第6話 契機

「めろうはん。いつまで寝とるんや。ええかげんに起き」


 レイラの声に、メロウは閉じていた目をゆっくりと開ける。

 まどろむ意識が徐々にはっきりしてくると、レイラが目の前に立ち、その背後には空が僅かに白みがかっているのがまた、徐々に認識できた。


「レイラさん。おはようごまいまし。……でも、まだ少し早いのではなくて?」


 昨日の疲れが取れきっていないメロウは、昨日よりも更に重く感じる自身の両足をさすりながらそう返した。

 少し動かすと、突き刺すような筋肉痛に顔を歪める。


「何言うてはりますの。めろうはんと違うて、うちは忙しいんや。のんびりしてる暇なんてあらへん。それともなにか? おらとりおまで一人で歩いていくんか?」


 当然ながら、メロウの様な女性が一人で戦闘禁止区域外を歩き回れば、たちどころに犯罪者達が寄ってくる。

 とてもではないが、オラトリオまで生きてたどり着けるわけがない。

 その事を重々理解していたメロウは、眠たいながらもレイラに従わざるを得なかった。

 軽く体を伸ばして、無理やり体と頭を起こすと、レイラの後を続き、金の巻き髪を揺らしながら廃ビルの階段を降りていく。


「はあ。また、歩くんですのね……」


 はるか遠くに見えるオラトリオを確認すると、その行程を想像したメロウは深く絶望し、再度深いため息をついた。

 日が落ち距離感が掴めなかった昨日にくらべ、太陽はその距離の膨大さをありありと照らしている。


「なんや、情けない。安心しいやめろうはん。昨日と同じ距離を歩けばすぐですわ」


 昨日とは状況が違い、今日はすでに疲れ切ってのスタートである。

 その励ましが逆効果である事を知ってか知らずか、レイラは嬉しそうに微笑んで見せると、オラトリオに向け足を進めた。

 メロウも再びその背中を追いかける。


「ところでめろうはん。おらとりおまでは送りますけど、さっきも言った通り、うちは刑殺官としての仕事が山積みなんや。いつまでも一緒におれるわけやあらへん」

「え、ええ。それは重々わかっていますわよ。オラトリオまで送っていただけるだけでもありがたいですわ」

「なんや。その様子じゃどこか行くあてがあるんかいな」


 メロウは「うーん」と小考した後、やはりそれしかないと言った面持ちで語る。


「そうですわね。とりあえずはポールさんの所に行ってみますわ。あそこにいれば安心ですし、解放軍の残党にも出会えますでしょうし」


 解放軍とは、戦火のグレゴリオとはまた別の、エルビスが指揮していた仮初の反レクイエム団体である。

 エルビス、メロウ、そしてシシーが立ち上げた解放軍で、メロウはそこそこの立場にある。

 エルビスがいない今となっては統率の乱れこそあれど、やはり一人の護衛くらいなら受け入れる人材もあるだろう。


「ぽーる……。ああ、あの胡散臭い情報屋ですか?」

「ポールさんはああ見えて仕事には定評があるんですのよ。それと、女性に対してなかなか誠実な方でもあるんですの。ああ見えて」

「ほーん。言われてみれば確かに、あの情報屋に金髪の女が出入りしているのよう見るわ」

「ああ、リップさんの事ですわね。彼女は仲介屋ですわよ。ポールさんの元で情報料を取引してらっしゃるんですの」

「仲介屋……」


 仲介屋、と言われてレイラの脳内にはエウロアの姿が浮かんだ。


「……なんで、そないな仕事続ける気になるんやろなあ」

「どう言う事ですの?」

「そのままの意味や。れくいえむにはある程度の秩序があるとはいえ、それが絶対とは言い切れん。刑殺官ならまだ給料がええからわかる。融通もきく。せやけど、仲介屋なんて、面白みもなければ、りすくに見合わん仕事と違いますか?」

