20 第二部 浸食される日常
不穏の前兆のような空気があった。
それは重く忍び寄り、本人ですら気づかぬうちに首元に這いよってじわりじわりと喉元を絞めていく。
気づいたときには手遅れになっているかもしれない、そんな得体の知れない焦燥感に、アスウェルは苛まれていた。
予感が現実となる。
数日後、異変は目に見える形になっていた。
「レミィ、大丈夫? 顔色が悪いわ、少し休んだらどう?」
「……平気です、私は大丈夫ですから」
「でも……」
鉱石保管庫を掃除する二人の使用人、レンとレミィ。
レンは心配そうに、レミィの方を見ている。
部屋の外からその様子をしばらく窺っていたアスウェルは、レミィの首根っこを掴んで部屋から引っ張り出した。
「借りてくぞ」
「アスウェル様、レミィの事お願いします」
「アスウェルさん?」
そのまま、小柄な体を捕まえたまま、少女の私室へと運んでいく。
たどり着きドアを開けると、当たり前だが部屋には少女の私物がある。
射的屋で当てた大きな
こうしてみると、人形類ばかりが置かれているように見える。
レミィにとっては嫌いな物ばかりが増えていく形となっているが、部屋の主がそれらを嫌ってないのが救いだろう。
「寝ろ」
「あ、でも……お仕事が、頑張らないと」
部屋の入口で、我がままを言い続けるレミィを引きずって部屋の中へと背中を押す。
「そんな状態でうろちょろされる方が迷惑だ」
「でも……でも……。そんなの駄目です」
「……」
レミィはひどい顔をしている。
何かに怯えるような、不安を抱えているような。
「頑張らないと……皆さんの役に立たないと、私もう帰る場所がないのに」
「お前の帰る場所はここだ」
「そうです、でも……私は皆さんと違います。ここを追い出されてしまったら行く当てがなくなっちゃいます」
あのお人よし連中がレミィを追い出すなどアスウェルには考えられない事だ。
「何があった」
身をかがめて少女の表情を窺う。
あどけない、だが白い顔だ。強張っていて不安そうな顔。ここ数日になって増えた少女の表情。
レミィは視線を落とした。
役に立たないと追い出されるかもしれない、など……レミィがそんな風に思うのには何か原因があるはずだ。
そう思うのだが。
「原因なんてそんなのないです。何も、ないんです。皆さん、すごく良くしてくれますし、優しくしてくれます。でも……」
不安なんです。とレミィは続ける。
「不安でたまらないんです。怖いんです。多くを望んでないのに、ずっと今みたいに過ごせたらいいのに。それすらも、失くしてしまうような、取り返しがつかなくなるような気がして、怖くてたまらないんです。覚悟なら、してたのに……どうして」
涙を浮かべて言葉を綴るレミィ。
アスウェルは、そんな少女の頭に手をやり、なでる。
レミィは少しだけ、視線を上げた。
「昔、泣き虫でお転婆で……お前の様な妹が俺にもいた。俺はちゃんとした兄ではなかったから、慰め方なんて知らなかったが、こうしてやるといつもあいつは泣き止んだ」
「アスウェルさんの妹さんに……?」
「お前はあいつに似ている。だから放っておけないんだ」
アスウェルはレミィの頭から緑のヘアバンドを取った。
「寝ろ」
「あ、アスウェルさん……?」
そして少女の体を抱えて、ベッドの上へ降ろす。
「あの……」
「一人で眠れないなら、添い寝してやろうか」
「!」
見て分かるくらい、顔を赤くしてレミィは布団で顔を隠した。
妹が寂しがる時にはよく同じ布団に入って話し相手になっていた。
「アスウェルさん、いじわるです」
レミィは諦めたようにベッドの上で横になるが。
「こんなお昼から眠れません」
中々そうはいかない様だった。
レミィが布団から手を伸ばして、服のアスウェルの服の裾を掴んだ。
「一緒に、眠ってくれませんか」
「……」
アスウェルはその娘の将来が非常に心配になった。
