第10話 幽遠
「やいキリシマや。真昼間っから惰眠を貪る暇があるのなら。おまえ、隣町へちょいと一走り、使いに行ってはくれんかの」
時は2120年。
場は東の海に浮かぶ島国。
サムライの血を継ぐ『キリシマ・エンカ』十八の夏である。
強い日差しが世界を照り付ける。
キモノを汗で着崩したまま、耳をつんざく様な蝉の合唱を聞き流し、縁側に横になっていたキリシマは、父『キリヤマ・エンカ』から使いを頼まれた。
「なんだ親父。まあた爺の薬か?」
「うむ。当代無敵で名を馳せた先代『キリウタ・エンカ』とて、もはや六十の晩年。父上も人である以上、齢には勝てぬと言ったところよ」
エンカ家は戦国と呼ばれていた時代より、代々受け継いだサムライの家系である。
古くは国の為に刀刃を振るった歴史があるが、この泰平の世に至ってより、街の幼き子供達への指南を中心として、精神を鍛えんとする輩、はたまた武芸に生きる者に剣の道を嗜ませる道場を営んでいた。
キリシマも例外ではなく、物心つく前には両手に豆を作らされ、以降、今に至るまで、父キリヤマと、祖父キリウタの厳たる指導を受けてきた。
幼くして母を亡くしたキリシマは、その仕儀もあり、道場生はおろか、他流試合にて交流を計る際にも、次第に相手を減らしていった。
キリシマの持って生まれた武才と、潜り抜けてきた艱難辛苦は、キリシマの刀を単一で至高なる極地へと磨き上げていたのである。
だが、当のキリシマはと言うと、磨き上げるだけの体貌に、心底興を削がれていた。
如何に研ぎ澄まされようが、その抜き身を人に当てれば即御用となるこの時代。
キリシマの眼睛に剣術とは、居間に飾られた高価なる掛け軸の様に、威光を醸し出すだけの下らないものとして映っていた。
祖父のキリウタにしても、古くは幕府に仕え動乱の世に名を残したと聞くも、この田舎町に根を生やしている今の現状に、狡兎死して走狗烹られたのではとさえ勘繰るようになっていた。
恩こそあれ、祖父の一振りに崇敬は出来なかったのだ。
そんな祖父も、キリシマの体が出来るにつれ床に就きがちになる。
もはや、一日の大半を枕に頭を付けて過ごすその謂われは、やはり、齢により抗えぬ病魔であった。
「なあ親父、いつもの薬でいいんだな?」
「ああ。……ほれ、これを持っていけ」
キリウタは懐から取り出した一つの麻袋を、依然横たわるキリシマに放り投げた。
キリシマはそれを受け取るも、その重さに一抹の違和感を抱く。
エンカ家が根を伸ばすこの田舎町には、医者と呼べる存在がいなかった。
故に、祖父の薬を購求しに、ここよりいくらかは栄えている隣町までキリシマが走らされる事は珍しくはなかったのである。
キリシマは身を起こし、麻袋を開けると中を覗く。
「どうした親父。どうやらいつもより多いみたいだが」
「なに、キリシマ。残りは駄賃として受け取っておけ。この暑さだ。氷菓子の一つでも買うといいだろう」
「なんだ? 今日はやけに気前がいいじゃねえか。何かいい事でもあったのか?」
「なあに。儂とて偶には親らしい事もする。そう優曇華の花でも見つけたような目で見るな」
「後で返せと言ってもなにもでてこんぞ」
「心配するな息子よ。武士の言葉に二言は無い」
キリヤマはいつもそう言って、子供をあやす様にキリシマに笑顔を向ける。
チェッっと舌を鳴らし、キリシマは草履に足を通した。
*** *** ***
隣町で薬を買い終えたキリシマは、色香を醸し出しながら道行く乙女たち全員に声をかけるも、その全てに脈の一筋も見いだせなかった事に失意し、目についた一軒の茶店に腰を下ろした。
いつもなら直帰するところ、今日のキリシマは一味違う。
金があるのだ。
店に入ったキリシマを見つけると、盆に毛茸を浮かせた湯呑を乗せ、若娘がやってきた。
「いらっしゃいお客さん。なんにする?」
