第五部

34 第五部 前編



 帝国歴1500年 1月1日


 俺は復讐する。

 家族を奪った、妹を攫った禁忌の果実に。

 絶対に復讐する。あの全てが終わった日にそう誓ったのだから。


 ……だが。


「っ……」


 禁忌の果実の拠点の一つ。そこで俺は妹の、クレファンと再会した。

 いや、それは再会などと呼べるものではなかった。

 人形だ。

 俺の妹はもはやどこにも存在しない。

 よくできた装飾品のごとく飾られたクレファンは、冷たく、息をしていなかった。

 周囲には、容器に入った保存液。そしてその中に浮かぶ、とりだされた体の中身。


「く……は……」


 分かっていた。

 もう、どれだけ足掻いたところで、妹は助ける事が出来ないのだと。

 心の内では分かっていた。


 一体どれだけの時間があれから過ぎたと思っているのだろう。

 どれだけ頑張ったところで間に合いはしないのだと、分かっていたのだ。

 だが、それでも。


 希望があるなら探さずにはいられないじゃないか。

 生きているかもしれなのなら、助けたいと思うのが普通じゃないのか。

 だから、その果てにたとえ、絶望が待っていようとも、恐れずに突き進むしかなかった。

 その結末が、これだ。


「く、くく…………」

「アスウェル」


 絶望に沈んで行きそうになるアスウェルに声が聞こえた。友人の声だ。

 どうしてここにお前がいる。などと、そんな事はどうでも良かった。


「……クルオ。俺は、どうすれば良かったんだ。お前の言う通り復讐をやめて、平穏な日常とやらを送っていれば良かったのか」


 無理だ。

 そんな事無理に決まっている。


 送れるはずがない。

 俺がクレファンを忘れるなんてありえない。

 妹だったんだぞ。俺の。大事な。

 忘れて、普通の日々を送るなど、できるわけないだろう。



 数日前、軌道列車の事故に巻き込まれて、こいつに助けられて命を取り留めた。

 生きているのなら俺はまだ復讐しなければならない。


 だからこうして俺はこの場所に足を運んだのだ。

 復讐。

 ああ、そうだったのか。


 俺は最初からクレファンが生きているだなんて信じていなかったのかもしれない。

 信じていれば、復讐に生きるなどという言葉を使うわけがない。

 復讐を優先事項として行動するわけがない。

 アスウェルは、ただ自分が楽になりたいために、無力でいたくないために、復讐の道に邁進していたのだ。


 どうしようもない人間だ。

 クルオはこんな俺を助けなければ良かったのだ。

 馬鹿な友人など放っておけばよかった。


 ……俺にはもう、何もない。

 生きる理由がない。

 家族は皆死んでいた。

 己の心の内に気づいてしまった今、また復讐の道を歩く事などできない。


 銃を抜く。弾は装填されているようだ。右手を上げて、こめかみに銃口を当てた。


「アスウェル! 駄目だ!!」


 引き金を引く前にクルオに奪い取られた。


「君はっ、何を考えている!」

「……何を、だと。何もだ。もう何も考える必要はなくなった!」


 どうやって情報を得るだとか、次はどこを調べるだとか、そんな事をもう考える必要などなくなった。

 明日の事を考える希望など、アスウェルからは失われてしまったのだから。


「だから、もう俺を死なせろ! 言っただろ、お前の友人はもう死んだ! お前の目に映るのは生ける屍に過ぎない! だから、大人しく死んでやるんだよ! そうすればお前も馬鹿な人間を止めるために捜して歩かずに済むだろうが!!」


