14 第二部 聖域
気が付いたら、まったく別の場所に立っていた。
最近も同じような事があったと思い出す。
意識を失ったら別の場所に移動してしまう呪いでもかけられているのか。
周囲を見回す。
静謐な空気という物が存在するとは思わなかったが、そこはそんな言葉が違和感なく思い浮かぶような場所だった。
そこは、等間隔に白い柱が並んだ通路だ。
前と、そして背後を見るが、通路は果てしなく続いていて終わりが見えない。
巻き戻りした時を思い返せば、似たような場所にいた。あの場所はこことは違って、陰鬱そうな見た目だったが。
周囲を見回してみるが、あの時舞い降りた鳥は現れない。
仕方なくゆっくりと前へ……立っていた時に向いていた方へと、歩き出す。
柱を一つ一つ通り過ぎていくごとに、心の中にある黒くて淀んだ塊が一つずつはがれていくような気がした。
やがて歩いた先、通路が途切れた場所は空の中だった。
正確に言えば空に浮かんだどこかの場所、だ。
花が咲き乱れ、水が流れる水路が張り巡らされている。
庭園だ。
噴水や、ちょっとした日よけの屋根の下にはベンチも置いてある。
そこは美に疎い方だと自称しているアスウェルでさえも、美しい場所だと間違いなく言える庭だった。
「にゃーっ」
その水路を、何故か浮き輪をつけ、背に羽を生やしたネコが流れてきたので、回収してやる。
レミィが海でネコと喋っていたみたいな事を言っていたような気がするが、これだろうか。
同じネコとは限らないが顔つきをみて何となくそんな気がした。
のんきそうな顔だ。
虎模様をしている。
「にゃっ!」
ネコはアスウェルの手から逃れた後、宙に浮かんでどこかへと進んで行く。
空に浮かぶ美しい庭で浮き輪と羽をつけたネコが空中に浮かんでいる。現実とは思えない光景だ。
思わず正気を疑ったが、それでアスウェルが目覚めてベッドの上で夢をみていたと言うオチにはならなかった。
ネコを追って行くと、その先には寝台があり、そこでレミィが眠っていた。
いつもみたいなのんきな寝顔ではない。
ただこんこんと深く眠りについている、そんな様子だ。
「起こさないであげてください、レミィさんは今治療を受けている最中ですから」
手を伸ばして触れようとすると、声をかけられた。
声の主の方を見る。そこにいたのは、妹にそっくりの顔をした女だった。
正確には、おそらく生きて成長していたらそうだったろう姿、だが。
「お前は……」
「「「妹は死んだはずだ。生きているわけがない。なぜなら禁忌の果実に実験台にされて、アスウェルが見つけた時には死んでいたのだから」」」
違う。
そんな事は知らない。
まだ、そうと決まったわけじゃない。
あいつは生きているかもしれない。
だから俺は、復讐と共に捜していたのだ。
「何者だ」
しかし、女性は問いに答えない。
レミィの方を心配そうに見つめる。
「彼女は今までとても辛い目にあってきて、心を砕かれてしまいました。そこでこの聖域で砕かれた心を修復する為、治療を行っているのです」
「聖域で治療だと、こいつが?」
ここが聖域だと言われたことについても驚いているというのに、そこが治療を行う場所だとは。
そもそも聖域は限られた者……一部の貴族しか入れない神聖な場所ではなかったのか。
間違っても一使用人が入れるような場所ではないはずだ。
「選ばれた者だけが入る事ができるなどというのはまやかしです。ここは、気づいたものなら誰でも入る事のできる開かれた場所ですよ」
ならばアスウェルの知っている事は貴族共が自分達の立場を上に上げるために広めたでまかせだったのか。
「無論、ここに来るのに、条件はいくつかありますがね」
人にあまり触れられてない汚れや穢れの少ない水、そして夕方から深夜の時間帯である事。
それに加えて、もう一つ理由があるらしい。
「聖域の主はお前か」
聖域だと信じたわけではないが、そうでもしなければ話が進まないだろう。
アスウェルは目の前の女へと問う。
この世界の創造主たる神。
聖域とは神が作る神聖な場所のはずだ。
嘘やごまかしなら、会話をしながら探って行けばいい。
「私はただ力が強いだけの生き物です。神であるなどとは、そのような事は勝手に人々が述べているにすぎません……。そろそろ終わりますね」
女性はレミィへと視線を移す。
「ん……」
レミィは目を開けて周囲を見回したあと、アスウェル達に気づく。
「あ、クレファンさんおはようございます。あれ、どうしてアスウェルさんがここにいるんですか?」
お前に巻き込まれたせいだ。
それと寝ぼけるな。もうすぐ日は暮れる。
