第7話 軌道
ヴァンドが立ち去った後、セルゲイは一人、部屋に散らかったガラスに目をやる。
男に会うのはその時以来である。
――ガチャリ
ノックもせず戸を開けた男を、セルゲイはソファへと座らせた。
セルゲイにとって、もはやヴァンドは脅威ではなかった。
ただ粛々と、その関係に終止符を打てばよかった。
大切な交渉はこれからである。
セルゲイは、目の前の男を丁重に迎え入れた。
「久しぶりだな。延頸挙踵の思いで待っていた」
「セルゲイッ……」
男は、第三世代の刑殺官に吹き飛ばされ、あばら骨を折り、最悪な事に、それが肺を突く重傷を負っていた。
セルゲイは、捕らえた男を生かそうと部下に治療させ、そしてやっと、こうして二人対峙するに至ったのである。
「エルビス。けがの方は大丈夫か?」
セルゲイの言葉には慈愛がこめられていた。
過去に二人、意見が合わなかった事もある。
それは今なお変わらぬことだろう。
だがしかし、まずは懐かしき友の安否に気をかけたのだった。
「大丈夫じゃねえな。歩くのが精いっぱいだ」
エルビスはそう言うと、包帯に巻かれた体をセルゲイに見せた。
もし、エルビスが病に侵されていなければ、第三世代とはいえ、その攻撃が直撃する事もなかっただろう。
しかし、その齢も合いまり、エルビスに避けることは出来なかった。
衰えたのは反射だけでなく、体にも言える事である。
エルビスの身体は既に、過去の栄光を失っていた。
「なあ、エルビス。……なぜ脱走など企てた」
「さあてねえ。気分転換ってやつかな。俺もおまえも齢をくっただろ。たまには外の空気を吸いたくなった。そんなところさ」
自分の死期を悟ったエルビスは、グラミーに残った幼少期の仲間たちに会おうとした。
脱獄の理由なんてそれだけである。
だがしかし、セルゲイは変わった。
目の前の冷酷な男にそんな話をしても、同情すらひけずに、何の意味も持たないだろうと、エルビスは心中を明かさなかった。
「それ、まだ片づけてないんだな」
エルビスは、散らばったままのガラスをあごであおった。
それは、かつてエルビスが、セルゲイのレクイエム悪用を知った際の爪痕である。
「ああ、片づける時間がなくてな」
そんな事、レクイエムの職員にでもやらせればいい。
一声かければ、その日の内にでも解決する話だ。
時間がない。
そんな見え見えの建前に納得し、エルビスは深く追求はしなかった。
「じゃあ、そろそろ本題に入ろうか。それで、セルゲイ。これから俺をどうするつもりだ。またレクイエムにでも送り返すか?」
エルビスはただ真っ直ぐにセルゲイの瞳を見つめた。
一度はセルゲイに切り捨てられた過去がある。
エルビスは、自分がいつの間にか、セルゲイにとってはただ、疎ましく見えていたのだと、その時に気付かされていた。
だが、今回は違う。
恐らく、治療をしなければエルビスは死んでいたからだ。
エルビスにとってはそれが最後の希望である。
セルゲイは自分を必要としている。
それは多分、例の計画の為に。
「エルビス。英俊豪傑なお前の事だ。私から話さなくても、お前には既にわかっているのだろう。お前の力を借りたい」
その答えに、エルビスは机に置かれていた懐かしいファイルを目に入れた。
そこからセルゲイの思惑が手に取るようにわかる。
レクイエム計画を実行に移す時が来た。
その片棒をエルビスにかつげと言っているのだろう。
「お前無くして今の私はいない。しかし、お前とは色々あった。決して水に流せとは言わない。無論、私を恨み続けてもらって構わない。だが私は、お前が再び私の手を取ってくれるなら、お前の望みはなるべく聞くつもりだ」
エルビスにとって願ってもない話である。
恐らくこの手を取れば、エルビスはあっさりと外に行くことが出来るだろう。
そうなれば、旧友との再会を果たす事も出来る。
もしかしたら、病に侵された体を延命する事も出来るかもしれない。
しかしそれらが、エルビスにイエスと言わせる材料にはならなかった。
エルビスはセルゲイの顔を見る。
本当に、互いに齢をとったものだ。
