26 第三部 捕らわれた少女
その日の夜。
アスウェルは、レミィの私室を訪ねた。
目的はレミィの治療だ。
状況に対する打つ手は思い付かないが、レミィ個人に大してならできる事はまだある。
レミィモドキにも言われた事だが、正規の手続きを踏んで人の心の中に訪れるという行為は……想命石を使って、人間が持っている本当の名前、真名を使って心を繋げる事を言うらしい。詳しい方法についてはネクトに所属していた頃にフィーアに教えてもらった。
だからアスウェルは、あらかじめレミィに案内された講堂の地下にある水場へと向かい、クレファンに会って、石をもらってきていた。
講堂の下にそんな場所があったとは。
考えてみればレミィが聖域を利用しているという話があったのだから、屋敷の近くにないとおかしいだろう。
アスウェルが思い出す記憶にはない。知らなかったのかもしれないし、忘れているだけなのかもしれない。
「クルオとお前は……会っているんだったな」
「はい、でも一度だけの世界でしたし、その時あまり話とかはしませんでしたから。最近会った……一つ前の世界のクルオさんみたいな性格じゃなかったです。あれが本当のクルオさんなんですか」
「あれが素だ」
アスウェルから見れば武器を持って平気で人を殺せるクルオの方がおかしい。
馬鹿な友人を放っておけなくてどこまでも追いかけてくるようなお人よしが、あんな風になるには、一体どれほどの事があったのか。想像したくなかった。
レミィは、ヘアバンドをとって、部屋のベッドの中にもぞもぞと潜り込んでいく。
そして布団を体に巻き付けて起き上がる様子は暖房器具の温かさを知った冬の猫のようだ。
ふと、レミィだけに見える猫とやらは、今も少女には見えているのか気になった。
思い出した記憶の中には、いくつか現実の光景の中に浮き輪をつけて宙に浮かんでいる猫の姿があった。
朝食のパンを盗み食いしたり、町の店でショーウィンドウの内側に入り込みアスウェルに似た人形をいじり倒していたりと。
「お前の周囲をたまに飛び回っている猫は、何なんだ」
「見えるんですか」
というのは今もいるのか、そのあたりに。
生憎……でもないが見えない事実を首を振って伝えると、肩を落とされた。
「……アスウェルさんにも見えればいいのに。それは、ムラネコさんの事ですね。ムラネコさんは接着剤です」
分かる様に喋ろ。
「あまり楽しい話ではないですよ」
「……」
「禁忌の果実に捕まった時、私の心はかなり危ないダメージを受けたみたいです。その時に奴隷契約をしたと考えるのですが、奴隷契約は知っていますよね。私も調べてみたんですけど……」
レミィは考えながら、言葉をゆっくりと紡いでいく。
「奴隷契約では、まず命令の強制権がありますよね。反抗するものに、幻の痛みを与えて気力を削ぐというやり方で……。そして、もう一つ記憶を水晶にして、奴隷にした人の記憶を物質として抜き取ることができます。それは保管される場合もありますし廃棄される場合もあります。廃棄された場合は……元に戻る事は一生なく廃人になってしまうみたいです。私の知識、合ってますよね」
その説明をさせた事をアスウェルは悔やんだ。
レミィの表情からは、説明が合っているかどうかの不安しか感じられないが、それでもさせるべきではなかったと思った。
「言いたくないのなら、言わなくていい」
「大丈夫ですよ。アスウェルさんが傍にいてくれますから」
レミィは平気そうな口調で説明を続けていく。
レミィの記憶は一度砕かれたらしいが、どうやってかその欠片を回収する事が出来た。だから、クレファンの力によって、欠片を修復するための機能みたいなものとして猫が作られたらしい。
「ムラネコさんは何回か私の心の中に入った事がある人は見えるんですよ。巻き戻るとリセットされちゃいますけど」
ということは、アスウェルも回数を重ねると聖域以外でもあのネコの姿を見る事になるらしい。
