19 第二部 maturi



 最初に屋敷で不穏な話を聞いた時は、レミィの正体が気になった。危険だと、油断してはならないと思った。


 聖域に迷い込んでクレファンと会った時は、驚いた。そんな過去を持っていると知らなかったからだ。その出来事がなければレミィの事を疑ったっままでいたかもしれない。


 クルオに言い返した時は、不覚にも嬉しいと感じてしまった。

 否定ばかりされてきた自分の人生を肯定してくれた奴は、レミィだけだったからだ。


 ピアノの演奏を聞いたときは、夢を語った少女の未来を想像した。そうなればいいとは少しは思ったからだ。


 人形を贈った翌朝はやかましかった。使用人たちに自慢してまわっていたのを知った時は、いい加減にしろと思いながら、その喜び様を見るのも悪くはなかった。後に彼女は本当は人形は好きではないという話を使用人から聞いた時は少し後悔した。それでも、俺の贈り物を大事にしてるようだったのが、助かったと思った。


 こんな風に日々を過ごしていると復讐に生きた日々が嘘のように思える。

 ずっとこうして穏やかに暮らしてきた。そんな錯覚さえ、この頃は抱きつつある。そんなはずはないと分かっているのに。





 1月16日。


 レミィの誕生日会の翌日。

 拾われたというのなら誕生日など分からないはずだが、レミィの誕生日はこの屋敷で使用人として働く事が決まった日になっているようだった。


 その日はウンディの町の名物である風調べの祭りの日だった。

 仕事を早めに終わらせたレミィは、当然のようにアスウェルを連れて(というより他の人間からはアスウェルがレミィを連れているように見えるだろうが)祭りの行われている高台へと引っ張っていった。レミィは横ですっかり素の調子に戻って、馬鹿みたいにはしゃぎながら店を見て周っている。


「あ、アスウェルさん。あんなに大きな林檎飴が売ってますよ! 食べきれるんでしょうか。あっちには射的屋さんがあります。いいなあ」

 

 屋台を制覇するような勢いでひたすら周る。

 こういう時は普段使わない財布の紐も緩むようだ。

 無計画に使いそうになるのを窘める。


 屋台の人間からはお転婆な妹をもった苦労性の兄にでも見えるのか、アスウェルが近くによると何故か食べ物だの品物だのをおまけされた。


「あむぅ……、おいひぃれす、あむ」

「食べるか喋るかどっちかにしろ」


 太るぞ。いくつ食べる気だ。


 その後で射的屋に参加した時は、思わぬ成績を叩き出した。ゲーセンがどうのこうのとやっている最中に口走っていたが、無意識だったようで意味は分かっていないようだった。


 それで、新記録のスコアを叩き出すのだが、どう考えても物理的に取れないだろう……自分の見た丈とほぼ同じくらいの大きなクマのぬいぐるみを取ってしまい、扱いに困る事になった時は計画性の甘さにため息がでた。


 レミィはヌイグルミを抱えるようにして、横で歩いている。

 傍から見れば少女がヌイグルミを抱えているのではなく、ヌイグルミが少女を抱えている様にも見えなくはない絵だ。


 そうしてアスウェル達は、もうすぐ打ち上がるという花火を見るために高台の見晴らしのいい場所へと移動していった。

 時間はせまっているようで、周囲は見物客でごった返していた。

 数メートル先には手すりがあるらしいが、見えるのは人の背中だけの有様だった。

 とてもあそこまではたどりつけないだろう。


 残念そうにするレミィを抱えて持ち上げてからかったら、怒られた。

 今は地面に立ってそれで、満足している。


「楽しいです。お祭り、すごく楽しいです。アスウェルさんは楽しいですか」

「人混みが邪魔臭くてかなわん」

「お祭りなんですから。そこがいいんじゃないですか」


 人ごみの中を移動してきた苦労が思い起こされる。レミィはこういう賑やかな場所が好きらしい。後は分かっていたが祭りやイベント事なども。


「一年前も楽しかったと思いますけど、よく覚えていないんですよね。あの時は拾われたばかりで記憶もなくて混乱してましたから。でも今年はとっても楽しいです。アスウェルさん、ありがとうございます!」

「楽しかったか……」

「はい、とっても。アスウェルさんにはお世話になりっぱなしです。お誕生日の時とかも、人形をくれて本当に本当に嬉しかったです。私、こんな風に毎日を過ごせるのがまだ信じられないくらいで……。ちょっと怖いくらいです。また、なくなってしまったらどうしようって思うと、楽しい分だけすごく不安で」

「……」


 話しながら、すでに集まっている人の向こう。

 暗闇が満ちる空へとレミィは視線を向ける。


「前の私はどうして記憶を失くしてしまったんでしょう。研究者だったらしいお父さんとお母さんが殺されてしまって、それが原因なんじゃないかって思うんですけど、よく分からなくて。思い出したい、だけど今は知るのが怖いんです……。私がもし、表を歩けないような人間だったら……。本当はひどい人間だったら……。だって、私、戦う事もできますし、武器だって使えちゃいますし」