「それを言うなら私だって――」


 メロウは元仕入屋である。

 確かに、少々奇特な者しかレクイエムの職員は務まらない。

 しかしレイラは、メロウの置かれた使命を知っていた。


「めろうはんは特例やろ。それとこれとは話が違う。なんや、しかもあの女、えうろあはんの事知っとるんやろ? 訓練も受けてない人間が。ほんま、神経おかしいで」

「そう言えば、私もリップさんがレクイエムに来た話って聞いたことがないですわね。まあ、色々と、人には事情があるんじゃなくて?」

「……うちにはまるでわからんわ」




*** *** ***




 レイラとメロウはオラトリオへと到着した。

 既に空には星が煌めき、それを仰ぐとメロウは深く息をついた。

 ビズキット、ガストロ、そしてエルビスの三名が、レクイエムから消えたと言う噂は、瞬く間にレクイエムの受刑者達に広まっていった。

 それでも、ビズキットが支配していたアラベスクはともかく、オラトリオは変わらず、そのままの姿を残している。

 酒を呑み街を徘徊する住人達。

 その光景に少し安堵しながら、メロウはレイラと共にマーリーの戸を開く。


――カランカラン


 ポールは街一番の情報屋である。

 故に、風の噂でメロウがレクエムに収容される事を既に聞きつけていた。

 そして、きっと、遠くないうちにメロウが此処を尋ねてくるだろうと予想を立てていた。

 すなわち、この時が。

 ポールが思い描いていた一時になるのだが、まさかその隣に、オラトリオの刑殺官官長がいるとは想像だにしていなかった。


「レ、レイラ……」


 驚きの顔を隠せなかったのはリップも同様である。

 リップはレイラとメロウが顔なじみであることを知らなかったのだから。


「い、いらっしゃい。レイラのお嬢。今日はどう言ったご用件で?」


 揉み手をするポールの顔は引きつっていた。

 また、リップも、予期せぬ事態に言葉を失う。


「安心しい、情報屋。別にうちは様なんかあらへん。ただ、こいつをここまで連れてきただけや」

「ポールさん。リップさん。お久しぶりですわね」


 レイラの一言でポールは状況を理解した。

 恐らくは、レイラ直々に護衛の任が下りたのだと察したのだ。

 一先ず店に危害を加える気が無い事を悟り、安堵したかのようにメロウに話しかける。


「大変だったなぁ。メロウ。結局、ハーディとキリシマの旦那。あとキャリーとララは外に行っちまったのかい?」

「ええ。今頃。ハーディ様らは戦火のグレゴリオとコンタクトを取っている事でしょう」


 それを聞くとポールは深々とレイラに頭を下げた。


「レイラのお嬢。感謝するぜ」

「なに言うとるんや。ほな、うちはこれで失礼するで」


 背を向け、マーリーを立ち去ろうとするレイラを止めたのはリップだった。


「待ちなさい。レイラ」


 引き留められ、レイラは怪訝そうに振り返った。


「まだ、なにか?」

「レイラ。あなたが私達にした事は、消えないし、とても忘れられるものではないわ。例えそれがハーディの意志を継いだ職務であったとしても。でもね、一応、メロウの恩人だもの。一つだけ忠告してあげるわ」


 「おいリップ、余計な事は言うな」と、止めたポールの声を聞くことも無く、リップは話を続けた。


「今までレクイエムは、良くも悪くもエルビス、ガストロ、そしてビズキットの三人の睨み合いで均衡を保ってきた。だけど、それも今はもう過去の話。この意味、わかるわよね?」

「なあんや。そないな話か。あの三人はともかく、今レクイエムに残った受刑者に、うちらを脅かす存在なんてない。そもそも、刑殺――」

「違うの、レイラ」


 リップはポールに目を配らせる。

 その合図を受け、深いため息を吐いた後、観念したかのようにポールは語りだした。


「レイラのお嬢。レクイエムはもう変わり始めてるんだぜぇ。たった一人の男のせいでなぁ」

「なんやそれ。一体どういう意味や」

「私達もその情報を手に入れたのはつい先日。男の名はヴェンディ。彼は、行き場を失った解放軍、更に、存在意義のなくなったビズキットファミリーをたった数週間でまとめ上げた。それに――」