やかましいのはレミィだけで十分だ。
ともあれ、今の時点で聞きたい事はだいたい聞くことができた。
アスウェルはレミィが座っている隣に腰かける。
「やるぞ」
「ふぁ、……ひゃい」
お子様のくせに何を緊張しているんだと言ってやりたい。
ゆっくりとアスウェルに近づいてきて、こちらの胸に体重をあずけてくる。小さな手でアスウェルのシャツの裾を掴みながら、小さな声で鳴く……ではなく、喋った。
「お……お願い、します……」
雨の日に捨てられていた動物を拾い上げて腕の中で鳴かれているようだ。
今更だがこんな光景を見られたら、保護者共がどんな反応をするか。
頭を抱えたくなる。
そんな事を考えている事も知らないだろうレミィは、腕の中で幸せそうにしながら治療について説明してくる。
そう言う顔は男の前で絶対見せるな。
「えっと、クレファンさんは治療と言ってましたけど、その行為自体は別に治療でもなんでもないんです。互いの心を繋げて、理解を深める。ただそれだけの事みたいです。でも、使い方次第で元気になるというのはあっていますよ。心の中で行動したことは、その人の内面に反映されるみたいですから」
しかし、逆を言えばそれは人の精神を病ませたりする事も出来るという事ではないのか。
「そういう事もあり得るみたいです」
奴隷契約の影響の様に、か。あの屋敷の医者は知らなかったのかと思うが、考えるのは今は置いておく。
考える限り今の状況では、奴隷契約を使った行為、それがレミィの体調不良の原因であるという疑いが強い。
だが、問題はそれをした人間だ。
「私の真名を知っている人はクレファンさんとムラネコさんくらいしかいませんが、私には心当たりはないです」
「そうか」
最もレミィの性格からして、うっかりもらしてないかの不安はあるが。
これ以上有益な情報は得られまいと考え、レミィから真名を聞き出す。
その名前は、マツリという名前だった。
マツリ。
レミィが風調べの祭りではしゃいでいた事を思い出す。
真名は生きている中で何度か変化するらしいが、それは本人にしか分からない。
なぜ分かるかと言われても、答えようはなく、分かるから分かるとしか言いようがない。
レミィの真名が変化したものならば、その言葉には何か特別な意味があるのだろう。
その後は、アスウェルは正式な手順とやらを踏んでレミィの精神の中へと入っていった。
そこは、アスウェルが覚えている光景とさほど変わらない場所だった。
見渡す限りの草原に立っている。
だが、正式な手順とやらを踏んだ影響か、見える景色が違っていた。
星々がきらめく夜空の中には、宙を浮遊する大地が浮かんでいる。
大地は大きく分けて三つあり、一番大きなものは草原と森と水晶屋敷がある。アスウェルが今建っている大地だ。
次に大きなものは離れた所に浮かんでいる潰れた家だ。
その大地は若干低い位置にあり見下ろす形となる。
底、というものが心の中にもあるのか、その底から伸びて来た無数の手が、大地を掴んで押さえつけ、底の方へと引っ張っていこうとしているように見える。
それらの手は何となく、屋敷で見た異形化した使用人の手足を思い出させられた。
反対に、一番小さな大地は、見上げた先……上空に浮いている。
巨大な砂時計が置かれていて、中には何やら様々な物がぎっしりと詰め込まれているようだった。
眺めていると、レミィモドキがやって来た。
「治療もいいですけど、今の貴方にはちょっと見てもらいたいものがあるんですよね。基本的には貴方の行動と意思を支持しますが、どうですか?」
そう言われたら確かめないわけにはいかないだろう。
「見せろ」
「そういうと思いました。ああ、ちょっときついと思うので見る前に覚悟してくださいね」
レミィは上の方に浮かぶ大地を指さす。砂時計だ。
「あそこを閲覧する許可が降りたようなので、わざわざ知らせに来てあげた事をありがたく思ってください。貴方達にはその情報が必要かと思いまして、来てあげたんですから。さ……どうぞ、行ってきてください」