「驚きましたよ、レミィ。久しぶりの訪問かと思ったら溺れていたんですから」
「う……、すみません。つい海が楽しくて。はっ、ムラネコさんはっ」
「にゃー」
「無事で良かったですーっ」
感動の対面を果たしている少女と猫は置いておいて、アスウェルは重要な事を尋ねる。
「俺の妹の名前はクレファンだ。お前は俺の妹の姿と似ている、どういう事だ」
「それは、貴方達に縁のある人間の姿を仮の姿として代用しているだけです。神様ではありませんが、私の立場ゆえ、人の前にそのまま姿を見せるのは問題がありますので」
アスウェルは、レミィを見る。
レミィはその視線の意味が分からず首を傾げた。
無駄だったので、クレファンに尋ねる事にする。
「俺達に、か?」
「ええ。レミィ、少しこの方とお話があるので、どこかで遊んできてくださいませんか」
「お話ですか。分かりました」
レミィと猫一匹を遠ざけた後に、クレファンは話を続ける。
庭園の噴水あたりではしゃぐ声が消えてくるが意識からシャットアウトして、話に集中する。
「貴方はアスウェル、と言いましたね。端的に言えばレミィは、アスウェルの追っている組織、禁忌の果実の被害者です」
「アイツが被害者だと」
禁忌の果実。
もしかしてレミィはクレファンと会った事があるのか。
「いいえ、私の姿を見た事は詳しくは覚えていないでしょう。あったとしても彼女にとっては特別な物ではない景色の一部だったはずですから」
非常時に人の顔など覚えていられないというわけか。だが、
「なぜそうもあいつの事情を詳しく知っている」
「聖域の主ですので。お見通しということです」
睨みつけるが話す意思はないようだった。
それともそのままの意味という事なのか。
他の事について進めるしかない。
「あいつが禁忌の果実の被害者……」
能天気にネコと遊びまわっている少女を見つめる。
つい数日までの人格とまったく違う、その性格にアスウェルは眉を顰めたくなる。
「彼らの実験によって治療が必要になったレミィは、アレイスターという魔術師に保護されたのですが。その傷は、想像以上に深かったのです。アレイスターにより、聖域へ運ばれてきた時、私は驚きました。一刻も早く治療を行わなければ取り返しのつかない事になる、と、そう思ったくらいで」
「奴らの手にかかって生きのびたものなど、俺は知らない」
長年連中を追って来たアスウェルだから言える事だ。
連中に攫われて戻って来た生存者など、聞いた事も見た事もない。
唯一関わって生きていたアスウェルは例外として。
だから、クレファンの言葉を信用しきれない。
と、アスウェルはそう正直に述べる。
「レミィは特殊なのです。禁忌の果実の手に落ちる前にも、色々とありましたから。魔人、という言葉をご存知ですか?」
知っている、この世界で迫害にあっている人間だ。
普通の人間には使えない力を使う彼らは、奴隷契約というものを結ばされ、過酷な環境の下で働かされているのだ。
「レミィは、以前その奴隷契約をしていました」
「そうか」
それについては証明代わりに内容を聞くほど、アスウェルは非常な人間ではない。
「彼女は元々は人間でした。そして人間の時に無理やり魔人に行う契約を結ばされたのです。その後で、禁忌の果実の実験により魔人になってしまったのですよ。生きのびたというのなら、おそらくその特殊性が理由でしょう」
人間が奴隷契約を?
いや、それよりも……人間が魔人になる?
奴らの行っている
「「「町の人間の狂想化は禁忌の果実の仕業だった」」」
町で人間が暴れ出すのも、そんな現象が起こるのも、奴らが仕組んだせいで……。人間を強制的に魔人にさせようとして、実験台に……。
いや、そんな事俺は……。
知らないはずなのに。
一つ息をつく。
一度に衝撃的な事実を取り込み過ぎて混乱しているのだろう。
そんなアスウェルの前、クレファンは手を差し出す。
その手の上に、小さな透明な石が出現した。
「
「他を当たれ」
お守りまで引き受けるつもりはない、とその言葉を拒絶する。
しかし、クレファンは石を差し出したままだ。
「貴方でなければならないのです。一度レミィが信じた貴方でなければ。受け取るだけでもしてはもらえませんか?」
そこまでの事をした覚えはないし、アスウェルはレミィに嫌われているはずだ。
しかし、クレファンが梃子でも動かなそうな様子を見て、アスウェルは仕方なく動く。
「ありがとうございます。レミィをお願いしますね」
お願いされてやる義理はなどない。
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