第9話 緑油

「キャリー。次はどっちだ」

「えっと! あの、あそこの明かりがついているとこ、左です!」


 キャリー、ハーディ、キリシマの三人は、シシーから渡された地図に、留置所までの経路をイカルガに書かせると、そのまま下水道を走り出していた。

 下水道には未だ、ちらほらとセルゲイが配置した兵がうろついてはいたが、放送局を逃げ出した時に比べれば、その数は大分減ったように見える。

 三人はなるべく兵に気付かれないように、パルマとエウロアを救いに、細心の注意を払いながらも、留置所へと先を急いでいたのである。

 足音が止まる。


「着きました! あの、この梯子です!」


 キャリーが指さした梯子は、ひどく錆びていて、長くそれが使われていない事を想像させるには容易かった。

 三人が一度に昇ったら梯子が折れるかもしれないと、まずはハーディが、上から垂れた梯子を進んでいく。

 梯子の終点は、捕らえられた囚人たちの脱走を危惧し、さすがに留置所内とはいかず、留置所に隣接する裁判所の非常口へと続いていた。

 先に昇ったハーディが梯子を登り切り、これまた錆びついた鉄製の非常用扉をわずかに開ける。

 どうやら誰もいないようだった。

 もしかしたらグラミー、及び地下道に兵を配置し、主要施設の警備が手薄になっているのかもしれない。

 ハーディは安全を確認すると、下で待っていた二人に手を振り、合図を送った。


「キャリーちゃん。先行け」


 キリシマがそう言うと、キャリーはコクリと頷く。

 梯子を一段、また一段と昇って行き、ハーディの元へ。

 続いてキリシマも梯子を登り切った。


「キャリー、ここからは?」


 キャリーは手に握っていた地図を広げてハーディに見せた。

 イカルガが引いたマーカーを、指でなぞる様に二人に説明する。


「あの、今私達がいるのがここです。この通路を辿って……、ここに裁判所の裏口があるので、そこから一度外に出ます。恐らくこのスペースは駐車場ですね」


 裁判所への侵入に成功しても、まさか正面口から正々堂々と出るわけにはいかなかった。

 さすがにそこの警備は解いていないと推測されるからだ。

 ハーディとキリシマの二人がいれば、あるいは強行突破は出来たのかもしれない。

 しかし、やはり敵に見つかると、グラミーに配置されていた兵に連絡が回る事は避けられないだろう。

 更に留置所が裁判所と隣接するその反対には、警察署があるのである。

 罪人を警察が捕らえ、拘留し、そのまま判決を受けさせる。

 三つ並んだ公共機関は、如何にも合理主義らしいグラミーを象徴している様だった。

 とにかく、敵に見つかる事は避けたい。

 そこでイカルガとキャリーが目を付けたのが、今キャリーが指を指した職員用の裏口の存在である。


「なるほど。裏口か。それより、外に出ても平気なのか?」


 キャリーは首を横に振った。


「あの、わかりません。この駐車場に人がいるかもしれないし、もしかしたら運よく誰もいないかも……。でも、この経路以外に留置所への侵入経路がないんです」


 その地図は、シシーが独自に調査、そして時には、構造を予測、推測し、地下道の隅から隅までを完璧に再現させて見せた。

 更に、普段地下道を利用するイカルガが、最新の情報を元に手を加えてある。

 だがやはり、留置所に直接つながる経路は無く、また隣接する裁判所も、直接留置所に併合されているわけではなかった。

 つまり、下水道で行ける一番近い脱出口、裁判所へと侵入し、一度そこを抜け出してから、今度は留置所へと忍び込む事となる。

 確かに、裁判所よりも安全な出口はあったかもしれないが、三人は報道される程の指名手配犯である。

 外を出歩き、顔を晒す事を避けたのだ。


「それで、その留置所にはどう入り込む。キャリー」


 ここからは地図に載っておらず、一度留置所に捕らえられたキャリーの記憶を頼りに進む。


「留置所には、捕らえた囚人を入れておく牢屋があります。あの、そこには、大体、高さ二メートルくらいでしょうか。窓が設けてあったんです」


 キャリーがオレンジと共に留置所に監禁されていた時、そこには、確かに外から明かりを取り入れる、格子窓があった。

 決して大きくはないが、人ひとりくらいなら通れるだろうとキャリーは予測していたのだ。


「勿論。ただの格子窓ではありません。あの、そこには鉄の、かなり太目な鉄棒が埋め込まれていました」


 囚人の脱走を防止する為、当然の配慮である。


「キャリーちゃん。じゃあ、どうやって入るんだ?」

「何言ってるんですかキリシマさん。あの、キリシマさんの出番ですよ」