「レミィ・ラビラトリ」


 段々と早口になっていく少女に向けて、アスウェルは名前を呼んだ。

 今の少女にとって、それはとても大切な言葉だと思えた。


「お前はお前だ。やかましくて、そそっかしくて、世話をしてやらないと余計な手間がかかる、それがお前だ」

「アスウェルさん……。ありがとうございます。でも私、普段はちゃんとしてますよ」


 泣きそうな、それでいて、嬉しそうな顔を見せるレミィ。

 その少女を、打ちあがった花火の光が照らした。


「わぁ、凄いです。綺麗です!」


 視線を夜空に向けると光の花が無数に咲き誇る所だった。

 これが花火か。地元にはなかった。

 各地を旅するようになっても、祭り事に興味がなかった為見る事がなかったのだ。

 アスウェルが初めて見る花火は夜空を彩るにふさわしい装飾だった。


「……アスウェルさん、ありがとう。だいすき……」


 近くから聞こえてきた小さな声。

 普通なら、聞こえてないふりをする所だろうが、生憎アスウェルはそこまで性格が良くない。


 お子様がむやみに人に言うな。

 よもや、他の人間にもそう言っているのではないかと心若干配になったアスウェルが、昔妹にしていたように注意しようとした所で。


「……ぁ」


 レミィが抱えていた大きなぬいぐるみを落とした。


「ぅ……」


 小さな少女は体を折り曲げてその場へ崩れ落ちる……その寸前でアスウェルが支えた。


「レミィ……?」

「ぅ……ぅ……、あぁ……っ」


 小さな体が強張って、小刻みに震える。

 レミィはアスウェルの腕の中で、苦しみもがいていた。


「しっかしろ!」

「――っ! うぅぅ……っ」


 さっきまで普通だったのに、原因が分からない。

 細い腕でアスウェルの体にしがみつくレミィは、どこからそんな力を出しているのかと思うほどだ。

 華奢な指が服を強く握りしめる。


 そして、


「――っ!!」


 声にならない悲鳴を上げた後、レミィは気を失った。


「……くっ」


 アスウェルはレミィを抱えて、その場から走る。

 早急に医者に見せる必要があった。





 町の医者に駆け込んだ後、診察を受けたレミィは屋敷へと運ばれた。

 言い渡された言葉は、「異常は無し」だ。

 突然倒れた原因が分からなかった。

 医務室で屋敷かかりつけの医師ライズが、難しい表情を見せる。


「考えられる可能性は過労か、ストレスか……それくらいしかありません。調べてみましたが、さっぱりでお手上げですよ」

「そうか」

「とりあえず、疲労回復に効くお薬を彼女の為に調合しておきます。力になれず申し訳ありません。彼女の体調の変化には一番にかかりつけ医である私が気づかなければならないというのに」

「……」


 原因が分からなければ対処の使用がない。

 尋常ではない様子で倒れた少女は、大丈夫なのだろうか。


 アスウェルは、カーテンで仕切られた個人の空間へと踏み入れる。

 ベッドの上で眠るレミィは何かにうなされているようだった。


「……お父さん、お母さん……」


 瞼の隙間から透明な雫が零れ落ちる。

 レミィは泣いていた。

 過去の夢でも見ているのだろうか。


 その姿が、家族を失ったばかり頃の在りし日の自分と重なる。

 あの頃はよく悪夢を見た。


 アスウェルは、そっと檸檬色の髪をなでた。

 それが、目を覚ます刺激となったようだ。


「……」


 目を開く。

 けれど、その瞳はすぐ傍にいるアスウェルを見つめる事もなく、ただぼんやりと天井を移すだけだった。


「起こしたか……」

「……」


 話しかけるが反応が返ってこない。


 アスウェルは身を乗り出して、頬に手を当て瞳を覗き込む。


「おい、返事をしろ」


 光のない瞳は、何も移していないようで。

 確かに起きているはずなのに、意思のない抜け殻のように思えてくる。 


「レミィ・ラビラトリ」

「……だ、……れ……?」


 名前を呼びかければやっと視線が動いて目が合った。


「俺の事を忘れるな」


 妙な焦りを抱きつつ、まさか本当に忘れてしまったのではと思いかけた頃、レミィの瞳に光が戻って来た。


「……アスウェルさん?」

「あれだけやかましくしておいて、勝手に忘れられたらそれこそいい迷惑だ」


 レミィは、身をゆっくりを起こす。

 それでもしばらく見つけていたら、


「あの、私の顔に何かついてますか」


 レミィに身を退かれた。

 ついている。呑気そうでのほほんとした間抜けな顔がな。

 アスウェルは近づけていた顔を離した。


 ぼんやりとした少女はとりあえずは、どこもおかしいところはないようだった。

 さっきのは……寝ぼけていた、のだろうか。


 とにかく昨日の夜の事を説明しておく。

 レミィは近くの台に置かれているヌイグルミに気が付いた。そこまで気を回している余裕はなかったので、あの後拾った誰かが届けにきたのだ。


「すみません。迷惑かけちゃって。ヌイグルミを届けてくれた人にもお礼を言わなくちゃいけませんね」

「夢を見ていたのか?」

「たぶん。思い出せませんけど、すごく悲しい夢だったと思います」

「そうか」


 レミィは先程まで胸元にかけられていた布団の裾を強く握りしめた。

 瞳の光が心にをしめるように揺れていた。


「アスウェルさん。アスウェルさんは用事が済んだら屋敷からいなくなっちゃうんですよね」

「……」

「いつなんですか。いついなくなっちゃうんですか」

「俺は……」


 いなくならないで、と。

 レミィの瞳は告げていた。


 ここでレミィの望む答えを言う事は、今まで生きてきた自分の指針を曲げると言う事だ。

 アスウェルにはそんな事は出来ない。


「……ごめんなさい。私、アスウェルさんの事情を考えもせずに」


 それきり、無言の空気が満ちる。

 そんな空気は他の使用人達が見舞いに来るまで続いた。



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