41 第六部 両親



「明日もよろしくねー」

「はいです。明日も頑張ります」


 喫茶店「フェニックス」での業務を終えたレミィが店の中から出てくる。

 服は店のメイド服から屋敷の使用人服へ戻っていた。


「あ、アスウェルさん。お待たせしちゃいましたか?」

「大した時間じゃない」

「すみません。ちょっと後片付けが長引いてしまって……」


 日が暮れる中をアスウェルとレミィは並んで屋敷への道を歩く。


「ふんふんふーん、ふふふふーん。はっ、そうでした。大切なお知らせです!」


 しばらく歩いてから忘却していた大切なお知らせとやらをレミィは口にした。


「実は一週間後にお店でちょっとした演奏会をするんです。町の人からピアノを借りて私が音楽を演奏します、そしてその傍でフィーアさんが踊るんです」


 つまり、その演奏会とやらを見に来いと言っているのか。


「そうです! 頑張るのでぜひぜひ見に来てください!」

「時間が空いたら行ってやる」

「お待ちしてますっ」


 空いたら、と言ったのにもう行くのが確定したような様子でレミィははしゃいでいる。

 かと思えば周囲をキョロキョロと見まわして挙動不審となった。


「あ、ちょっと寄り道していってもいいですか。すぐそこなんですけど、アスウェルさんに見せたいものがあるんです」


 別に急ぐ用事があるわけでもないので、アスウェルは足をむけてやることにした。


 路地を一本外れた場所にあるのは小さな小物屋だった。

 その店のショーウィンドウに、人形がいくつか飾られている。


 見覚えのある店だった。


 いつかの巻き戻しの時、レミィの誕生日プレゼントをこの店で買ったのだった。


「見てください、このお人形アスウェルさんにそっくりなんですよ。ちょっと怖い感じの目つきがそっくりです」

「……」

「私、人形はあんまり好きじゃないんですけど。このアスウェルさん好きです」


 お前はどこのお前でも誤解を招きそうな言動をしなければ気が済まないのか。

 しかめつらで黙り込んだアスウェルに首を傾げていると、レミィはガラス越しに人形をつついた。


「誰かの言う通りにするとか、自分で考えずに人に頼るとか好きじゃないんです。きっとこういう感情って、記憶をなくす前の私の考えが影響してるんですよね。昔の私は一体どんな人だったんでしょうね」


 昔のレミィ、か。


 昔のレミィと今のレミィがつながっているというのなら、そんなに変わる物ではないだろう。


 犬のようにじゃれついてきて、ウサギのようにせわしなく動いて、猫のように眠る。

 きっとそんな具合であまり変わらないのだろう。


「悪い人だったって事はないでしょうか。私は禁忌の果実という組織にいたんですよね。もしかしたらそこで、その人達に何か協力してたんじゃ……、ひょっとしたら誰かを傷つけた事もあるんじゃ……」


 それはライトと対峙した時に、最もレミィが傷つく形で突き付けられた内容に触れるものだ。

 レミィはその時の事を思い出したら、自分こそがアスウェルの家族を奪った人間も同然だと思ってしまうだろう。

 そうなる前に、レミィの本当の両親とやらの事を調べる必要がある。


 アスウェルは不安そうにするレミィの頭を乱暴にかき回した。


「わひゃ……」

「馬鹿を言うな。お前みたいなどこか抜けてる人間が務まるわけないだろう」

「うぅ……アスウェルさん、ひどいです」


 髪をなおしているレミィを見ながらしかしアスウェルは思う。

 狂想バーサク化した境人きょうにんににひけをとらないレミィの戦闘能力。

 それは、レミィが荒事に関わって来たという証拠になるだろう。


 だが、それは長い巻き戻りで身に着けた能力であり、道具として実験台にされてきたせいなのだ。

 気にするなと言ってやりたいが、言って聞くくらいなら悩みはしないだろう。






 そうしてあっという間に月日が経っていく。


 色々あったが問題はおおよそクリアできている。

 禁忌の果実はほぼ問題ないと言ってもいいだろう。屋敷も、水晶屋敷にはならなかったし、そもそも主人がアレイスターのままなどで、装置に関しては全く心配いらないだろう。


 とにかく、ここまで来たのなら後は帝国とライトの動向に注意するだけだ。

 レミィの能力を狙っている奴らがそう簡単なことで諦めるとは思えなかったからだ。





 だが数日後、その日屋敷の庭にやってきたのは、ある意味ライトや帝国よりもタチの悪い人間だった。


「ナトラさんは木の実とか食べないんですねー。やっぱり元は人間……じゃなくて魔人だからでしょうか。お手紙を運んでもいってもくれますけど、お返事がこないのはさみしいです。規則って大変ですね」


 庭の掃除をしている最中だというのにレミィは肩の上の鳥と雑談に忙しくしているらしい。

 ナトラはたまに人間の姿になってレミィの遊び相手をする事があるが、いつも長くはその姿をとどめられないようだった。


 いつだったか、時計を回収した事と毒まみれの廃墟の屋敷の事を尋ねれば、鳥でいる状態ならば物理的な障害はほぼ気にしなくていいから、という事だった。

 逆に人間の姿を取ると、普通の人間のように怪我をしたり、病気になったりするらしい。


 帝国にいる事になっているのがなぜ、こんな場所に居られるかという事については本体は別にあるとのことで、幽体離脱みたいなものだからと簡単に説明したきり、詳しい事は話されないままになっている。


