「うーん、確かにそうだね。今回のでバレちゃったみたいだから、きっと次は待ち合わせの一時間前に来ちゃうかもしれないし。困ったね」

「あっ、あたしは、いくらなんでもそこまでは……しないから」

「そうかなあ?」


 疑問符でしゃべりつつも、にこやかに笑うその少女は、レミィが次にどう行動に出るか分かっている様な口ぶりだった。


「私も待ち合わせの一時間以上に来るのはさすがに辛いかな。だからこれに懲りたら、ちゃんと時間通りに来る事? それでいいかな」

「う、分かったよ……」

「それじゃ、行こっか」


 終始笑顔と余裕の態度で、レミィをやりこめた少女アイラは二人を促す様に歩き出す。

 まとめ役になる事が多い彼女のその手練手管は、出会った頃と比べて日に日に磨きがかかってきているようだった。


 レミィとアスウェルとアイラ。

 いつも行動する時はだいたいこの三人で過ごすのがお決まりだった。


「あたし……、アイラには絶対敵う気がしないよ」


 肩を落とした様子でいるレミィの背中を押して、町の中を歩いていく。






 駅前から移動してやってきたのは、商業の店が多く軒を連ねる、通りだった。


「召喚術の研究とか、あとは魔法が使える石の研究とか……」

「レミィはたまに面白い事やってるよね。できたら私にも教えてね」


 横では二次元的な会話をして盛り上がっているレミィ達。


 アスウェルたちはその通りで、様々な店に入っては適当に店を冷やかしたり、商品を購入したりして周っていた。


 今は数件目の服屋だ。


「何でか分からないけど、頭に何か乗ってないと落ち着かないんだ。そういう癖? みたいなものがしみついちゃって」

「そう言えばレミィってよくフード付きのパーカーとか来てたもんね。後昔はヘアバンドとかもつけてたし」

「だから、新しい帽子とか良いのないかなって捜してるんだけど……」


 先程からレミィはアイラに店の更衣室に詰められて着せ替え人形にされている。

 アイラ自身も自分の試着したい服を試着しているようなのだが、何故か着替えの時間があまりかからない。


 レミィが一着着替えるまでの間に三着試着し終えるアイラは、着替えの達人として服飾関係の仲間には有名になっている。


「こ、こんな服は似合わないと……思うんだけど」

「そんな事ないよ。ほらアスウェルも何か言ってあげて」


 装飾の少ないシンプルなワンピースだが、センスは悪くない。


「まあまあだな」


 率直な感想を言ってやれば、「ほら!」とレミィはアイラに反論している。

 アスウェルは、動き回る茶色の頭に狙いを定めてそれをかぶせた。


「ひゃぁっ……、な、何?」

「こっちの方がしっくりくるな」

「あ、確かに」


 ヒスイ色の帽子がのっている。

 何か乗っていないと落ち着かないというのは見ている方も同じらしい。


 レミィにプレゼントという事で、帽子を購入した後は電車を使って地元へ戻り、日が暮れる中を歩いて行く。


 目指すのは公園。

 これから祭りがあるからだ。


 抱えた紙袋に時々視線をやっては嬉しそうにするレミィの様子は、本人は隠しているつもりだろうが、アスウェル達にはバレバレだった。

 そう言う所があるからいじられるのだと、本人がなぜ気づかないのが不思議になる。


 アイラは、これからの事が気になるようでレミィ相手に色々話をしている。


「レミィはもう将来の事とか決まった?」

「うーん。まあ詳しくは決めてないけど、やりたい事ならあるかな」

「どんな?」

「ピア二ストになって、世界中で演奏しながら周りたいな……って」

「うん、いいと思う。レミィにはぴったりだと思うよ」

「そうかな」


 それは学校の音楽室で放課の時にたまにクラスメイトに弾かせて聞いてるのを見て何となく分かっていた。

 一時期やめていたピアノの腕が上がっていることに気がつけば、何となくそうではないかと想像するのが普通だろう。


「夢って言うほど大げさなものじゃないけど、それが今あたしのやりたい事。だけど、世の中にはもっと上手な人がいっぱいいるだろうし、できると思う?」

「うーん、私はそういう事詳しくないからよく分からないけど、レミィなら出来るんじゃないかな」


 にこやかに背中を押すのがアイラの役目ならアスウェルの役目は逆だろう。


 頭を小突く。


「できないと言われて諦められるような奴なら、最初から目指したりはしないだろう」

「う、うう……。確かにそういうのは好きじゃないけど。いじわる。もうちょっと優しく言ってくれても良いじゃん」

「優しく言ってほしいのか」

「そ、それは……ちょっと。そんな事されたら……」


 レミィは何故か顔を赤くして背ける。

 アイラはその忍び笑いをしているがこちらに理由を教えるつもりはないようだった。





 公園について祭り会場に着いた後は、レミィ達が出ている出店を片っ端から攻略し始めた。


 レミィはともかく、普段は大人しくしているアイラですら乗り気なのだからこの町の祭りには何か人を引き込む魔の力でもあるのかと思ったほどだ。


 そんな風にして戦利品を手にゆうゆうと歩くレミィはふと表情を曇らせた。


 向かう先には多くの人間が立っている。

 その中にはレミィの両親もいるはずだった。


「そろそろ、時間だ」


 レミィはアスウェルたちの下から一歩離れる。


「今日は楽しかった、ありがとう。誕生日プレゼント、大事にするね」


 不安そうに笑うレミィについてやりたいのはやまやまだが、こればかりはレミィとその親の……当人達の問題だ。ここでアスウェル達が要らぬお節介を焼けば、それは彼らやレミィの覚悟をないがしろにすることになる。


 アイラは、レミィんの手をとって自分の手で包んだ。


「大丈夫、ここまで頑張ってやってきたんだもん。きっとうまくいくよ」

「うん、ありがとう」


 離れていくアイラの手の温もりに名残惜しそうにするレミィ。


 アスウェルはレミィの頭を撫でた。


「お前が努力した成果を受け取ってこい」

「うん」


 頭の上から手を離す。


「二人共、本当にありがとう。今日はずっと傍にいてくれて。すごく嬉しかった。だから……だいすきだよ」


 小声で言った最後の言葉はこの人ごみの中でもかろうじて聞き取れた。

 レミィは背を向けて走り去り、両親の下へと向かっていく。


「アスウェル?」


 知らずに一歩踏み出していた。


 何故かこのままいかせてはならないと思えたからだ。

 何か取り返しのつかない事態が起こるような。

 もしくは起こってしまったのを知っているような。


 だが、それは気のせいだろう。


「何でもない」


 アスウェル達はレミィが上手く行くことを祈りながら、それぞれの帰途へとついた。



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