 その言葉でレイラは事の重さを知る。

 絶対的な三者がいなくなった今、新たに覇権を狙おうと名乗りをあげる受刑者が出てくる事は予想していた。

 だが元々、解放軍とビズキットファミリーは対立していたのである。

 そんな両者を大した時間も欠けずに懐柔するなど、あのエルビスでさえ難しいだろう。

 圧倒的なカリスマ、新たなる王の誕生。

 それは、レクイエムが、新時代に切り替わる前触れになることは明らかであった。

 しかしレイラは、リップが言いかけた台詞を耳にし、更に驚嘆する事となる。


「ヴェンディはすでに複数の刑殺官見習いも手中におさめているわ」

「なんやって!?」


 確かにエルビスも、受刑者、そして刑殺官から共に慕われてはいた。

 だがそれは、元政府側の人間という肩書があった為である。

 故にエルビスは両者に接触しやすく、言うなればきっかけが作りやすかった。

 だがその男は違う。

 名前を馳せていたようにも思えない。

 今まで派閥を作り、力を溜めていた様にも思えない。


「何者なんや。その男……」

「それはうちらにもわからねぇ。わかっているのは名前と、ある一声で虎視眈々と力を手にしてるってことだけでさぁ」

「その情報は本当ですの? もしかしたら、この事態にパニックになって、一部の受刑者がデマを流しているのではなくて?」


 メロウの言った事もない話ではない。

 しかしポールはその可能性を否定した。


「いや、メロウ。うちらはオラトリオ一の情報屋だぜぇ? 根も葉もない噂話に流されるような素人仕事はしてねえよお」


 ポールとて最初はそれをただの噂話だと疑った。

 しかし、まったく接点の無かった受刑者達、そして時には刑殺官見習いに聞き込みを続けるうち、ちらほらとだが、その関係者を探し出していたのである。


「ならそいつらに聞けばええ話や。おらとりおにもおるんやろ? 一人教えてもらいましょか」


 レイラは力ずくで情報を聞き出そうとしていた。

 しかしポールは首を横に振る。


「いや、レイラのお嬢。そいつは無意味でさぁ。俺っちもしつこく聞いたが、奴らはなんにも知らなかった。恐らく勧誘方法は人伝いなんだろうなぁ。誰もヴェンディの顔も、特徴すらも知らなかったんでさぁ。最初にヴェンディがどこで、誰に言い出したのかはわからねぇ」

「でもその話は、話を受けた全ての人間を取り込み、更にその受刑者が他の受刑者に話を伝えていく。ヴェンディは自らを示すことなく、きっと今この時も、一人、また一人と仲間を増やしている」

「それで、その話しとは、一体どういった内容ですの?」

「ヴェンディという男の指揮する団体に入れば、必ずレクイエムから出してやる。だそうだぜぇ」

「なんやって!?」


 レイラはヴェンディの正体を解放軍の残党の一人と仮定した。

 解放軍とは、元を辿ればエルビスが外の世界への脱走を企て設立した団体である。

 そして、エルビスはそれに成功した。

 当然、エルビスに近しかった者のなかには、その手段を知った者もいたのだろうと、レイラは予測をつけたのである。

 だが実際には、己の野望の為、エルビスは解放軍の誰一人としてその方法を打ち明けてはいなかった。

 ただ一人、その裏口を知るメロウを除いては。


「なるほどなあ。確かに、うちら刑殺官にも外に出たいっちゅう奴はおるかもしれん。なんせいつ死んでもおかしくないれくいえむや。命が惜しくなったっちゅう奴には、その誘い、断る理由あらへんのやろ」


 受刑者は言わずもがな、レイラの予測はおおむね正しかった。


「そうよ。ヴェンディの提案は仲間になる事。ただそれだけなの。あれをしろだとか、これをしろだとか、あたしたちが聞き込みをした人間は、誰一人そういった指示を受けていなかった。ただ、仲間になれば外に出してやる。それだけ」

「多くの受刑者はレクイエムから出たがってる。この話は、まあ言っちまえば、ノーリスクで受けれるハイリターンの上手い話ってわけでさぁ。例えそれがただの噂話だったとしても、失うものがないんだから誰も断らないんだろうなあ」


 レイラはデマである事を考えた。

 しかし、あまりにも規模が大きすぎる。

 もし、万が一があっては遅い。

 ここで話し合っていても進展がなさそうだったので、さっそく街で調査をしようと三人に背を向けた。

 その時である。


「わかった。ほな、うちでも情報を集めてみますわ。またなんかあったら、刑期は払います。うちに一報入れてや。ほなおおきに」


―ピーッ! ピーッ! ピーッ!―


 突如聞こえた大音量の電子音。

 音の出所はレイラの腕途刑であった。

 レイラが右手に目を見やると、そこには『通話中』と記されていた。

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