 キャリーは、レクイエムから脱出した後、強固な腕途刑を斬ったキリシマの腕を信じていた。


「斬れない物、ないんですよね?」

「なるほどな。できるか? キリシマ」


 キリシマは任せとけ、と言わんばかりに鞘を掴んで笑って見せた。


「あの、じゃあ。行きましょう。ハーディさん。キリシマさん」


 二人は黙って頷く。

 非常口から屋内に入ると、そこは予定通り裁判所だった。

 敷き詰められた赤いカーペット。

 天井に施された煌びやかな照明。

 随所に存在する芸術的な彫刻や絵画。

 まるで、貴族の邸宅を想像させるそれらは、グラミーの持つ権力を、ありありと主張している様だった。

 内部には、職員か、あるいは警備兵なのか、歩き回るスーツ姿の男たちがいたが、それに悟られないようにハーディは死角を伝っていき、キリシマとハーディが後に続いた。

 三人は裏口に到着する。


「ここから外です」

「わかってる。走り抜けるぞ」


 三人はそれぞれ一様に、地図を頭に記憶し、経路を確認した。

 ハーディが戸を開けると、久しく堪能していなかった太陽の光が差し込む。

 それと同時に三人は走り出した。

 通りには一般人が歩いてる様子も見えたが、都合よく、そこには誰もいなかった。

 留置所まで三百メートル。

 キャリーは無我夢中で二人の背中を追った。

 予定していた通り、留置所の外壁まで辿り着くと、三人は植木の陰に身を潜める。


「あの! あそこです!」


 キャリーが指さす先を二人は見上げた。

 外壁の一部、そこには、格子窓が設けられている。

 ハーディは壁に両手をついた。


「やれ、キリシマ!」


 キリシマは刀を右に構えると、左手でそれを持ち、力を込め、流れるように腰を落とした。

 ハーディの背を足蹴に高く飛びあがると、抜刀し、再び鞘に納める。

 それを確認するや否や、今度はハーディが飛び上がり、素早く格子を一本一本つかみ取った。

 斬れた格子が落ちて、落下音で気付かれる事を危惧しての配慮である。

 両者が再び地に足を付けた時には、侵入口は完成していた。


「キャリー」

「キャリーちゃん」


 二人が手を差し伸べる。

 キャリーはその手に両足を乗せ、二人に高く放られ、そのまま窓の淵を掴んだ。

 ねじのぼり中を確認する。

 そこは、以前キャリーが囚われていた牢屋に間違いない。

 四隅まで確認するが誰もいないようだった。

 幸いなことに、どうやら牢の鍵も開けっ放しになっている。

 キャリーはそれを確認すると、ずるずると中へと消えていった。

 外からその様子を見ていた二人は目配せし、キリシマが飛び上がりキャリーに続く。

 ハーディもその後を追った。


 内部に侵入した三人は、警戒しながら通路に出る。

 キャリーの案内の元、地下へと繋がる階段に行き当たった。


「あの、この先です」


 階段を落ちるように下る三人。

 そこには幽閉される多くの囚人が、いるはずだった。


「そ、そんな! どうして……?」

「チッ。一足遅かったか!」


 地下には誰もいなかった。

 セルゲイはすでに手配を済ませ、そこに幽閉されていた人々を移していたのである。

 後に残ったのは、誰もいない地下牢獄。

 三人が到着する、僅か三十分前の事だった。


「誰かくる!」


 それに一早く気付いたのはキリシマだった。

 階段を一段、また一段と。

 ゆっくりと一人の男が下りてくる。

 暗がりから姿を見せると、そこにはワフクを来た五十代と見られる一人の男。

 体躯はがっちりとしており、体はおろか、顔にまで無数の傷をこしらえている。

 ハーディはハロルドとデイトナを引き抜き男に向けた。

 しかし、キリシマは微動だにせず、未だ立ち尽くす事しか出来ないでいた。


「ふん。久しぶりよの。……キリシマ」


 男はハーディに目もくれず、キリシマに語りかけた。


「キリシマ! また知り合いか?」


 キリシマは答えない。


「おい! どうしたキリシマ!!」


 ハーディの声が届いていないのか、キリシマはただ一言、絞る様に声を漏らした。


「……親父?」




*** *** ***




「艦長! 敵船、距離八千でロストしました!」

「引き続き索敵を続けろ! ようしお前ら! よくやった!!」


 ビクトリア号は、セルゲイの仕掛けた艦体に囲まれながらも、辛くも戦線を離脱する事に成功していた。

 艦内に張り詰められていた緊迫感が多少は緩和され、比例する様に乗組員の表情は次第に笑みを刺してくる。


「各員、損傷部の確認にあたれ! 進路、左舷二十度! 以降無音航行に切り替えろ! このまま海域を離脱する!」