景色が一瞬で切り替わる。
そうして移動した場所はガラスケースの中だった。
アスウェルがいるのは。
星がきらめく夜空の中にガラスケースが浮かんでいる。
『それは宇宙という物ですよ。この世界の人間にはなじみのない物かもしれませんが、簡単に言えばそうですね。……月は知っているでしょう。この世界に住む貴方達が到底たどり着けやしない場所。あれくらい遠い所にある場所だと思ってください』
レミィモドキの声だけが響く。
そんな場所に何を見せたいものがある
と思ったが、余計な事は考えずにまずは周囲を観察する。
何もない。
だが、その内少女が一人唐突にガラスケースの中に運ばれてきた。
数人の白衣を来た人間達に抱えられて。奴らはどこから来たかわからない、気が付いたら内部にいたのだ。
少女は栗色の髪をしている、だがレミィだ。見れば分かる。
アスウェルが先程現実で見たのとそう年齢は変わらない。気を失っているようだ。
少女を置いて白衣の人間達は、どこからか次々と道具を運び入れていく。
少女を、レミィを実験台にするための道具だ。
アスウェルは何をする事も出来ない。
「ここは……お母さんは、お父さんは……。誰……」
実験台に縛り付けられて目を覚ますレミィ。
白衣を来た人間達は、道具を手にして近づけていく。
「……っ」
少女の息を呑む音とそして助けを求める叫び声。
分かった。
これは過去だ。
禁忌の果実に捕らえられたレミィが忘れてしまった、過去の一部。
景色が切り替わる。
ガラスケースを叩く少女。だけど、誰もその声を聞く物はいない。助けられるものも。
「助けて、出して……あたしを帰してよ、皆の所に」
アスウェルはその姿に触れる事はできないの。
こんなに近くにいるのに。
どうすることもできない。
それはもう終わってしまった事なのだから。
それからの景色は断続的に流れていく。
日が経つにつれて、レミィは弱っていく。
瞳から光が消えていく、喋らなくなり、表情がなくなっていく、動かなくなる。
そんなはずはないのに、このまま死んでしまうのではないかと思ったほどだ。
いくつかの景色が切り替わった頃には、レミィはすでに擦り切れていて、記憶を失くしているようだった。
その中でアスウェルも知っている人間が顔を出した。
どこかの巻き戻り、思い出した記憶の中でレミィの家族として共に暮らしていた男女だ。
その二人は白衣を着ている。
そして、実験台に拘束されたレミィの前に立って……。
レミィは。
「お母さん、お父さん……」
そう呼んだ。
あれが?
母親と、父親?
レミィは記憶を失っても、それだけは忘れなかった。
それなのに……。
その二人は……。
「ふざけるな」
アスウェルは気づいたら声を出していた。
講義の声など意味がないと分かっていても、だ。
「ふざけるな!」
これではまるで、あいつの両親が禁忌の果実の人間みたいではないか。
あいつらは実の娘を実験台に使ったのか?
家族なのに?
血がつながっているのに?
こんな、こんな事……。
「こんなもの、ありえてたまるか!」
認められない。認めてはいけない。
家族だろう。そんな事をしていいはずがない。
目の前では殺された両親の光景に切り替わっている。
レミィの表情は見えない。だが、その二人の姿を前に復讐を誓っているのかもしれない。
「治療を続けたら、あいつはいつかこれを思い出すのか」
『いつかは、そうですね』
アスウェルの言葉にレミィモドキからの反応があった。
あいつが回復するには避けて通れない道だ。
だが、こんな事実を知ってしまったら。あいつに抱えきれるのだろうか……?
ライトは嘘をついていなかったのかもしれないとか、これからの事をどうするべきかとか、そんな事はどうでもよくなってしまった。
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