出会った頃のセルゲイは、何も知らない、田舎から上京したての、世間知らずの少年だった。
だが今はどうだ。
セルゲイは既に、エルビスより遥か、世界について詳しいだろう。
その顔のしわが、薄くなった頭髪が、しゃがれていく声が、セルゲイが朝も夕もなく仕事をこなし、様々な苦悩を抱えていったことを想像させる。
「なあセルゲイ。あんたのしてきたことはいつだって正しかった」
エルビスから見たセルゲイはいつだって、物語の英雄の様だった。
困難に立ち向かい、自分を顧みず、大きく世界を変えていく。
隣に立ち、セルゲイを慕う傍ら、エルビスはセルゲイに憧れていた。
だがしかし、そんなセルゲイも人の子である。
時には間違いを起こす事もあるだろう。
一人では、どうしても耐えられない夜もあっただろう。
エルビスは悔いていた。
「セルゲイ。今まで言えなかった事がある」
あの日、なぜセルゲイを一人にしてしまったんだろう。
追い詰められていく友人の隣を、なぜ離れてしまったんだろう。
エルビスはずっと悔いていた。
再び老体に鞭を打つ覚悟を決め、エルビスは立ち上がった。
*** *** ***
セルゲイとエルビスは、共にヘリに乗り込みグラミーへと向かっていた。
ヘリの数は全部で二十機。
セルゲイらが乗り込んだヘリ以外には、第三世代の見習い達が所狭しと搭乗し、慌ただしくプロペラを回している。
多数の見習いを引き連れ二人が向かったのは、グラミーにある議員会館であった。
大国グラミーの政治全てを取り仕切る議員会館。
そこは日夜、下らぬ議論に花を咲かせ、血税を浪費するに過ぎない、あまりにも立派過ぎる城だった。
ヘリが空を切る音に苛まれながらも、二人は計画を練る。
「エルビス。脱走犯の見解はどうだ」
「俺達はレクイエム脱走後、戦火のグレゴリオに所属している、ビクトリア海賊団と落ち合う事になっていた。今頃は海底だろう」
「ああ。戦火のグレゴリオにはネズミを入れ込んである。奴からの通信によれば、シシーが持ち出した腕途刑を公表する腹積もりだと言う」
ビクトリア海賊団は義賊である。
海賊行為を繰り返す犯罪者とは言え、船長のビクトリア・ビバップは、貧しい者を救い、受け入れる女だった。
噂を聞きつけたセルゲイは、前もって、彼らの艦体に一人、技士を紛れ込ませていた。
「手段は?」
「電波ジャックだ。全世界に生放送を行っている昼のニュース番組。奴らはそこに忍び込むはずだ。我々はすでに包囲網をしいている。蟻一匹忍び込む隙も無い」
セルゲイの作戦は盤石であった。
そこでハーディを捕らえ、シシーから腕途刑を取り上げる。
効率よく、そして迅速にレクイエム計画を邪魔する不穏分子を取り除ける。
「待て」
しかしそれをエルビスが咎めた。
「何か意見でも?」
「そこにハーディやシシーが自ら乗り込む確証はない。グレゴリオのメンバーがその役を担当する可能性もある。しかも向こうにはあのシシーがいるときた。ならばすでに、腕途刑のレプリカを完成させている可能性だってあるはずだ」
電波ジャックの様な高度な犯罪がシシー以外に出来ると思えなかった。
そして、ハーディの性格を良く知るセルゲイは、必ずや侵入役はハーディになるだろうと予感をたてていた。
しかしやはり、エルビスの言う事も一理ある。
「ならばどうしろと?」
「セルゲイ。奴らの侵入を許せ。束の間の成功を演出する」
「そこになんの意味が?」
「ビクトリア海賊団もまた、放送を確認しているはずだ。ビクトリアは義理人情に厚い。異常を感じさせれば、必ずグラミーに近づくだろう。そこを一網打尽にする」
「なるほど。囮か」
確かに一時とはいえ、世界中に逃走した脱獄犯が姿を現すのは芳しくない。
しかし、エルビスの提案は、セルゲイを唸らせるには十分だった。
「ならエルビス。残す問題は族が侵入する時間だな。いくらなんでも、警備をまるっきりつけないと向こうも不審がる。脱走犯が出たばかりだと言うのに、警戒を解いたとあれば、聞きつけられるかもしれない。そうではないか?」
「確かに、奴らには都合よく警備が手薄になった時に侵入してもらわなければ困る。なら、こちらからその時間を指定してやればいいだけだ」