 銃を奪おうとする、クルオは抱え込んで奪われまいと抵抗する。

 取っ組み合いになる。何度も殴った。殴られた。

 華奢な体格をしているわりに殴り合いのケンカになると、妙にいいところに拳を入れてくる。

 こいつには昔から手こずらされた。


「僕は好きでやってるんだ。君が心配だから勝手に来たんだ。冷静になれ、君は自暴自棄になってるだけだ。死ぬなんて、クレファンだって喜ばない!」

「そんな事俺が一番よく分かっている。だが、アイツはもう生きてはいないんだ! 生きていなければ全部意味なんてないだろうが!」


 銃は奪えない。

 クルオは離さない。

 いくら邪魔者を排除したからと言っても、いつまでもこんな場所にいていいはずがない。

 だが、俺はすっかりその事を忘れ去っていた。


 ここはまた禁忌の組織の建物の中。

 危険だったのに。


 俺はそんな事を忘れて言い争いに夢中になる。 


「意味がないわけないだろう! 意味がないなら、君はクレファンが生きてきた時間さえも無駄にするつもりなのか!!」

「…………っ」

「おじさんだって、おばさんだって、毎日お前に健やかに成長してほしいと願っていたはずだ。そんな日々ですらお前は意味がないと言ってしまうのか……」

「……」


 アスウェル。

 明日を得る。

 生まれた日に名づけられた俺の名前だ。


 そしてアスウェルの真名ミライ・エターナリア。


 明日が続く限り幸せに生きてほしい。

 そんな両親の願いが込められてできた、俺の真名。


 いつしか、銃を取り返そうとする手は止まっていた。


「俺……は」

「どんなに辛くても、絶望しても。君は生きなきゃいけないんだよ。おばさんや、おじさん、クレファンの為にも」


 立ち上がったクルオに手を差し伸べられる。


「だから、アスウェル……これから、は…………」


 アスウェルがその手を取ろうとしたとき……。


 どこかで警戒を促すような甲高い鳥の鳴き声が聞こえた気がした。


 その直後、乾いた銃声が響いた。


 クルオの体に風穴があく。

 鮮血が、飛び散ってアスウェルの体を汚した。


 脳裏を映像がかすめる。


 知っている。

 俺はこんな風になったこいつを。


 事故さえなければ行くはずだった廃墟の水晶屋敷、その後、何故か選択肢からはずした場所。だが、本来はその屋敷平気、ホールで俺を止めるためについてきたクルオと口論にんって、やかまして不快だったから、俺は銃で、……。


 一秒にも満たないその思考は過ぎ去り。

 

 音を立てて友人が崩れ落ちる。 

 その向こうに人がいた。敵だ。禁忌の果実の。


「っ……!」


 クルオの手から銃を奪う。

 身をかがめて第二射をやり過ごした後、生き残りを撃った。


 これで、ここにいる敵はいなくなった、はずだ。

 アスウェルが先程のように見過ごした人間がいないのなら、の話だが。


 鳥の鳴き声が頭上から聞こえる。

 鳥は光に包まれて、その一瞬後には少女へと変わっていた。

 白い髪の少女。年は十歳になるかどうかといった頃合いの。


「アスウェル、思い出して。お願い。貴方が大切にしてきた、必死に守ろうとした一人の女の子の事を。レミィの事を、その子と一緒に長い時間を旅してきた事を、思い出して」






 レミィ。






 記憶が、映像が、想いが、脳裏に溢れかえる。

 そうだ。思い出した。

 俺は、ウンディの町のあの水晶屋敷に行って、レミィと会ったのだ。


 そこで俺は約一か月の時間を何度も過ごし、最後には必ずそこで得た全てを失って何度も戻った。


 ライトが、禁忌の果実が、帝国が、ボードウィンが、あいつの運命を、命を何度も刈り取って、運命を弄ぶがために。


 あいつは?

 あいつはどうなった。


 今どこにいる?

 生きているのか。


 それともまた……殺されてしまったのか。


 もう、一年前には戻れない。

 アスウェルを過去へと移動させていたのはライトだからだ。

 あのライトが、アスウェルに手を貸すことはあり得ないからだ。


「ウンディに向かって、そこに行けばまた過去へ行けるわ、だから、アスウェル……。私の友達を助けて」


 白い髪の少女はそう言った後、その場から姿を消してしまった。

 後には、何も残らない。


「まだ、あいつを助ける事ができるのか……?」







 クルオを医者の所まで運んでいったアスウェルは、また無茶して友人がついてこないために手紙を残し、風の町へと向かった。


 変わる場所もあれば、変わらない場所もある。


 だが、一年前に町で知合ったいくつかの顔と話をすれば分かった。

 ここは、アスウェルが知っている世界ではない。

 基準点を満たした過去とやらのせいで書き換えられた現在だった。


 水晶屋敷は消失していないし、なぜかなくなるはずだった風調べの祭りも続くようだった。


 水晶屋敷は悲劇に見舞われ、レミィは利用され、使用人たちは死に、屋敷は廃墟となる……という歴史もおそらく書き換わっているのだ。


 町を巡ったアスウェルは、公園にたどり着いていた。

 最初にレミィと出会った場所だ。

 あの白い少女の言う通り来てみたが、どうすればいいのか全く分からない。

 心当たりがある場所と言えば、公園と屋敷ぐらいしかないが。


 視線の先には平和な日常の光景。

 子供連れの親子や恋人たちが思い思いの時間を過ごす、その場所で歩を進めるアスウェルはあのベンチの前にたどりついた。


 そこには……。


『アスウェルさんっ』


 レミィはいない。


「……」


 いるはずがなかった。


「あの、大丈夫ですか」


 だから、その声が聞こえた時は耳を疑った。


「具合でも悪いんですか?」


 振り返る。

 そこにいたのは、檸檬色の髪をした、記憶の中の姿より一年分成長した少女の姿だった。



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