何もそんなところまで似なくてもいいだろう。
お前は俺の妹に似てはいるが、妹ではないというのに。
「男に向かってむやみに好きだの寝るだの言うな」
「……! あの時の、聞いてたんですか!?」
聞かれてないとでも思ったのか、あれだけの近い距離で。
保護者共がこいつを放っておかない理由が分かってしまった。
「うぅ――……」
恥ずかしさに悶え、レミィが布団の中に潜り込むのをひっぺがえす。
それを見ていると意地の悪い気持ちになって来る。
こういう所は妹に接する時とは違う所だ。
アスウェルは隣に邪魔してやった。
「ひゃ……っ」
小柄な少女を腕の中に抱え込むようにして、布団の中におさまった。
「あ…あの、ぅぅ……、アスウェル……さん」
「妹にもよくこうして眠っていた」
「妹さんに、ですか。羨ましいです」
だから、そういう事を男に向かって言うな。
「アスウェルさん、温かいです」
向かい合うように腕に収まっているレミィはこちらの胸にすり寄って来る。
お子様で体温が高いからか、思ったよりすぐに温もりがこちらに伝わってくる。
当然だかこうして誰かと寄り添って温もりを分け合う事など、長い間してこなかった。
「眠れないって思ってたのに。何だか、眠たく……なってきちゃました。」
騒がしい時はウサギのような少女だと思っていたが、こうして丸くなって暖を取っている姿をみるとネコのようにも思える。
それで、リラックスしたのか、数秒後には寝息が聞こえてきた。
安心しきったような表情が腕の中にはある。きわめて無防備だ。居眠りしているところなぞ見かけようものなら、さぞかし悪戯心をくすぐられるに違いない。
そんな風にレミィのあどけない寝顔を眺めていると、いつしかつられるようにアスウェルも夢の世界へと誘われていった。
「ここは、どこだ」
気が付いたら違う場所に立っていた。
聖域に行ってからたまに来るあの平原と似ているが、少し違う。
見渡す限り続く草原は枯れ果てて、遠くに見える森も葉が全て落ち木は立ち枯れているようだった。
近くには、巨大な鳥かごが置かれており、中身は緑の羽が数枚散らばっていた。
背後を振り返ると、そこには水晶屋敷があった。以前は確かなかったものだ。
レミィモドキの姿はないが、ここがレミィの心の中だというのならこの景色の変化には不穏な物を感じる。
いつも木の実をもって舞い降りてくる緑の鳥の姿は見ない。
アスウェルは水晶屋敷へと向かっていく
建物の内部はおかしな内装になっていた。
床や天井が毒々しい色使いになっていて、鉱物などの代わりに、よく分からない人体の一部を模した装飾が趣味悪く飾られている。
屋敷の中を歩くが鳥の姿も、レミィモドキも、レミィの姿もない。
「あの子って本当、要領悪いわよね」
「何で、あんな奴がこの屋敷にいるんだろうな」
代わりに耳に聞こえてくるのはレミィの悪口だった。
口を開けば皆、使用人達は皆レミィの事を悪く言って言う。
レンが、アレスが、使用人達が、普段レミィを構い倒している連中がそのような事を口にする光景がそこにはあった。
「レミィは、アイツはどこだ」
「あら、アスウェル様。いらしてたのですか、つまらない事を聞かせてしまって申し訳ありません」
「さっきの言葉は何のつもりだ」
「お客様の前で私語にかまけるなんて使用人失格ですわね。深くお詫び申し上げます」
そう言って深々とお辞儀をするレンを見て、どこか他人行儀な連中を見て、アスウェルは思った。
これは違う。
こいつらは本物ではない。
「ここは、何だ。どういう場所だ」
「どうと申されましても、ボードウィン様の屋敷ですとしか……」
「夢の中の、か?」
「ああ、そういう意味でしたのね。ここはレミィの心の中……
その通りだ。というよりそれしか考えられなかったと言った方が近いが。