「指定? まさか、招待状を送るとでも言うのか」と、からかう様に笑ったセルゲイに、エルビスもまた、笑って返す。
「ああ、その通りだ。なあセルゲイ。奴らが最も効果的に電波ジャックするには、どのタイミングを狙うと思う?」
「……なるほどな」
「そう、脱走犯を報道したその直後だ。様はその放送時間を自然にリークさせ、その数時間前から会議でもなんでもいい。開いて警備兵を一か所に集めて警戒を解く」
まるでエルビスは水を得た魚の様だった。
体は衰えはしても、その頭脳は健在であった。
ヘリがグラミーに到着する。
セルゲイは「これだからお前が必要なのだ」と言い残し、先にヘリを降りた。
*** *** ***
セルゲイは大きく、そして厳格に見える開き戸を勢いよく開けた。
その音の大きさに、部屋にいたスーツ姿の男たちは振り返り議論を止めた。
しかし遠慮なく、セルゲイは周囲を見渡しながら部屋へと足を進める。
議会への出席は強制ではなかったが、席についている者は過半数にも満ちていなかった。
あまりにも目立つその空席を憂いて、続けて入ってきたエルビスは一言漏らす。
「うわあ。ひでえなこりゃ」
議員であるセルゲイはともかく、正装もしていない男が紛れ込んだものだから、警備の男が詰め寄ってきた。
「セルゲイさん。只今会議中です。関係者以外はどうか」
また、席に着く男たちも、状況をやっと理解したのか、一人づつ口を開いていった。
「セ、セルゲイ君。久しぶりだね。どうかな、レクイエム事業の方は」
「なんだねその男は。神聖な議会に部外者を立ち入らせるなんて、所詮平民出の君らしいと言ったところかな」
「セルゲイ。君の裁量で会議を中断するとは、一体どういった了見だ」
一人が口を開けば、釣られる様に飛び火していく。
本会議場の誰もが、セルゲイを議会から追い出そうとした時である。
――パン
エルビスが、装飾を施された高い天井めがけて発砲した。
突然の光景に、誰もが口を紡ぎ、呆気にとられている。
「どうか。ご静粛に願います。この国の蛆虫ども」
セルゲイはそう言うと右手を上げた。
その合図を確認した第三世代の見習い達が、議会に続々と入ってきては、部屋の壁づたいに議員たちを取り囲んだ。
警備兵は更に増えた部外者たちを追い出そうとしたが、適うはずもない。
近づいた瞬間に殴られると、数メートル程吹っ飛ばされ、そのまま動かなくなった。
警備兵とて屈強な男たちのなかから、更に選抜され抜いた人間である。
議員たちは皆、その瞬間の出来事が信じられないでいた。
静寂が戻った中、セルゲイは口を開ける。
「誠心誠意この国を牛耳ってきた皆様の事です。すでに火宅之境にある事はご理解していただけたことでしょう。皆様は今迄、このグラミーの為に大変ご尽力くださいました。ですがご安心ください。その業務は、今日を持って私が引き継がせて頂きます」
「……な、なにを言ってるんだセルゲイ!! おまえ、ふざけるな!!」
議員の一人が声をあげた。
それを見て、セルゲイが片手で指示をすると、近くにいた見習いの一人が、声をあげた議員のクビ根っこを掴み、力のまま持ち上げた。
「――グッ! ガハッ!!」
議員は苦しそうに暴れ、見習いを蹴り飛ばそうとするが、びくとも動かない。
それを見て満足そうに笑みを作ったセルゲイは、さらに演説を続ける。
「ご覧の様に。本にちの皆さまには拒否権も、そして同時に賛成権も御座いません事が充分おわかりいただけたかと存じます。既に議員会館は我々どもが掌握し、今現在第二陣が議員宿舎を訪れている頃であります。我々は今日、議会に参加する為にここを訪れたわけでは御座いません。本日は、……革命を起こしに来たのです」
その言葉を首切りに、見習い達は部屋にいた議員を一人、また一人と捕らえていった。
この日を境に、世界は大きく動き始める。
その時代の行く末を想像できる者など、セルゲイを除いて一人もいなかった。
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