 レミィは掃除を放って雑談に夢中になっている、

 後でレンやアレスに怒られようがアスウェルの知った事ではない、木陰で涼みながらその様子を眺めるのみだった。


 時刻は昼食後の午後。

 流れる風はゆったりと時折り思い出したように吹き抜ける。


 見るからに平和ボケしそうな光景だ。

 だが、悪くはない。


「あれ? お客さんかな」


 鳥の甲高い声とレミィの声。

 見ると、二つの人影がこちらに近づいてくるのが見えた。

 男と女、どちらも知った人間だった。


 レミィの精神の中、過去の回想でだ。


「何だろう。あの人達……どこかで」


 あつらは、禁忌の果実の人間……。


「アスウェルさん?」


 アスウェルは向かおうとしたレミィへ近寄り、肩を掴んで止める。

 銃の収まったホルスターに手をかける。


「手間をかけさせないで。早くこちらに来なさい」

「え……、え……?」


 女はレミィに向かってそう声を掛ける。

 渡すわけにはいかない。

 アスウェルは戸惑いの声を上げる少女の前に出る、だが……。


「思い出せ。誰がお前の親なのかを」

「……っ、まさか……お父さん? お母さん?」

「違う」


 違わない。だが、それをここで肯定しては駄目だ。

 こいつらについて行ったらまた、レミィは碌でもない目に合わされる。


「今までしてきたことは貴方に悪いと思っています。もうこれからは貴方を傷つけるような事はしないと約束しましょう」

「だからこちらに戻ってこい。俺たちにはお前が必要なのだ」

「あ……」


 背後で動き出そうとする気配。

 鳥の羽ばたきが聞こえてくる。

 ナトラも気が付いているのか。


「行くな」

「でも……この人達は……」

「違う」

「私の……」

「お前の親なんかじゃない」


 アスウェルには分かる。

 これはずっと生き別れていた家族と対面した時の反応ではない。


 聖域で、妹とそっくりの女にあった時自分がどんな事を考えていたか、どういう行動に出たかったか。

 それを考えれば、そいつらの言動はおかしな所しかないのだ。


 だから、アスウェルには分かる。

 だが、レミィにはそれが分からない。


「どうして、……そんな事言うんですか。やっと私の過去が分かるかもしれないのに」

「こいつらについて行ってもお前が不幸になるだけだ」

「それを決めるのはアスウェルさんじゃありません。幸せか幸せじゃないかは、私が決める事です」


 正しい。

 レミィが言っている事は正しい。

 アスウェルはいつもやっていた頃も、隠していた事もただの自己満足だと。

 だが、それでも行かせるわけにはいかない。


 隣に並んでこちらを見つめるレミィの瞳は真っすぐだ。

 すぐにその視線が外れる。

 ここから離れて行こうとする。


「駄目だ」


 腕を掴んで引き留める。


「行くな」


 俺はもうお前があんな風になるところを見たくないんだ。


「早く来なさい」

「お前が知りたいと思っている事は、ちゃんと説明する。だからこちらへ来るんだ」


 アスウェルは手に力を込めた。


「……ずっと不思議に思っていたんです。どうしてアスウェルさんはそんなにも私の事を気にかけてくれるんですか? 私、アスウェルさんに何もしてあげていないのに」


 それはお前が覚えていないだけだ。

 いや、覚えていたときでも、レミィがアスウェルにした事など数える程度の事だろう。役に立ったのは物騒な状況ばかりだ。

 思い返せば迷惑をかけられた事の方が多い。


 だが、お前は他の人間ではできない事をしてくれたんだ。

 かけがえのない事を。


 俺の生きて来た時間を肯定してくれて、多くの人間との関係の橋渡しとなってくれた。

 俺はお前がくれた安らかな時間に確かに癒されていたんだ。


 大切だったから。

 死んでほしくない。

 いなくなってほしくない。

 生きていてほしいから。


 それで、今日みたいに何でもないくだらないことを話したり、たまに迷惑をかけられたり、そうやって過ごしたい。


 そう思ったからアスウェルはこれ以上、何かに傷ついてほしくなくて何も言えなくなった。


「マツリ……」

「ぁ……」


 その言葉をつぶやいたのは、相手の男か女かどちらだったか。

 どっちでもいい。


 レミィは、俯いて頭を抱えた。


「ぅ……、ぃ……いたい、いたいです」

「思い出しなさい、私達の言う事をききなさい」

「あ、う……頭が、手が、……体が……」


 頭痛じゃない。レミィの体が震えていた。

 実験台にされている記憶を思い出しそうになっているのだ。


「……っ!」


 アスウェルがそのこいる者達へ銃を向けるより先に、屋敷からアレイスターが出てきた。


「ここは俺がやる、聖域に行け」


 入れ替わる様に、アスウェルはレミィを抱えて講堂を目指した。



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