「そうだな、とりあえず くず餅をくれ。——おお! それよか、あんた偉い別嬪だな」
「後ろ手に結った長髪、着崩したおべべに女手の早さ。あんた、もしかしてエンカさん家の一人息子だね?」
「なんだ姉ちゃん。俺の事を知っているのか?」
「当然、あんたはこの街じゃあ有名さね。——誰彼構わず手を出すぼんぼんの馬鹿息子、ってね」
「なんだ!? そんな事誰が言い出しやがった!?」
キリヤマに嫁いできたキリシマの実母『カオル・エンカ』を、流行り病により、若くして亡くしたエンカ家には女手が無かった。
幼少期より剣術の修行に明け暮れ、女子との交流が無かったキリシマがその反動で女好きに転じてしまったのは致し方のない事ではあったが、声を掛けられた町娘にとっては知った話ではない。
何時しかキリシマは、隣町から訪れる度に見境なしに女を口説く、エンカ家きっての垂らしものとして、この街ではちょいとした噂がたっていた。
先程のキリシマの健闘にも、町娘が靡かなかったのも無理からぬ話ではあった。
「あんた、あんまり家名に泥を塗る様な事をするんじゃないよ」
「いいんだよ。あの道場も親父の代で打ち切りさ」
「やだね。なあに冗談言ってんだよ。ほら、お詫びにくず餅一個付けとくから元気だしない!」
この国にエンカ家ありと謳われたキリウタの時代。
だが、気付かぬうちにも月日は流れた。
いつしか達人と言われた男は一介の老人となり、いつしか他国からは銃火器などの近代兵器がなだれ込み、いつしか刀は時代遅れと揶揄される様になった。
キリシマの吐いたその一声は、冗談でも自虐でもなく、自身の本音からの屹度だった。
「あんた、いい女だな」
「お生憎。うちは子持ちだよ」
キリシマが肩を落とすと、淡い恋心と同様に、くず餅の上の、黒蜜にのせられたきな粉が、ふわりと机に散らばった。
*** *** ***
すっかり茶店に長居したキリシマが帰路についたのは、当に日が暮れ、あれだけ五月蠅かった蝉の泣き声がすっかり聞こえなくなった時分である。
暗い夜道をひた走り、十八年間を過ごした我が家が視界に入った時、キリシマは一人の男と出くわした。
薄暗い中に次第に顔が浮かびあがり、発せられたその声で確信を持つ。
「キリシマか。どこで道草を食っていた。待ちくたびれたぞ」
「親父? なんだよ、それ……?」
道場の前に佇んでいた男はキリシマの父、キリヤマだった。
その腰には刀をぶら下げてある。
普段見ない父の帯刀姿。
いや、それよりも——
「何だよ親父!? まさか、人を斬ったのか!?」
——キリヤマの纏う着物は返り血で真っ赤に染まっていたのである。
「キリシマ。儂は国を出る。もう、ここへは戻らない」
「何言ってんだよ? 何言ってんだよ! 親父!」
「儂が憎けばお前も後を追ってこい。その刀に定見を宿した時、儂はおまえの前に再び訪れる。二進も三進も無く、今のおまえには斬る価値もない」
キリヤマはそう言い残し、背を向けると、キリシマの目の前から立ち去ろうとした。
予測はついていた。
だが信じたくなかった。
否定したかった。
して欲しかった。
故にキリシマは、尋ねざるを得なかった。
「待て親父! 一体誰を斬ったんだ!?」
歩みを止め、振りかえりもせずキリヤマは言い残す。
「なあに。死にぞこないの老人を一人」
その言葉を聞いたキリシマは家に向けて走り出した。
向かうは祖父、キリウタが眠る寝室だ。
戸を開け、家に入ると廊下を進む。
飛び散った血に染まった障子を開けると、そこには横たわるキリウタの姿があった。
「おい、爺!!」
腹から血を流す祖父の肩を、キリシマは抱いた。
幼き頃は何よりも恐れたが、今はあまりに軽いその体。
消え入りそうな、蚊ほどの虫の息で、キリウタは目を開ける。
「……キリシマか……?」