 ビクトリア号は束の間の平静を取り戻す。

 それを察知したのか、ララが下層部から顔を見せてきた。

 その姿を見つけたビクトリアは、不安がるララに話かける。


「ララ。とりあえず敵は撒いた。もう心配はするな」

「ビクトリア。……ハーディ達は?」


 ララは自身の身を案じてはいなかった。

 その心中を察し、ビクトリアの顔行きは曇る。


「すまない。今はまだグラミーには上陸できそうもない。あいつらを信じるしかない」


 ハーディ、キリシマ、キャリー、そしてシシー。

 グラミーへと侵入した四人を助けたいと願ったのはビクトリアもまた同じである。

 しかし、セルゲイの艦隊はそれを許さなかった。

 グラミーには既に包囲網が敷かれ、厳戒態勢がとられているだろう。

 四人に逃げ場などあろうはずもない。

 見つかるのは時間の問題と思われた。

 しかし、それでもビクトリアは、乗組員を犬死させる事など、できるはずもなかった。

 ララもそれを勘付いている。


「これから。どうするの?」


 ララの問いかけにビクトリアはため息をつく。


「あいつらを迎えに行きたいのは山々だ。しかしこうなった以上、こちらからは連絡の取りようもない。まずは情報収集だ。あいつらの居場所を探る」


 セルゲイがビクトリア号にスパイを送り込んだのと同様に、ビクトリア側もグラミーに、情報を送るよう何人か紛れ込ませていた。

 今となってはそれだけが残された希望である。

 ビクトリアは、彼らがハーディらと接触し、連絡がくる事を待つ腹積もりでいた。


「連絡がとれればいいの?」


 ララはきょとんと答える。

 勿論それが出来れば一番いい。

 だが、ハーディとシシーが持つ無線機は盗聴を防ぐため、電波を抑えてある。

 とても深海を進むビクトリア号までは届かなかった。


「ああ。安心しろ、ララ。グラミーにはあたいの同胞がいる。きっとうまくやってくれるさ。それに――」


 言いかけたところでララが首を横に振り、ビクトリアは話を止めた。


「連絡がとれればいいんでしょう?」

「あのなあララ。えっと、よくわからなかったか? そう、連絡がとれればいい。そうしたら、あたいたちも迎えに行く目測が立てれるからな。でもその為には、まずあたいの仲間とシシー達が合流する必要があるんだ。だから――」


 話途中でララはビクトリアの腕を掴む。


「お、おい! どうしたララ!?」

「……来て」


 ビクトリアはララに引っ張られながら、ビクトリア号下層部へと続く梯子に連れてこられた。

 そこから、先に下へと降り始めたララ。

 その様子を見て、ビクトリアはやれやれと肩をすくめ後に続いた。

 下層部に降りると、先の戦いで熱を持ったエンジンをゴッドフレイが細部まで手入れしている。


「艦長……」


 ビクトリアの姿を見つけたゴッドフレイは深々と頭を下げる。


「艦長……、いや、ビクトリア。本当にすまなかった。お前らを危険な目に合わせた。責任は全部わしにある。わしはこれからどんな処罰も――」


 言いかけたところで、ビクトリアは手のひらを見せるように話を止めた。


「もういい。おまえもやむを得ない事情を抱えていたんだろう。気にするな。それにこの艦にはおまえが必要だ、ゴッドフレイ」

「……すまない」

「いい加減に頭をあげろ。女にその油まみれの頭髪を見せつけ続けるのは失礼だぞ」


 冗談まじりにビクトリアはそう言って、ゴッドフレイの頭をあげさせた。

 水冷とは言え、エンジンに負担をかけた下層部には熱がたまり、すでに汗をかくほど暑かった。

 ゴッドフレイは、二人が例の一件を問いただしにここを訪れたのだと思った。

 しかし二人は戻らない。


「ララ、もういいだろう。しつこいレディは嫌われるぞ」


 ビクトリアは、ララが自分をここに連れてきた理由を、ゴッドフレイを咎めさせようとしていたのだと悟っていた。

 ララは才女、シシーの娘とは言え、まだ子供である。

 きっと、セルゲイに加担したゴッドフレイを許せなかったのだろうと考えたのだ。

 しかし、それは違った。


「おじさん、さっきの出して」


 ララはゴッドフレイに手を出した。

 その様子をただ不思議そうに二人は見ている。


「ララ、さっきのって?」

「ほら、話してたでしょ? セルゲイと」


 やっと理解したのか、ゴッドフレイはズボンのポケットからそれを取りだした。

 セルゲイに情報を流す為、前もって手渡されたそれは。

 ビクトリア号からでもセルゲイに連絡がつく様に、改良された腕途刑である。

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