「そのレミィモドキさんがおっしゃったように、今アスウェル様はあの子の心と繋がって、心の中を歩いている状態なのです」
「……」
「信じられないというのも無理はありませんわ。どうやら本来の手順を踏んでやってきたようではないようですし、無理に信じてほしいとも思いませんし」
そんな会話をしていると、身の回りの景色が僅かに歪む。
「貴方が前に来られた時とはずいぶん景色が変わられたようですわね。これは何らかの影響によって内部で
「
「ええ、大きな出来事が起きたり、刺激を受けたりすると起きるものです。詳しく言えば他にもありますけれど、大体はそんなところですわね。ちなみにレミィが最近起こした
祭り、というと……この間見に行った風調べの祭りか。
あのはしゃぎっぷりを見れば納得できないこともないが、あの後レミィは……。
「その
「……そうですね、これくらいなら話してもいいでしょう。一時間ほどです」
「……」
祭りの最中にレミィは心境を変化させて心の中で
そして、祭りの最後、花火を見物しに待っている時。
二度目の変遷が起きる。
やはりレミィが倒れたあの瞬間に、やはり何かが起こったのだ。
「何が起こった」
「それは私達からは言えませんわ。わたくしたちはしょせんレミィが作り出した幻ですもの」
そんな風に会話していれば、周囲の景色が今度は薄らいでいく。
「あら、お目覚めの時間ですわ。向こうのレミィによろしくとお伝えくださいな」
勝手に呼んでおいて終わらせるなと言いたかったが、生憎文句を言うだけの時間すらないようだった。
目を覚ましたら、自分の部屋ではなかった。そうだ、レミィの部屋だ。
腕の中で眠っていたはずの少女の姿はない。時間はどれくらい経ったかわからないが、感覚ではそんなに経っていないようにも思える。
外したヘアバンドがなくなっている、また仕事でもしに行ったのか。
今見たものについて深く考えようとすると、ため息がでてきそうになる。
アスウェルが知る限りは、屋敷の本物の使用人たちはレミィに良くしているようだったのに、何かが起きてレミィはあのように考えるようになった。
原因はさっぱり分からないままだ。
アスウェルが屋敷に来て約一か月の時間が経とうとしていた。
レミィの具合は日に日に悪くなるばかりだった。
アスウェルは屋敷を出て、ウンディの町を歩き回る。
目当てはいつか、出会った少年……ライトだ。
禁忌の果実を追っているという組織、ネクトの構成員。
他の人間ではなくわざわざあいつが話しかけてきたという事は、もしかすれば組織の上部に近い人間なのかもしれない。
会えるかどうか分からないが、そいつらの事を信用するなら、レミィの事を悪くはしないはずだ。
そもそも誘拐犯の下に被害者がいる時点でおかしいのだが、目に見えて害を感じていなかったのとあの場所をレミィ自身が必要としていたため、つい放置してしまっていた。
レミィの不調の原因はボードウィンが絡んでいるのかとも考えたが、それにしてはタイミングが腑に落ちない。今になってそうする理由はないように思えるし。
とりあえずもうアスウェルの事情が潮時だ。
事を進めるしかない。
これ以上長引けばこちらの正体に気づかれる可能性が高まり、要らぬ危険を背負い込みかねない。
数日前に出会った金髪の姿を探して町の中を歩いてゆくのだが……。
当たりだったようだ。
アスウェルは幸運の女神とやらに祈った事はないが道端で偶然そいつと出会った時は、存在を信じてやっても良いとは思った。
「おや? 君は確かいつかの……」
「顔を貸せ、人間一人の保護を頼みたい」
使用人全部を受け入れろとはさすがに言えないしそこまでする必要はおそらくないだろう。
レミィと彼らは立場や事情がまるで違うのだから。
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