「おい爺! なにがあった!? 待ってろ! 今医者に連れていく!!」
キリウタを抱き上げようとしたキリシマであったが、それは細い腕で拒まれる。
数多の修羅場を潜った伝説のサムライは、自身に残された時が残りわずかであるとすでに察していた。
「なにしてんだよ爺!」
「聞け、キリシマ……、キリウタ・エンカの最後の庶幾を……」
「最後ってなんだよ!? 何諦めてんだ!? あんた英傑なんだろ? こんな事くらいでくたばんじゃねえよ!!」
キリウタは手に持っていた刀をキリシマに差し出す。
それはエンカ家に代々受け継がれる家宝二刀の内の、一振り。
キリヤマの腰に掲げられた真打に双する『アメノムラクモノツルギ』であった。
「キリシマ、お前はこれを持ってして奴を追え……いつか……おまえは……奴を——」
「おい爺! 死ぬな! 死ぬんじゃねえ!」
キリシマは祖父の体を揺らし続け、名を呼び続けた。
だが、返事が返ってくることは二度となかった。
十八の夏、キリシマは家族を失った。
*** *** ***
「なんで、親父がここに……?」
グラミーにある留置所。
キリシマがそこで再開したのは実の父、キリヤマ・エンカに間違いなかった。
あの夏。
家族を失った夏。
キリシマは居場所を失くし、グラミーに渡った。
突如消えた父を探し、己の腕を磨き続けてきた。
何時の日か、父と対峙すると予感していたからだ。
「あの、キリシマさんのお父さんなんですか?」
「キリシマ、こいつは――」
ハーディが言いかけた先が、キリシマには手に取る様にわかった。
こいつは――
敵なのか、味方なのか。
無論キリシマも知る由もない。
唐突に消息を絶った父。
それが急に目の前に現れたのだ。
だが、それはハーディもキャリーにも話した事がなかった。
故に混乱しているのだろう。
キリシマと血を同じくしたこの男が、敵であるか、味方であるのかを。
「抜かぬのか。キリシマ」
キリヤマは以前行動をとらないキリシマに慈愛をかけた。
だが、その一言はキリシマの淡い期待を裏切るには十分すぎた。
「ハーディ。キャリーちゃん。俺が隙を作る。お前らはその内に逃げろ!」
キリシマは腰を落とし、刀を構えた。
「逃げろって何言ってるんですか! キリシマさん!」
狼狽えるキャリーとは裏腹にハーディは感じていた。
この目の前に立つ男。
キリシマの父を名乗る男。
あまりにも格が違い過ぎると。
ガストロ、ビズキット、エルビス。
様々な強者と対峙してきたハーディが脳裏に抱いたのは、レクイエム三人の要注意人物を、一人で屠るこの男のイメージだった。
「キリシマ、てめぇ一人じゃ無理だ!」
ハーディは両銃を構える。
せめてキリシマの援護をしようとしたのだ。
倒すことは敵わなくても、隙を作る事は出来るかもしれない。
そこを突いて三人で唯一の脱出路へと走り抜ける。
おおよそ作戦とは言えないその突貫戦術は、唯一、助かる道だった。
しかし、その淡い期待はあっさりと消え去る。
階段から聞こえてきた無数の足音。
武器を手に取り、歩いてきたその腕には、しっかりと腕途刑がつけられていた。
「第三世代か!」
ハーディは引き金を引き、その見習いの一人に弾丸を撃ち込んだ。
見習いは避ける暇もなくそれを胸に受けた。
が、倒れない。
避ける暇が無かったことは事実。
だが、それ以前に避ける必要すらなかったのである。
「嘘……だろ……?」
彼らは仮の、ビズキットの遺伝子を埋め込まれた別卵性クローン達。
ハーディの放った弾丸は命を奪うどころか、傷一つ与えられなかったのである。
それを見たキリシマは腰から刀を引き抜き、地に落とした。
こうして三人はキリヤマ、そして控える兵に投降したのである。
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